2007年8月7日火曜日

不思議なもので…

最近、気になっていた趙博を追いかけていたら、これまた、わたしの贔屓にしていたマルセ太郎に行き着いた。
不思議なもので、こうやって、歩いてきた道のようにたどっていけてしまう。
おそらくは、歩み自体はずいぶん遅いのだろうが…。

しかしながら、それでも、その歩調で、歩くしかないわけで、
それを放棄するならば、自分とつき合うのを止めることを覚悟することだ。
そういう人間は、ごろごろいる。
そして、何も考えないのならば、それはそれで十分に楽しいのだ。
うそではない。
どちらの側に自分がいるかよく知ることだ。

その遅い歩みで、趙博と李政美がマルセ太郎の棺の前で歌ったことを知る。
いずれ近いうちにこの二人には会うことになる。
そう感じている。

いくら遅過ぎてもいい。

会っておかなければならない人には会っておきたい。
生身のその人に会っておきたい。

この世で会っておかねばならない人はそんなに多くはない。
心して機会を逃さぬことだ。

さらに言っておけば、どうでもいい奴に会う必要はない。
捨ててしまえばいいのだ。

何度か会ったからといって、そいつとこれからも会う必然性はない。
それは、そいつが誰とつきあっているかを見ればよくわかる。
正しくは、何とつきあっているかを見ればわかる。

会うべき人は、ひとえに生命体としてそこにある。
そういうものだ。

そして

生命体とは何か ?

それは一様ではないのだから、個々人で考えればいい。

このことに何の興味もわかなければ、それだけのことだ。

わたしとは生きる場所が違う。
それだけのことだ。

バャ・コン・ディオス

すぎた別れの言葉だが、送っておこう。

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