尾崎豊
1985年夏、尾崎豊19歳にして3万人もの若者を集めた大阪球場での伝説のライブ。
そのライブの大まかな模様を昨夜、NHKが流した。
わたしが、尾崎の映像を見るはじめてだった。
19歳の尾崎。
すでに死が色濃くその身体に刻印されていたのではなかったか。
壊れ物のような身体を持った尾崎は、壊れ物のような声で観客に、おそらく誰かに語っていた。
「シェリー」
とはだれだったのだろうか―
彼が歌うとき、シェリーは立ちあらわれたのだったが、
彼の歌が流れていくときにはゆっくりと退場していくだれか
尾崎の声は、しばらく残るのだが、シェリーはいなくなる。
そんな具合だった。
尾崎の歌は俺の手を離さないでくれというが、シェリーはいつまでも手を握ってくれてはいない。
そんな具合だった。
稀有な歌い手であると同時に生きていくに従い、失っていく人。
美しいものをみた。
尾崎の歌を誰かに並べてはいけない。
尾崎を何ものかで表現してはいけない。
本人自身も触れられないような造形物。
映像はそのように流れていた。
最後の観客へのあいさつ――
はじめて聞きました、あんなにも聴いてくれた人への感謝を述べたあいさつを。
歌い手が聞き手より上だ、客体者は主体者に劣る、と誰が言った。
そういうわたしの思いをもう一度考え直してみたいステージだった。
美しきこわれもの。
その有様は、尾崎豊のものでさえない。
あの日、それは捧げもののようにそこにあった。
そのライブの大まかな模様を昨夜、NHKが流した。
わたしが、尾崎の映像を見るはじめてだった。
19歳の尾崎。
すでに死が色濃くその身体に刻印されていたのではなかったか。
壊れ物のような身体を持った尾崎は、壊れ物のような声で観客に、おそらく誰かに語っていた。
「シェリー」
とはだれだったのだろうか―
彼が歌うとき、シェリーは立ちあらわれたのだったが、
彼の歌が流れていくときにはゆっくりと退場していくだれか
尾崎の声は、しばらく残るのだが、シェリーはいなくなる。
そんな具合だった。
尾崎の歌は俺の手を離さないでくれというが、シェリーはいつまでも手を握ってくれてはいない。
そんな具合だった。
稀有な歌い手であると同時に生きていくに従い、失っていく人。
美しいものをみた。
尾崎の歌を誰かに並べてはいけない。
尾崎を何ものかで表現してはいけない。
本人自身も触れられないような造形物。
映像はそのように流れていた。
最後の観客へのあいさつ――
はじめて聞きました、あんなにも聴いてくれた人への感謝を述べたあいさつを。
歌い手が聞き手より上だ、客体者は主体者に劣る、と誰が言った。
そういうわたしの思いをもう一度考え直してみたいステージだった。
美しきこわれもの。
その有様は、尾崎豊のものでさえない。
あの日、それは捧げもののようにそこにあった。
ラベル: 作品
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