2007年8月24日金曜日

なんなのだろう。

 最近、アメリカで審判のジャッジに関する興味深いデータが発表された。
 テキサス大学のD・ハマーナーシュ経済学教授が、大リーグの球審は投手が自分と同じ人種である場合、より多くのストライクの判定をする傾向にあり、お互いが違う人種であれば、より多くボールの判定をするという調査データを公表した。
 もっともそれは投球の約1%、すなわち1試合に1球の割合で起こるそうだ。
 しかしその1球はただの1球に収まらず「(差別主義から故意に判定された球が)他のたくさんのことに影響を与える道程を呼び起こしている」とハマーナーシュ教授は結論している。
というのも野球の接戦では1球のジャッジが投手の心理に影響を与え、その後の展開をガラリと一変させてしまうことがあるからだ。
 この調査はハマーナーシュ教授の研究グループが2004年から06年までの間にメジャーリーグで投球された210万球の判定を分析したもの。
 その結果はほとんど白人のピッチャーに有利だということが示されている。
 それも当然でメジャーリーグの投手の71%とアンパイアの81%は白人だ。
 もっともストライクが多く取られる割合は主審と投手の両方が白人の場合だ。
 そしてもっともストライクと判定されるのが低い組み合わせは白人の主審と黒人の投手。
 そしてこの調査ではマイノリティー(少数民族)のアンパイアは白人投手よりもアジア人の投手に対してもっと不公平な判定を下していることも判明した。
 これはアジア人投手にとって非常に不利であるといえる。
 なぜならMLBにはアジア人の審判がひとりもいないからだ。
 最近、松坂は
「審判の人は誤審があってもペナルティーがない」
「なんで警告なしに不正投球を取られたのか」
などと審判に対する不平不満を口にした。
 常々自分に対して不利なジャッジがあると感じていたから、つい口に出してしまったのだろう。
 しかし、大リーグで人種差別があるのは当たり前。 そういうものかな。
 ジャッジミスや一方的な判定は必ずしも技術の問題ではない。 それでは、大リーグ野球とはなんなのだろう。

 それから先が、読みたかったのだが。
 それに、この調査、簡単にできる調査ではない。
 いかなる方法でやったものだろうか。

 D・ハマーナーシュ教授のこのデータが、どのように取られたのか、教えてくださる方があれば助かるのだが。

ラベル:

2007年8月22日水曜日

小三治の「砂山」




10代目柳家小三治、郡山剛蔵は、当代きっての落語家である。
もし、そうでないと思うなら、それは客であるあなたのせいか、その日の小三治の出来が悪かったせいである。

めぐり合わせとは恐ろしい。
できの悪い小三治に会ったあなたは、そのまま10代目小三治と会わずに終わってしまうかもしれない。

ところで、本日の話は、落語ではない。

小三治の歌である。
「歌・ま・く・らーぼくは歌のすきな少年だった 」というCDも出しているくらいだから、
ご存知の方も多かろう。
高座で歌うしね。

その小三治の「砂浜」を高座でを聴いたことがある。

「砂山」は姦通罪で名高い(姦通罪もいい話だが、白秋先生、見るべき点はもちろんほかにも多々ある。)
北原白秋の手になるものだが、
プロの何たるかを教える詩である。

Simple and Deep といえばいいか。

で、この詩に二人の著名な音楽家が曲をつけた。
人口に膾炙するのが中山晋平作。
これはこれでよい。

問題はもう一方。
曲をつけたのは山田耕作。
これが傑出している。

中山作の長調に対してこちらは短調。

日本海のその風景を映し出してこの上ない名品に作り上げた。

この山田耕作の「砂山」が、小三治のマクラにすっぽり収まる。
客は、ただ黙って高座を聴く。

うなるしかあるまい。

それは童謡でありながら、上質な小三治噺に仕上がっている。
この歌を聴いた帰り道、わたしは何度もうなった。

「小三治にはかなわない。」

なぜなら、わたしもまた噺家を、あるいは表現者を自負しているからだ。

参った参った、と思った。

10代目柳家小三治、いま旬の噺家であり、落語家です。

心あるならば、高座の彼に出会ってほしい。



「砂山」 北原白秋 

海は荒海、向ふは佐渡よ、
すずめ啼け啼け、 
もう日はくれた、 
みんな呼べ呼べ、 
お星さま出たぞ。 

暮れりや、砂山、
汐鳴りばかり、 
すずめちりぢり、 
また風荒れる、 
みんなちりぢり、 
もう誰も見えぬ。 

かへろかへろよ、茱萸原わけて、  
すずめさよなら、  
さよなら、あした、  
海よさよなら、  
さよなら、あした。

ラベル:

2007年8月19日日曜日

アンリ・ルソーと田中一村



ルソーは1844年5月21日に生まれ、1910年9月2日に死去する。
一方、一村は1908年7月22日に生まれ1977年9月11日に死去。
影響があったとしたらルソーから一村へだが、一村はルソーに傾倒していた時代があるのだろうか。

あるいは、こういった問は有効だろうか?
ルソーのジャングルが想像の中にあったのに対し、一村のそれは目の前に広がっていた。
どちらも創造の世界に違いはないのだが、
この二人はどこで落ち合ったのだろうか?

教えをどなたかに請いたい。

仕事が進まず、鬱々としております。

暑い暑いというが、部屋で仕事をしている分には、何の関係もない。
細かな願望はあるけれども、
炎天下で鶴嘴を打ち下ろしもしないわたしに暑さをなじる資格はない。

熱中症で瀕死の状態にでもなったら違うのだろうが。

それよりも地球温暖化の影響で日本が、亜熱帯化していることに興味がある。
さんご礁やクマゼミやマグロの生態系の変化を見るとき、
未開の女が高井戸に出現したことを生態系の変化ととらえたいわたしがいる。

ラベル:

2007年8月18日土曜日

アンリ・ルソーと田中一村



ルソーと一村の絵が似ていることは時々取り上げられることがあるが、
本格的に論じたものはあるのだろうか?

二人の異質を集中的に取り上げることで
彼らの共通点に近づくことはできないだろうか?

この二人に関してしっかりとした論考はあるのだろうか?

浅学でお恥ずかしいのですが、ご存知の方、情報をよろしくお願いします。

ラベル:

そして犬式を聴く


仕事がうまく終わらず、
それでも無理に終わったときは
妙に体の奥が 遠くで 熱い

真夜中

だから

ここが月桃ディスコだぜ というわけだ

草木も眠る街に 野生の花が開く
犬は大地へと帰る 響きわたるバイブレーション

というわけだ
しかし

あの仕事はデータ量が少なすぎる
明日は何か対策を考えねば…な…

だから

ここが月桃ディスコだぜ

恋よ ほら恋よ
飛べよ ほら飛べよ

眠るか

遠くへ行きたいな
できれば地軸の方向に 秒速11.2km

ちょうど地球の引力圏から抜け出すスピードで 

そして 

今宵も 

犬式を聴く  

今宵も

最後は 

犬式を聴く  だ

ラベル:

2007年8月16日木曜日

胸をはれ

おそれるな、
胸をはれ
どいつもこいつも、おまえの敵ではない。

そういうことを言う

ほれた女に
ほれた女の妹に

そして
ほれた男に

まあ、胸をはれということだ

コケ脅かしの場所ばかりだ
この世はコケ脅かしの場所ばかりなのだ

だから
胸をはっていればいいのだ

もし、そうでない場所にまぎれこんでしまったら……?

小心者のおまえは俺に訊く

だったら
だったら?

やはりそれでも胸をはっているのだよ

馬鹿、とおまえは言って、楽しそうに笑う

しかしなあ、
あれは、ほんとうなのだ。
胸をはる以外に方法はないのだよ

おまえほど、まわりのものはいさぎよくも、正しくもない

正しくない連中に正しさをもとめることはできない

この世の何かと向き合ったことももない連中が作った法律になんの正義があるものか

愛したこともなかろうに 

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2007年8月14日火曜日

ミリキタニの猫


「ミリキタニの猫」は、リンダ・ハッテンドーフ監督がとったジミー・ミリキタニ氏に関するドキュメンタリーなのだが、
当時ミリキタニは80歳だった。9・11の少し前からの映像である。
この映像はさることながら、会場で面白いエピソードに遭遇した。

試写の後、監督が登場して、質疑をしたわけだ。おそらく配給会社の「パンドラ」が仕切っていたのだろう。
間違っていたら、ごめんなさい。
でもって、くだらぬ上っ面の質疑が進行していくわけさ。
あんまりくだらないんで、私も監督に聞こうかなと思って、

「ミリキタタニの猫」って邦訳なんですけど原題は「The Cats Of MIRIKITANI」でしょ。
この「CATS」を「CAT」と単数にしたら、映画自体も変えなければいけなかったですか?
あるいは、映像は「CAT」ではなく「CATS」をしっかり意識してとりましたか?

なんてことをさ。

そしたらば、ちょうど質疑が終わってしまって御年87歳になるミリキタニの爺さんの登場となったわけだ。
主催者側は、式次第みたいなものがあったのだろうが、
ミリキタニの爺さんはゴチョゴチョ言ってから、いきなりわけのわからない昔の演歌みたいなものを歌いだした。
主催者は、待ってくれという感じなのだが、
監督の女がなかなかいい奴で、
まあいいではないかという調子で主催者をなだめる。
なるほどこの女はいい奴で、しっかりとこの奇妙な爺さんと関係を作ったのだろうとわかる奴にはわかる仕掛けにたくまずしてなってしまった。

そうこうする間に爺さんはいい調子で2番までえんえん歌いきってしまう。
その後、主催者側の司会の女は
「大変素晴しい歌をありがとうございました」だって。

素晴しかないよ。
わけのわからない歌だったよ。

だけど、87歳のミリキタニの爺さんは歌いたかったんだろ。
よかったじゃないか。

「わけのわかんない歌、聴いてくださってありがとうございました。」
「どこか、『ミリキタニの猫』とつながる感じがしました。」
なんてね。

いやあ、わけのわからぬ爺さんだった。
けど、映画観てわかるんだが、あの国家(=アメリカ)に翻弄されていく自分史をわけのわからぬありようで生き抜いてきたというのは、
じつにわけがわからんね、じいさん。

映画の最後で爺さん言ってたよ。

今までは、アメリカ政府のやり方にずっと腹を立てていたが、いまは違う。

「Passing thorough」だって。

60年前に収容された場所に行った帰りのバスで爺さんは言っていた。

私は自分の質問を思い出し、つまらぬ質問をしなくてよかったと思った。

いい映画だったよ、監督。

よかったよ、ミリキタニの爺さん。

ラベル:

ミリキタニの猫


「ミリキタニの猫」っていう映画が、新橋であって、
試写会に行く余裕なんてまったくないほど仕事で追い詰められているのだが、
この映画に出てくる爺さんに比べれば、そんなことは屁でもないわけで、
やっぱり行くべえかと思い腰を上げ始めているnow and here なわけです。

14時からの映画を見て、元気になって、そうそうに戻ってきます。

いっしょに行ければよかったのになあ、RYOくん。

ラベル:

ファン

ファンというのは誰かを贔屓(ひいき)するということだからねえ、
「ひいき」って、気に入った誰かに特別に目をかけて、場合によっては、
何かによって助けてあげたりするわけでしょ。

はっきりいえば、俺のほうが助けてほしいんで、
その意味では、ファンであることができるっていうのは、
かなりぜいたくなことなわけで、
俺なんかいまだに自分に対して未練たらたらで、
他人がどうのこうのや、あいつのファンになってどうのこうのなんて、
まったくそんな余裕はないわけです。

朝から晩まで自分のことばっかで、
そりゃあ、まあ、ときには誰かに出会って、ああ、こいつはいい奴なんだなと思うけど、
たまには飲んだりするけど、
まあ、お互いになって、感じ。

だから、ファンにはならないし、なれない。

しいて言えば自分自身のファンなんだけど、
そんなこと人前でいえるはずもなく……

まあ、誰かのファンになっている奴とは一線画していて、
そういう奴は、おそらく優雅に自分を見捨てて生きているんだろうな、と思う。

強く言えば、ファンでいるっていうのは自分を見捨てることなんだからな。

そんなことより、あんたどうよ。

って、いうのが俺の問いかけなんで、
あんまりファンというあり方は関係ないんだよな。

俺にも俺の付き合ってる奴らにも。

ラベル:

2007年8月13日月曜日

犬式


『犬式』はいいなあ。

洋平くんは、うちの近くに住んでいるから、
今度いっしょに呑むことにしようと思っている。

ラベル:

2007年8月11日土曜日

犬式


誰かを憎むことを知る
その中でしか出会えぬものを見すえる

確かな意識の下、誰かを憎むとはそういった作業だ
深く、そして、激しく、誰かを憎むことによってしか、そこに、い続けてはくれない感情 を――

目の前の男が、あるいは女が、どれほどおまえへの好意に満ち溢れていようが、
憎むことでしか見えてこない実態はそこにもある

おまえの知らない先であったとしても――
そこには……ある

おまえの知らないものを、おまえとして、おまえに出会うことをさせるために
……こそ憎しみはそこにある

その憎しみの前でおまえは何ものとしてあり続けるのだろうか
その憎しみの前で、おまえは大きく目を見開いてい続けられるのだろうか

確かに今いるおまえが確かに今もいるように
憎むことでしか現れることのないおまえ自身を幾度も憎みながら

そして
さらに憎みながら

なにものかにささげるかのようにだ

そこにはない何ものかに

おまえはタクラマカン砂漠にあらわれるホータン川を見たのか
季節に呼び覚まされるように
崑崙山脈に冬に降る雪や氷河が夏の間に解けて
飛ぶ鳥のいない天高く

おまえはそこにいるのか

愛と何度も叫びそうになる
季節の川の流れにもならない
哀しきおまえのなかのおまえを
ただ抑えることをしながら

そこにあることだけを願えるのか
願えるだけのおまえを
まだ願えるのか

ラベル:

尾崎豊

1985年夏、尾崎豊19歳にして3万人もの若者を集めた大阪球場での伝説のライブ。

そのライブの大まかな模様を昨夜、NHKが流した。
わたしが、尾崎の映像を見るはじめてだった。
19歳の尾崎。
すでに死が色濃くその身体に刻印されていたのではなかったか。

壊れ物のような身体を持った尾崎は、壊れ物のような声で観客に、おそらく誰かに語っていた。

「シェリー」
とはだれだったのだろうか―
彼が歌うとき、シェリーは立ちあらわれたのだったが、
彼の歌が流れていくときにはゆっくりと退場していくだれか

尾崎の声は、しばらく残るのだが、シェリーはいなくなる。
そんな具合だった。

尾崎の歌は俺の手を離さないでくれというが、シェリーはいつまでも手を握ってくれてはいない。
そんな具合だった。

稀有な歌い手であると同時に生きていくに従い、失っていく人。

美しいものをみた。
尾崎の歌を誰かに並べてはいけない。
尾崎を何ものかで表現してはいけない。
本人自身も触れられないような造形物。

映像はそのように流れていた。

最後の観客へのあいさつ――
はじめて聞きました、あんなにも聴いてくれた人への感謝を述べたあいさつを。

歌い手が聞き手より上だ、客体者は主体者に劣る、と誰が言った。
そういうわたしの思いをもう一度考え直してみたいステージだった。

美しきこわれもの。
その有様は、尾崎豊のものでさえない。

あの日、それは捧げもののようにそこにあった。

ラベル:

2007年8月9日木曜日

ファム・ファタル

最近、一人の女に電話をかけ続けている。
くせになってしまったのだろう。
真夜中に気がつくと電話をかけているわたしがいる。

だが、電話に女が出ることはない。
もう、日本には戻ってこないかもしれない。



湿った夜だった。 
玲は少しの間留守番を頼まれて、カウンターに立っていた。

小一時間の後扉が開いて、男が入ってくる。見たことのある顔だ。
オーダーは決まっていた。Black Deathというウォッカだ。それに氷を少し入れる。

さらにいつの間にか女が居る。美しい女だった。エロティックといってもいい。
一体いつの間に入ってきたのだろう?
扉は鳴らなかったのに。

「何になさいますか」 
「カクテルを頂戴」 女は言った。 
「ファム・ファタル」
聞いたことのないカクテルだ。

レシピブックを慌ててひっくり返すというような無粋な真似はしたくはなかった。
ファム・ファタルか。
ホワイトキュラソーとレモンジュースに先ほど男が飲んでいたBlack Deathをあわせてシェイクした。
ホワイトレディのBlack Death版だ。

どうぞ。
差し出すグラスを女はじっと見つめた。

「そんなカクテル、あると思わなかった」
「ぼくも知らなかった。」

玲はどうでもいいような口調で告げた。

女は男の隣にすわり、顔を覗き込んだ。 
「覚えている? わたし。 」
「・・・…」 男は、ちいさく呟いた。
「覚えていたのね。」 
女は笑ってカクテルに口を付けた。

男は黙っていた。口からでまかせの名前でよかったのか…

「ファム・ファタルに名前は要らないの。呼んでさえくれればいいの―」

帰ってきたローラが、半分ほど空いたBlack Deathの瓶を振りながらしゃべっている。

「最近減ってないじゃない。あのお客さん来ないの?」
「ああ、もう来ないかもしれない。」

玲は、中空に答を返した。

ラベル:

アルコール依存症

はっきりと告白しなければならないが、
わたしは、アルコール依存症で、飲み始めると4,5日は酔いの中で過ごすことになる。
いまが、その当座なのだが、
この八月は、仕事を抱えてしまっているので、とても困る。

さて、今日はアルコールを抜くために「この子たちの夏」という朗読劇に行くことになるのだろうが、
こういう原爆を主題にしたものは少し苦手である。

だからといって、こういう主張がこの世に必要なのは確かなのだが…

アル中の
俺が言うのもナンなのだが…

ラベル:

2007年8月8日水曜日

ふとしたことで…

ふとしたことで作られるイメージもある。

多くは、そのイメージ作る人間の形成能力のなさのなせるわざだが、
いたし方あるまい。
作られた以上は、哀しいことだが…身を寄せるしかない。

人前で、誰かを好きだというのは、好きである以外の何ものかを表現していることなのだ、
という説明は、成立するのだろうか?

とある日
ある飲み屋で声を高らかに言ったものだ。
お前が好きだと。
好きだというからには、好きであるわけがない。
思いはひそやかに潜行する。

ああ、恋などしてみた。

酔えば、とにかく、届かぬものを思う。

俺のそばにずっといればいいのだ、未開の女。

というわけで、今回は、くだらぬ、酔って、ふられた男の話。

ラベル:

2007年8月7日火曜日

不思議なもので…

最近、気になっていた趙博を追いかけていたら、これまた、わたしの贔屓にしていたマルセ太郎に行き着いた。
不思議なもので、こうやって、歩いてきた道のようにたどっていけてしまう。
おそらくは、歩み自体はずいぶん遅いのだろうが…。

しかしながら、それでも、その歩調で、歩くしかないわけで、
それを放棄するならば、自分とつき合うのを止めることを覚悟することだ。
そういう人間は、ごろごろいる。
そして、何も考えないのならば、それはそれで十分に楽しいのだ。
うそではない。
どちらの側に自分がいるかよく知ることだ。

その遅い歩みで、趙博と李政美がマルセ太郎の棺の前で歌ったことを知る。
いずれ近いうちにこの二人には会うことになる。
そう感じている。

いくら遅過ぎてもいい。

会っておかなければならない人には会っておきたい。
生身のその人に会っておきたい。

この世で会っておかねばならない人はそんなに多くはない。
心して機会を逃さぬことだ。

さらに言っておけば、どうでもいい奴に会う必要はない。
捨ててしまえばいいのだ。

何度か会ったからといって、そいつとこれからも会う必然性はない。
それは、そいつが誰とつきあっているかを見ればよくわかる。
正しくは、何とつきあっているかを見ればわかる。

会うべき人は、ひとえに生命体としてそこにある。
そういうものだ。

そして

生命体とは何か ?

それは一様ではないのだから、個々人で考えればいい。

このことに何の興味もわかなければ、それだけのことだ。

わたしとは生きる場所が違う。
それだけのことだ。

バャ・コン・ディオス

すぎた別れの言葉だが、送っておこう。

ラベル:

尹東柱

尹東柱について、少しだけ記しておきたい。
これは、わたしの心覚えだと思ってもらっていい。

このブログに書かれるもろもろのことはそういうふうにわたしに対しての心覚えとして書かれることが多いのだが、
そのいくつかが誰かに対するメッセージにもなっているとしたらうれしいことです。


尹東柱の生涯
1917年満州に生まれる。
満州開拓民の子孫であった。
抗日運動の拠点北間島で少年時代を過ごしす。
龍井の恩真中学、平壌の崇実中学校に学ぶ。
1936年頃より童詩を雑誌に発表し始める。
1938年ソウルの延禧専門学校(現代の延世大学校)文科に入学する。
在学中に、朝鮮語授業の廃止、創氏改名(彼も平沼東柱と改名)を体験。
この学校卒業時に自選詩集『空と風と星と詩』の出版を考慮するが、恩師とも相談の上、内容的に出版は難しいとの判断から出版を断念。
この断念は、誰が強要したか?
1942年日本に渡り、立教大学英文科選科に入学する。
その9月、京都に移り、10月同志社大学英文科選科に入学。
1943年、7月同志社大学在学中に治安維持法違反で京都下鴨警察署に逮捕され、朝鮮解放を半年後に控えた1945年2月16日 旧福岡刑務所で獄死した(一説には毒殺説もあるが真相は明らかではない)。

尹東柱について、茨木のり子に随想がある。
あるいは、随想と読んではいけないものかもしれない。
 ソウルの本屋の詩集コーナーの熱気は凄いと、かつて書いたことがあるのだが、見たことのない人は半信半疑で「本当なんですか?」と言う。
 二年ほど前、ソウルの本屋で詩集を探していた時、隅っこのほうで、中学生らしい女の子三人がかたまって一冊の詩集を澄んだ声で朗読し、他の二人はせっせと音を頼りにそれを書き写していた。
 「誰の詩集?」と韓国語で声をかけてみたかったが、ドキッとさせるのがかわいそうで、思いとどまった。
 書店は大目に見ているらしいのだが、詩集を買わずに書き写すのは、幾分うしろめたい行為であるらしく、隅っこのほうだったり、しゃがんだりしている。
しばしばこういう光景に出会う。
 中学生や高校生のお小遣いでは、一冊の詩集はかなり高価なものにつくのだろうか。
そのかたわらをそっとすり抜け、ふりかえった時、詩集の背表紙の写真が目に飛び込んできた。

 「ああ、尹東柱!」

 尋ねたりしなくてよかった。
 中学生に見えたが、あるいは高校生だったかもしれない。
 いずれにしても、こんな若い少女たちに愛され、抱きとられている尹東柱という詩人のことが、改めてじんと胸にきた。忘れられない記憶である。
 韓国の新聞では、何年かおきに、読者による詩人の好選度(好感度)というのが載る。
 二度見たが、二度とも第一位は尹東柱で、他の詩人は乱高下がはなはだしい。
 これからもきっとそうだろう。
 詩人の名前を見ると、老若男女、無作為にアンケートをとっているのがわから、公正なランキングをめざしているようなのだ。     
学校でも教えるし、たぶん韓国で尹東柱の名前を知らない人はないだろう。
 もはや、受難のシンボル、純潔のシンボルともなっているようだ。 
 けれど、日本ではあまりにも知られていない。
 日本へ留学中、独立運動の嫌疑で逮捕され、福岡刑務所で獄死させられた人であるというのに。
  『ハングルへの旅』(朝日新聞社、一九八六年)という本を出した時、尹東柱に触れた一章を書いたのも、こういう詩人が韓国にいたことを、少しは知ってほしいとい願ってのことだった。
 それが筑摩書房の野上龍彦氏が払った努力は並たいていのものではなかった。
 粘り勝ちに見えたが、このことはむしろ韓国で大きな反響を呼び、いくつかの新聞が取りあげた。
 〈日本もようやくにして尹東柱を認めたか……〉という長嘆息を聞くおもいだった。

 はからずも、ここにも野上氏の軌跡を見る。

 彼女の随想は続く。

 一九九〇年、尹東柱の甥にあたる、尹仁石(ユン・インソク)さんに東京でお目にかかる機会があった。
 〈弟の印象画〉という詩に出てくる弟は、尹一柱氏で、その子息が仁石氏だった。
 〈弟の印象画〉は素朴だけれど惹かれるものがある。
 あかい額というのは陽にやけた赤銅色であるだろう。
 この詩の書かれたのが一九三八年であったことを思うと、 「大きくなったらなんになる?」という兄の問いに「人になるの」と無邪気に答えた弟に、今の状態では人間にすらなれまいという暗然たる亡国の憂いがきざして、まじまじと顔をみつめるさまが伝わってくる。
 時移り、一柱氏はりっぱな〈人〉に成っても、兄の仕事を跡づけ、今見るような形にしてくれた人で、ゴッホにおける弟テオのような役目を果した。
 たった一度お目にかかったきりで、一九八五年に逝ってしまわれたが、その印象はきわめて鮮かで、私の視た、最高の韓国人の一人に入る。
 子息の仁石氏は、留学生として日本に来ていて、現在はソウルへ帰国し、成均館大学・建築工学科の助教授になられた。 
 中村屋でライスカレーを食べながら話したのだが、その折、きれいな日本語で、 「(容姿が)ぼくは父にはまさると思っていますが、伯父(尹東柱)には負けます」 と、いたずらっぽく笑った。
 静かだけれど闊達で、魅力的な若者だった。
 そしてまた、 「伯父は死んで、生きた人だ――とおもいます」 とも言われた。
 私も深く共感するところだった。人間のなかには、稀にだが、死んでのちに、煌めくような生を獲得する人がいる。
 尹東柱もそういう人だった。
 だが、彼をかくも無惨に死なしめた日本人の一人としては、かすかに頷くしかなかったのである。

 わたしにこれららのことを教えるきっかけになったのは、野上龍彦氏であった。
 しかし、多くの人は、その日、彼の存在を意識することなく、その飲み会を去った。
 そのうちにひとりは、自分にかつ目せよとわめいた。
 だれが、かつ目するものか。
 
 あなたは、そうやって尹東柱さえ知らずに死んでいくのだ。

 おろかしさと気高さが、猥雑な飲み屋の空間に雑居していてそのわずかな隙を突いて、わたしは見た。

ラベル:

2007年8月6日月曜日

新しい人との出会い

ある飲み会で筑摩書房の元編集者だった野上龍彦氏と話しこんだ。

いまは、「オフィス とんがらし」にかかわっているという。

彼との話は人物の話に終始したが、茨木のりこ、清水哲夫、山田正弘、塩見鮮一郎…と続いたが、
その最後に高田渡と伊勢やでよく飲んだ話を聞けた。

飲み友達でよく渡から電話がかかってきて、
野上さんは会社から駆けつけたものだ、とワラっていた。
そうして、最初から最後まで詩の話をしていたそうだ。

渡がね「ごめんなさい!!」と、菅原克己の「ブラザー軒」を改作したことを言うんだよ。

なんて、いい話を聞かせてくれました。

そして、最後に李政美のことを話し出すのです。
野上さんは、いま「オフィス とんがらし」を通して彼女の歌を広めたいと思っている。
いい歌だという。
その先には、あの金敏基がいる。

さらに尹東柱について語ってくれた。
夭折の彼をわたしは知らなかった。

このようにわたしは未知の海を歩いている。
既知を頼りに。
既知におもねることなく、身体を柔らかく、未知や異物に出会って生きたい。
生まれ変われれば、サイコダイバーになってもいいさ。

いく人かのわたしの中にいる人びとをリフレッシュしてくれた野上さんに感謝。
そして、新しき李政美に会わせてくれたことに感謝。
尹東柱に会わせてくれたことに感謝。

自分が自分がと思っていると大切な人を見失うし、出会いもできない。
身体を硬くしていては、何者にも出会えないのだ。

世の中には、確かにくだらん奴もいる。
しかし、くだらなく見えて、そうでない者もいる。

身体を硬くして、自分が自分がでは、それが見えてこない。

哀しいことだ。

大事なことを言っておこう。

身体を硬くして、自分が自分がと叫んだりわめいたりする人間に近寄ってはいけない。
自分まで身体が硬くなってしまう。
硬くなった身体をやわらかくするには、これはこれで手間仕事になる。

懐かしいものと醜いものを見たある日の飲み会だった。

ラベル:

2007年8月4日土曜日

そういえば…

三重には、桑名の花火大会というのがあったが、
その花火を見にいったときにふだん何も買ってくれない親父がたこ焼きを買ってくれたことを思う。
人ごみの中で食べたあのたこ焼きを思うと今では胸が詰まる。
懐かしく思い出した頃もあったのだろうが、
いまは違う。


過去もまた変節するのである。

ラベル:

2007年8月3日金曜日

そういえば…

淡い恋のような夢を見た。

ばかだね…

女性が並んでいた。
一般的、抽象的に。

わたしは、彼女たちを端から数え始める。
1、2、3…というふうに。

なのに、途中、ある女の前で、そのカウンティングは中断されるのだ。

そのときは、もうその女は、わたしには少女のようにも、花のようにも、氷のようにも……

一般的抽象性が個別的具体性に変じていく凝縮された時間――
名付けの瞬間を感じながら

数を呼べないわたしは泣き崩れていくのだった。

わたしでは、なかったかもしれないのだが――

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分子料理法

ブルータス5・15号でも取り上げられた世界料理教室での分子料理法なるものが気になっていた。

分子料理法では、あらゆる料理は物理化学の"式"で表せるそうである。
それはそうかもしれない。

この事実を発見したコレージュ・ド・フランス教授エルヴェ・ティスはその4要素と4つの状態を置き換えている。
料理を「想像力あふれる知的ゲーム」と考えるわけである。
ほんとうかね。

食材の状態
G・・・気体
W・・・液体
O・・・油脂
S・・・個体
分子活動の状態
/・・・分散
+・・・併存
⊃・・・包含
σ・・・重層

料理はこれで表せる。
表せるかもしれないが、それですべてなのだろうか?
つまり、落としてしまった要素の中に真に重要なものはないか、という問である。
認識論的障害はないだろうか、という不安である。

教授自身はシェフではないので、フェラン・アドリアや現在のパートナー、ピエール・ガニェールが彼の理論をコラボレーションによって具現化し、定番を異化している、となるのだが、異化とは恐れ入るではないか?

彼らの云うように人類は「地球上の食材を食べ尽くし、手持ちのカードがなくなっ」てしまったのかも知れない。
食材だけに注目すればという条件では。
食材以外に料理の条件はないのだろうか?

ダニエル・ガルシアの手法もエルヴェ・ティスの理論も、あるいはフェラン・アドリアの「エル・ブリ」も何か刺激的な部分を持っていて、クリエイティヴィティの何かに訴えてくる。
それが、彼らを否定する方向にあるかもしれないということだ。
全面的ではないにしろ。

覚書程度のこの文章は、疑問のみで占められており、
腰の据わっていないものであることを最後にお詫びします。

陳謝

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2007年8月2日木曜日

三大ハム


世界三大ハムといえば、
プロシュット・ディ・パルマ(イタリア)
ハモン・セラーノ(スペイン)
金華ハム(中国)
ということになるが、金華ハムは生ハムではないのでこの三つの取り合わせには少し不満が残る。
二大生ハムとしてプロシュットとハモン・セラーノを取り上げるのがわたしに合っている。
で、この二つだが使用する豚を飼育する際にどちらかがどんぐりを与え、どちらかがチーズを与えることで知られている。ただし、チーズといっても本物のチーズではない。
ホエーを食べさせているのだ。
で、ふたつのハムともかなりしょっぱい。
だからといって、まずいわけではない。世界二大生ハムなのだから。
塩というものがもつ、うまみを引き出す力は計り知れない。
このふたつの生ハムを食すときにしみじみ思う。

ところで、わたしの好みだが、
わたしは白豚の後脚だけから作られる、
あのスペインの寒さ厳しい山間部で場合によっては数年間も風乾して作られる、
どんぐりの風味を感じさせるハモン・セラーノが好きだ。

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2007年8月1日水曜日

さらに「消えた天使」

この映画のコピーは、売らんかなとして書き綴ったムービーアイ(配給)の恥ずかしいものなのだが、
この映画「消えた天使」を謳う彼らの「信じられない結末」というコピーは、
それほど恥ずかしいものではない。

試写会を見終わって、わたしの前の階段を下りていく二人のご婦人は居丈高に
「あんな結論は見えていたわよ」
などとほざいていたが、
それは、あなたがたがあほなだけだ。

演芸ブーム、落語ブームと云い、わたしもよく出かけるが、
あの寄席で、この話の結末はどうなるだとか、
このくすぐりはこうなるだとか話しているクソたちを思い出してしまった。
昔の寄席は、それとわかる聞き上手がいて……

すまない、話を戻します。(講談調の司馬風のようにいえば「閑話休題」だが)

あのラストは犯人をあぶりだすために用意されたものではない。
よく見てみなさい。

アンドリュー・ラウがそんなちんけな仕掛けをするものか。
ただし、アメリカの現状をよく知らないものたちには、わたしも含めてなのだが、
うまく落ちない秀逸な仕掛けではある。

だとしてもあの階段を降りるおしゃべりな女たちを許すわけにはいかない。

あいつらが……

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消えた天使

アンドリュー・ラウのハリウッド進出第一作で評判の「消えた天使」を見たが、
あのタイトルは、原題の「 THE FKOCK 」のほうが、数段恐ろしく、数段優れている。
もしも、この映画が日本で残らないとしたら、それは、邦題のせいだ。
もちろん、
この作品が現代アメリカとの現実適合性を持たないとしたら、邦題云々どころではないが…
そのくらい、ほんまかいなというおどろおどろしさをもった作品だった。

細かいことを言えば、「セブン」の照明の持つたくらみが継承されていて、
なるほど「セブン」は名作だったとわからせる仕組みにもなっている。
もっともそのことをアンドリュー・ラウが意識していたかどうかはしらない。
優秀な創作者は、そういうことをたくまずしてやってしまうものだ。

さらに厳しいことを付加すれば、この映画は「セブン」に遠く及ばない。
それは、クレア・デインズとグゥイネス・パルトロウの比較によるものではない。
ある種のサービスがそこになされていないからだ。

そのことは悪いのだろうか?

どうだろう。
とにかく、
いい映画が必ずしもいいとはいえないことは確かだ。

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