小三治の「砂山」
10代目柳家小三治、郡山剛蔵は、当代きっての落語家である。
もし、そうでないと思うなら、それは客であるあなたのせいか、その日の小三治の出来が悪かったせいである。
めぐり合わせとは恐ろしい。
できの悪い小三治に会ったあなたは、そのまま10代目小三治と会わずに終わってしまうかもしれない。
ところで、本日の話は、落語ではない。
小三治の歌である。
「歌・ま・く・らーぼくは歌のすきな少年だった 」というCDも出しているくらいだから、
ご存知の方も多かろう。
高座で歌うしね。
その小三治の「砂浜」を高座でを聴いたことがある。
「砂山」は姦通罪で名高い(姦通罪もいい話だが、白秋先生、見るべき点はもちろんほかにも多々ある。)
北原白秋の手になるものだが、
プロの何たるかを教える詩である。
Simple and Deep といえばいいか。
で、この詩に二人の著名な音楽家が曲をつけた。
人口に膾炙するのが中山晋平作。
これはこれでよい。
問題はもう一方。
曲をつけたのは山田耕作。
これが傑出している。
中山作の長調に対してこちらは短調。
日本海のその風景を映し出してこの上ない名品に作り上げた。
この山田耕作の「砂山」が、小三治のマクラにすっぽり収まる。
客は、ただ黙って高座を聴く。
うなるしかあるまい。
それは童謡でありながら、上質な小三治噺に仕上がっている。
この歌を聴いた帰り道、わたしは何度もうなった。
「小三治にはかなわない。」
なぜなら、わたしもまた噺家を、あるいは表現者を自負しているからだ。
参った参った、と思った。
10代目柳家小三治、いま旬の噺家であり、落語家です。
心あるならば、高座の彼に出会ってほしい。
「砂山」 北原白秋
海は荒海、向ふは佐渡よ、
すずめ啼け啼け、
もう日はくれた、
みんな呼べ呼べ、
お星さま出たぞ。
暮れりや、砂山、
汐鳴りばかり、
すずめちりぢり、
また風荒れる、
みんなちりぢり、
もう誰も見えぬ。
かへろかへろよ、茱萸原わけて、
すずめさよなら、
さよなら、あした、
海よさよなら、
さよなら、あした。
もし、そうでないと思うなら、それは客であるあなたのせいか、その日の小三治の出来が悪かったせいである。
めぐり合わせとは恐ろしい。
できの悪い小三治に会ったあなたは、そのまま10代目小三治と会わずに終わってしまうかもしれない。
ところで、本日の話は、落語ではない。
小三治の歌である。
「歌・ま・く・らーぼくは歌のすきな少年だった 」というCDも出しているくらいだから、
ご存知の方も多かろう。
高座で歌うしね。
その小三治の「砂浜」を高座でを聴いたことがある。
「砂山」は姦通罪で名高い(姦通罪もいい話だが、白秋先生、見るべき点はもちろんほかにも多々ある。)
北原白秋の手になるものだが、
プロの何たるかを教える詩である。
Simple and Deep といえばいいか。
で、この詩に二人の著名な音楽家が曲をつけた。
人口に膾炙するのが中山晋平作。
これはこれでよい。
問題はもう一方。
曲をつけたのは山田耕作。
これが傑出している。
中山作の長調に対してこちらは短調。
日本海のその風景を映し出してこの上ない名品に作り上げた。
この山田耕作の「砂山」が、小三治のマクラにすっぽり収まる。
客は、ただ黙って高座を聴く。
うなるしかあるまい。
それは童謡でありながら、上質な小三治噺に仕上がっている。
この歌を聴いた帰り道、わたしは何度もうなった。
「小三治にはかなわない。」
なぜなら、わたしもまた噺家を、あるいは表現者を自負しているからだ。
参った参った、と思った。
10代目柳家小三治、いま旬の噺家であり、落語家です。
心あるならば、高座の彼に出会ってほしい。
「砂山」 北原白秋
海は荒海、向ふは佐渡よ、
すずめ啼け啼け、
もう日はくれた、
みんな呼べ呼べ、
お星さま出たぞ。
暮れりや、砂山、
汐鳴りばかり、
すずめちりぢり、
また風荒れる、
みんなちりぢり、
もう誰も見えぬ。
かへろかへろよ、茱萸原わけて、
すずめさよなら、
さよなら、あした、
海よさよなら、
さよなら、あした。
ラベル: 演芸
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