2007年8月11日土曜日

尾崎豊

1985年夏、尾崎豊19歳にして3万人もの若者を集めた大阪球場での伝説のライブ。

そのライブの大まかな模様を昨夜、NHKが流した。
わたしが、尾崎の映像を見るはじめてだった。
19歳の尾崎。
すでに死が色濃くその身体に刻印されていたのではなかったか。

壊れ物のような身体を持った尾崎は、壊れ物のような声で観客に、おそらく誰かに語っていた。

「シェリー」
とはだれだったのだろうか―
彼が歌うとき、シェリーは立ちあらわれたのだったが、
彼の歌が流れていくときにはゆっくりと退場していくだれか

尾崎の声は、しばらく残るのだが、シェリーはいなくなる。
そんな具合だった。

尾崎の歌は俺の手を離さないでくれというが、シェリーはいつまでも手を握ってくれてはいない。
そんな具合だった。

稀有な歌い手であると同時に生きていくに従い、失っていく人。

美しいものをみた。
尾崎の歌を誰かに並べてはいけない。
尾崎を何ものかで表現してはいけない。
本人自身も触れられないような造形物。

映像はそのように流れていた。

最後の観客へのあいさつ――
はじめて聞きました、あんなにも聴いてくれた人への感謝を述べたあいさつを。

歌い手が聞き手より上だ、客体者は主体者に劣る、と誰が言った。
そういうわたしの思いをもう一度考え直してみたいステージだった。

美しきこわれもの。
その有様は、尾崎豊のものでさえない。

あの日、それは捧げもののようにそこにあった。

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