2011年7月31日日曜日

この問題だけはしばらくマスコミからも消え去らないだろう

ラベル:

取次ぎが委託配本拒否(サイゾーより)

日々、テレビや新聞から流れている「ベクレル」「シーベルト」という言葉。感覚がすっかり麻痺しているが、本来ならそれらの言葉が耳馴染みになってしまっていること自体が異常なこと。「3.11」直後の情報が錯綜していたころに比べればメディアも落ち着いたが、東電や政府から情報が「後出し」されたり、政府や大手メディアの出す「情報」の信憑性が疑われ続けている。なぜ、こんなことが起こっているかといえば、それは原子力発電(以下、原発)自体が巨大な利権になっているからだ。では、原発はいつから利権になったのか。その謎を解く本が『東電・原発おっかけマップ』(鹿砦社)である。

 本書は「東電編」「永田町編」「霞が関編」「学術・メディア編」という章立てで構成されており、原発稼働・保持に"尽力"した関係者の経歴や、原発との関わり方が詳細にサポートされている。一見、それぞれの立場での権力闘争の様相だが、ちょっと見方を変えれば「原発を誘致、利権化した人たちの歴史」という縦軸と、「現在、その利権に群がっている人たち」という横軸が交差し、原発問題の根幹に肉迫した1冊となっている。

 「原子力の父」とも言われ、日本に原発を持ちこんだと言われる読売新聞社主・正力松太郎(1885~1969)。関東大震災直後に「朝鮮人暴動の噂」を流布したとも言われ、戦時中は大政翼賛会総務を務め、戦後はA級戦犯として巣鴨プリズンに収監されていた。釈放され、衆議院議員に当選した彼にとって、最大の関心事は「日本を共産化から守ること」であり、原発はそのためのコマでしかなかった。

 正力同様に、戦後、国づくりの礎として原発を求めたのが中曽根康弘だ。「安定的な電力がなければ、日本は農業と水産業だけで欧米列強に肩を並べられない」という概念は、原子力を夢のエネルギーに見せていたのだろう。

 そして、その原発を「利権」という名の錬金システムに変えたのが、田中角栄である。電源三法と呼ばれる3つの法律を成立させ、交付金や補償金という多額の金が原発立地に落ちる仕組みを作り上げた。

 本書を読み進めるうちに、利権が巨大化し、東電社内の権力闘争、メディアと電力会社の癒着、経済産業省の天下り、文化人・学者の懐柔と多岐にわたる問題をはらんでいったことが分かるだろう。

 本書を出版した鹿砦社の松岡利康社長は「フクシマでは多くの人が避難勧告を受け、故郷を失った。不浄な原発マネーを貯め込んでいる"戦犯"に反省してもらう必要がある」という決意のもと、関係者のプライバシーに踏み込んだ内容を記載している。そのため、取次各社から委託配本を拒否されるという異常事態まで引き起こした。『ジャニーズおっかけマップ』でジャニーズ事務所と裁判をした時や、『厚生省おっかけマップ』『大蔵省おっかけマップ』『あぶない銀行おっかけマップ』を出版した際でも拒否されなかった委託配本。まさに「禁断の書」というべき1冊に書かれた、フクシマを巡る"真実"をぜひその目で確かめてもらいたい。

※委託配本=書籍の新刊発行時に各取次会社が発行部数の大半を書店に適宜配本する制度。日本の出版界は長年この下にやってきた。本書はトーハン、日販に委託配本を拒否されたことにより、委託配本されたのは発行部数の1割ほどにすぎなかった。

ラベル:

この国が率先してやっていたのなら

税金を上げると言われてもにわかに「そうか」とは反応しづらいな。


保安院やらせ 人心を一新し独立機関に

「国民に対する背信行為」と厳しく指弾されても仕方がない。

 原子力発電所の安全を監視する経済産業省原子力安全・保安院が、原発のシンポジウムで「やらせ」を指示していた問題である。

 2006年と07年に経産省が主催して開いたプルサーマル計画に関するシンポジウムで、保安院は中部電力と四国電力に対し、反対派の発言だけにならないよう質問を作って地元住民に発言させるなどの依頼をしていた。

 中立・公正であるはずの機関が、原子力政策に反対する人々を押さえ込む世論操作にかかわっていたことになる。

 福島第1原発事故以来、高まる原子力行政への不信を決定的にする深刻な事態である。もはや保安院は存在意義を失ったと言える。

 政府は事実関係を早く明らかにするとともに、保安院を経産省から切り離し、人心を一新した独立機関として再出発させる必要がある。ウミを出し切り、職員の意識を改革することが重要だ。

 保安院は東海村臨界事故がきっかけで、01年の省庁再編に合わせて当時の通商産業省が科学技術庁の原子力安全局を取り込む形で新設された。

 米国の原子力規制委員会のように独立機関にして強い権限を持たせる構想もあったが、通産省が原発推進の足かせになるとみて反発し、今の形になったという。

 保安院は中立・公正をはじめ、業務の透明性、強い使命感など四つの行動規範を掲げている。国民の安全を最優先し、厳格な規制を行う、との立場である。この規範通りなら今度のような問題は起こるまい。しかし組織上、原発を推進する経産省に属していては困難だ。人事異動では規制する側から推進役になることもある。

 民主党政権は霞が関改革を看板にしていたはずである。厳正、強力な中立機関に変えることを急がねばならない。

 ここまで保安院と電力会社とのなれ合いがひどいと、いくら安全だと言っても地元からは信用されまい。休止中の原発再開の同意を得るのは難しくなった。

 今度の問題は九州電力のやらせメール問題に関連して、経産省の指示で電力各社が行った社内調査で明らかになった。少し前なら監督官庁の不利益になることを公表するなど考えられなかったろう。

 電力会社の信頼回復は法令順守に忠実であることが大前提だ。監督官庁とのなれ合いを一掃し、緊張関係を保たねばならない。

ラベル:

2011年7月30日土曜日

評判になってきましたね

マスコミはこの問題を大々的に取り扱えない。
それが、この国の実態です。

ラベル:

福島の母たちの胸は張り裂けそうです

政府、東電の補償を求めて抗議の声を上げる福島からの自主避難者たち。(29日、文科省前。写真:筆者撮影)

「危なければ、自主避難すればいいではないか」という言いぐさがありますが、それはあまりにも部外者の言い方過ぎるでしょう。
部外者は、引っ込んでいろということです。

ところで、東電や政府は当事者なのにいつまでも部外者気取り。
この国には、部外者があふれ、形だけのお悔やみを申し述べているのみです。
花火の自粛や「東北ガンバレ」にどれだの真実があるのでしょうか。

では、真実とは何かと問われますでしょうか。
その問いが、まさに部外者の発想ではないでしょうか。
あなたにとっての真実は貸衣装屋には売っていないものです。

以下は、田中龍作ジャーナルより。

 福島第一原発事故による損害賠償の範囲を決める「原子力損害賠償紛争審査会」の中間指針は来月5日にも決まる予定だ。ところが高濃度の放射性物質に汚染された危険地帯でありながら、避難地域に指定されていない地帯から脱出した避難者は損害賠償の対象とならない可能性が高くなっている。

 大詰めの中間指針案が提示された29日、福島からの自主避難者が紛争審査会を所管する文科省前で抗議の声をあげた。

 福島市から山形県米沢市の雇用促進住宅に子供を連れて避難した女性はシングルマザーだ。子供は小学5年生(11歳・男)と3年生(8歳・女)――

 「お金はなかったが子供の安全が大事だと思ったので避難した。去年の今頃は川原で水遊びをしていた。もう2度とできない。あの事故がなければオジイちゃん、おバアちゃん、そして友達もいた。避難したくて避難したわけではない。にもかかわらず『勝手に避難した』という扱いを受けるのは納得できない。援助があれば踏み出せるお母さんはたくさんいる。除染してもすぐに新しい放射能が降り積もる。除染する金があったら子供たちを避難させて下さい」。

 行政の援助や東電からの仮払いがない。これが自主避難者を苦しめていることを改めて思い知らされるメッセージが届けられた――

 「子供をガンにしたくて産んだんじゃない。借金して夜逃げしても避難するしかない」。メッセージを寄せた母親は福島市から関西に避難した。

 抗議集会には首都圏在住の母親たちも応援に駆け付けた。埼玉県在住の女性は3歳(女)と1歳(男)の子供を連れて参加した。彼女は原発事故直後の3月15日から5月の連休明けまで子供を連れて実家の熊本に身を寄せていた。「福島にまだ子供がいるなんて考えられない」と顔を曇らせた。

 別の埼玉県在住の女性はネットで抗議集会を知った。「福島県の人々は全員補償すべき。コンパスの円で区別するなんてホントに狂っている」と憤りを隠せない様子だ。彼女は福島県庁に抗議の電話を入れたという。「山下(俊一・福島県立医大副学長)の話だけ一方的に聞かせるんじゃなく、小出(裕章・京大原子炉実験所助教)さんの話も公平に聞かせて住民に判断させてほしい」。

 食物汚染の次に来るものは人間の健康被害だ。福島市内の子供の尿からは放射性物質セシウムが検出されている。子供の健康被害をこれ以上深刻化させないためにも一刻も早く避難させなければならない。役所や学者の判断を待つのではなく政治家が決断して動くほかはない。時間との戦いになっている。

ラベル:

梅雨に逆戻りなのだろうか

こういう天候をわたしはあまり嫌いではないが、そんな悠長なことを言っておられない地方もあるようだ。

このところの自然の荒れ狂い方は地球全体を見ても度を越しているように見えます。
みなさんもお大事に。

ラベル:

2011年7月29日金曜日

当事者の怒り

ラベル:

こういうことですね

ラベル:

一頭5万円なり

セシウム汚染の肉牛を国が一頭、五万円で買い上げるという。

国の責任か東電の責任かは議論があるこの汚染牛。
いまのところ、酪農家の責任という形を取っています。

原発を設置する際、原発を再稼動する際、常套文句の「国が責任を持つ」。
彼らの責任とは、具体的にはこの一頭五万円の支給です。

この五万円が酪農家にとっていかに微々たるものかはお調べになってみるといいい。
一方、原発を設置する際にその受け入れ地方に放り込んだ資金の額をチェックしてみるといい。

もう滅茶苦茶をやっております、この国は。
その国が原発はまたぞろ安全だと言い始めているのです。

そんなにも原発利権が大事なのでしょうか。
大事なんでしょうね。
多くの子どもの命を危険にさらしてまで。

ラベル:

2011年7月28日木曜日

東電OL殺人事件の噂話

渡邊女史の父も東電幹部であったが在職中に病死。この父娘の死には原発の影がつきまとうという。渡邊女史の父は東電公務部統括する幹部だったが当時「明るい未来のエネルギー」として期待されていた原発事業にも関わる立ち場にいた。しかし高圧の地中送電線を東京都内に引く責任者を務めてからは反原発に転じ、社内で原発の危険性を説くようになり、副部長という役職からたった1年で降格。翌年ガンで急死・・。その2年後に予測されたかのようにスリーマイル事故が起る。

 当時慶応2年生だった泰子を、東電に引き入れたのはあの勝俣だったという。そして泰子は勝俣が当時企画部長を務めた企画部経済室へ。そこには現在副社長を務める企画管理課長藤原氏もいる花形部署だった。しかし勝俣、藤原の思いとは裏腹に泰子は父の意思を継ぎ、反原発へ。そのリポートは賞を取る程すぐれたものだったという。

 そして・・渡邊親子が警告を発し続けたプルサーマルが本格稼働した1997年、泰子は売春婦として殺され闇に葬られた。泰子の死の翌年、勝俣は常務取締役になり、原発推進事業が加速し、今に至るという。

 泰子を殺した犯人は売春客だったネパール人(実刑確定済み)とされているが、冤罪の可能性が高く、捨てられた泰子の定期など矛盾点も多い。東電の圧力で報道規制をかける事も可能だったろうこの事件。OLではなく管理職だったにも関わらず「売春婦」として報道が垂れ流された、その理由は何なのだろうか。

ラベル:

中国高速鉄道事故

中国の鉄道事故の問題についてマスコミが楽しげに取り上げている。
取り上げるポイントは、それはそうなのだろうという納得のいくものなのですが、他国の事故に対して勝ち誇ったように報道したりコメントしたりする者たちに、何かしら、しらけた気分にさせられてしまいます。

この国のマスコミにおける自国の問題についての報道の甘さと見えてこない事実への追求のなさへの思いからです。
テレビの報道をチラリと見て、やはり、この国のマスコミの重心は低くチャラチャラ踊っているだけなのだと思い知らされます。

ラベル:

2011年7月27日水曜日

脱原発にもいろいろあって

電力使用量は変えずに脱原発を願うのなら代替エネルギーが必要になる。
今のところ火力と水力で十分らしいけれど。

ところで、脱原発を唱える人の中には別の人がいて、そもそも電力使用量が異常に大きいという立場を取る人もいます。
つまり、つつましやかな生活でいいではないかという問いかけです。

この立場は、便利さと逆行する発想ですが、今までの人類史でこの逆行は行われたことがありません。
ただし、便利さをよしとしない人々はいました。
アーミッシュまでいかなくても日本や世界の田舎には取り立てて便利になろうと躍起になっていない人は存在します。

ところで、都会に住んでいるあなたは多少なりとも便利への願望を捨てられるお立場ですか?

ラベル:

2011年7月26日火曜日

原因があいまいなところにあるから逃げようとする奴ら たまらない災害です

原発作業員:被ばくでがん 労災10人

 ◇9人は100ミリシーベルト以下

 東京電力福島第1原発事故で収束作業にあたる作業員が緊急時の上限250ミリシーベルトを超えて被ばくするケースが相次いだが、過去にがんを発症して労災認定された原発作業員10人のうち9人は累積被ばく線量が100ミリシーベルト以下だった。遺族からは福島第1原発の作業員を案じる声が上がる。 

 厚生労働省によると、10人は作業中に浴びた放射線を原因として労災認定された。内訳は白血病6人、多発性骨髄腫2人、悪性リンパ腫2人。累積被ばく線量が最も高かった人は129.8ミリシーベルト、残り9人は100ミリシーベルト以下で、最も少ない人は約5ミリシーベルトだった。

 ◇50ミリの息子白血病死 母の怒り

 中部電力浜岡原発の作業員だった嶋橋伸之さんは91年に白血病で亡くなった。29歳だった。神奈川県横須賀市に住む母美智子さん(74)は、体重80キロだった嶋橋さんが50キロにやせ衰え、歯茎からの出血に苦しんでいた姿が忘れられない。

 嶋橋さんは下請け会社で原子炉内計測器の保守点検をしており、累積被ばく線量は8年10カ月間で50.63ミリシーベルトだった。

 死亡の半年後に戻ってきた放射線管理手帳は、赤字や印鑑で30カ所以上も被ばく線量などが訂正されていた。白血病と診断された後も被ばくの可能性のある作業に従事可能なことを示す印が押され、入院中に安全教育を受けたことになっていた。安全管理のずさんさに怒りがわいた。

 「福島の作業員は命を惜しまずやっているのでしょう。でも、国や電力会社は家族の心も考えてほしい。『危ない』と聞いていれば伸之を原発になど行かせなかった」と美智子さん。「何の落ち度もない労働者が亡くなるようなことはあってはならない。上限値はすぐに下げるべきだ」と訴える。

 そもそも原発での被ばく労災が表面化することはまれだ。市民団体「福島県双葉地区原発反対同盟」の石丸小四郎代表(68)は震災前、福島第1原発の作業員6人の被ばくによる労災申請を支援し4人が認定されたが、実名を公表したのは2人だけ。「原発の恩恵を受けているとの思いがあり、狭い地域社会の中で補償支給を知られたくない人が多い」と指摘する。

 がん以外の場合には認定自体に高いハードルがある。福岡市の元溶接工、梅田隆亮(りゅうすけ)さん(76)は79年2~6月に中国電力島根原発(松江市)と日本原子力発電敦賀原発(福井県敦賀市)で働いた。その後、突然鼻血が出るなどの症状が表れ、慢性的な倦怠(けんたい)感が続いた後、00年に心筋梗塞(こうそく)で倒れた。被ばくが原因ではないかと疑念を深め、08年に労災申請したが、認められなかった。累積被ばく線量は8.6ミリシーベルト。再審査を請求している梅田さんは「原発労働者が事業者の都合にいいように扱われている。このままでは自分のようなケースがどんどん生まれてしまう」と懸念する。

 被ばくによる労災認定に明確な基準があるのはがんでは白血病のみ。「年平均5ミリシーベルト以上の被ばく」と「被ばく後1年以上たってから発症」の2点。他のがんは厚労省の検討会が判断する。【池田知広、関谷俊介、袴田貴行、西嶋正信】

ラベル:

中国新幹線事故

中国新幹線事故と原発事故をつないで論じる向きがありますが、それは大きな間違いです。
中国新幹線は、また、このような事故を出すかもしれないけれど、そういう犠牲者の上に次第に技術が実用化されていくといった種類のものです。

くりかえすしますが、原発技術の実用化のためには試行錯誤は出来ないのです。

一度失敗したら、とんでもない惨劇が長いタイムスパンの中に訪れます。
牛肉で驚いていてはなりません。
レンガや腐葉土もその汚染を言われ始めました。
鶏肉や豚肉や魚や野菜はどうなのでしょうね。

もう、そこらじゅう汚染物質だらけです。
けれど、幸いなことに汚染の程度は確率的被害に留まっています。
その確率が、残念なことに若年化するにつれて高まっていくというのが放射線被爆の恐ろしいところです。

もちろん、中国の鉄道事故は悲惨なものですが、それが平和的にさえ見える福島の原発事故なのでありました。

ラベル:

子どもたちだけは守りたいものです

原発に関しては国が責任を持つと言っていますが、国の持つ責任とは以下のようなものです。
よくもまあ「責任を持つ」何ぞと言えたものです。

そして、よくもまあ国の「責任を持つ」という発言に安心して原発を稼動させようとするものです。
科学は、これまで一切自分が無力であるという方向で考えてきたことがありません。
(何も考えていない科学者もいっぱいいますが。)
そんな科学者にとって原発は手に負えないと頭を下げることは難しいのでしょう。
それに利権が絡んでいるのですからなおさらです。(とんぼ)

以下は、田中龍作さんの報道です。

子供の「食の安全を確立してほしい」と訴える母親。(25日午後、農水省。写真:筆者撮影)

 内部被曝は福島の子供たちだけに留まらない。セシウム汚染された牛肉が全国に流通していたことが問題となるなか、子を持つ親たちが農水省を訪れ「食の安全」を確保するよう要望した。
うだるような暑さがぶり返した25日昼、霞が関まで足を運んだのは「いのちを守るお母さん全国ネットワーク」の父母たち約10人。

 農水省は生産局畜産振興課の能登俊二課長補佐ら3人が対応した。

 放射能への感受性が強い幼子や就学期の子供を持つ母親たちは、食物を通しての内部被曝が心配でならない。エプロン姿の彼女らは農水省の能登課長補佐らに「汚染された牛肉の販売店名まで公表する」「基準以上に汚染された食品は国と東電が買い取る」ことなどを要望した(※)。

 だが我が子の「食の安全」を願う父母たちの声に、霞が関の縦割り行政が立ちはだかった。

 母親:横浜市の給食に(原発事故)被災地の牛肉が使われていたが…?

 農水省:学校給食については文科省のプログラムのなかで…

 父親:肉の産地を見ても国産としか書いていないが…?

 農水省:産地表示は消費者庁。

 母親:(放射能への)感受性が強い子供たちが口にする物は厳しい数値基準を設けてほしい。

 農水省:それは厚労省。

 父母たちの間からは「バラバラですね。何かあった時にどこが責任を取るんですか?」と声があがった。

 子供の「食の安全」に行政の腰はあまりにも重いと言わざるを得ない。マスコミがそれに輪をかける。「食べても大丈夫神話」を垂れ流すからだ。こんな出来事が横浜市であった――

 ある母親が自衛策のために子供に弁当を持たせた。だが他の児童は給食を食べる。親が共稼ぎだったりすることもあるが、マスコミによる「食べても大丈夫神話」の刷り込みが利いているからだ。子供は肩身の狭い思いをし、7月から学校を休むようになった。

 「縦割り行政の壁を乗り越えなくてはならない」。いのちを守るお母さん全国ネットワークは今後、文科省や厚労省にも要請することを決めた。

 ◇
(※注)     
         「食の安全」確保のための要望書

1. 今まで流通した牛肉の流通ルート、販売店の名前など細かく公表する。

2. 今後、放射性物質に対して感受性が強い乳児・子ども・妊婦などがより安全なものを選べるように基準値以内でも表示を義務付ける。

3. 今後、より細かく食品をチェックできるように各自治体で、独自に食品内放射性物質を検出する機械を購入し、検査できるように国が補助をする。

4 給食や保育園の食事など子どもたちが食べるものに関して、放射線濃度の低い安全
な産地のものを使う。

5. 消費者の買い控えを防ぎ、第一次産業を守る為に、産地の表示を「国産」だけではな
く、もっと細かい「福島県〜市産」「〜県〜市加工」などより細かい県・市までの産地明記の義務づけを行う。

6. 基準値以上に汚染された食品を東電や国が買い取ること。

7・ 大人より被曝の影響を受けやすい子どもたちや妊婦の方の為に、現在の暫定基準値
よりさらに低い“子ども基準値”を設定し、流通経路や、販売方法を工夫する。

ラベル:

スランプなどは誰にもあるもので

志を持った人間にはスランプなどは誰にでもあるものでその都度驚いていたのではきりがない。
スランプかなと思えば、すぐさま深刻さから離れ日常を取り戻すことが肝要であると思っています。

ですから、そんな困った状況になったときのために、あらかじめ意識された日常を形成しておくことは思わぬ戦力になってくれることがあるものです。
その後の作業は、少し厄介で身についた日常を行使しながら、その日常の中で柔軟に工夫して動くことです。

そのうちに身と心のこわばりはいずれほぐれてきます。

日常を作っていくという運動と今自分のもつ日常の中での創意工夫。
小さいことですが、そのような作業だけがふと安心な時間を与えてくれるようです。

夏バテと重なり日常が不安定になるこの時期、お気をつけください。

蛇足ですが、わたしは「ガンバレ」ということばを嫌いますが、「一生懸命」ということばを好みます。
つきつめれば、対象は私事ですから。

ラベル:

2011年7月25日月曜日

すばらしき厚生労働省

厚生労働省さまが福島のみなさんたちにお配りになったパンフレットです。

http://www.mhlw.go.jp/stf/houdou/2r98520000014hcd-img/2r98520000014hdu.pdf

ラベル:

ハーコット


アンズを生食するならハーコットが好きです。

すっかり夏バテのわたしは、冷蔵庫に冷やしたハーコットに少し救われながら生きております。

ラベル:

2011年7月24日日曜日

広がっている脱原発

「防護服の作業員が歌舞伎町に現る・・・」、新宿で原発事故が起きたわけではない。(23日夜、新宿歌舞伎町。写真:筆者撮影)


  原発事故をめぐる国からの支援金の上限を引き上げ、電力会社の無限責任を見直す「原子力損害賠償法の改悪」が26日にも衆院を通過し、早ければ来月上旬に成立する見通しだ。「東電救済法」とも言われる法律の登場を許してはならない、と市民団体や環境団体が23日夜、新宿をデモ行進した。
 
 毎週末全国各地で繰り広げられる脱原発デモは、回を追うごとに参加者の幅が広がっている。この日のデモにはアイドルグループの「制服向上委員会」が参加した。中高生からなる「制服向上委員会」は8月15日に脱原発ソングをリリースする。

 芸能界では山本太郎さん、藤波心さん、漫才コンビおしどりが、テレビ局の圧力と戦いながら脱原発を表明している。俳優の菅原文太さん、西田敏行さんの脱原発表明は若手の芸能人を勇気づける格好になった。「制服向上委員会」の脱原発ソングがそれに拍車をかける可能性もある。

 デモ隊の中には米国人女性グループの姿も。全員、英会話スクールの先生という。そのうちの一人は「ニュクリア(原子力)は危険。アメリカはいろんな国に原発を持ちかけるが、それは嫌い」と顔をしかめた。

 脱原発を表明しづらい立場にある人たち、原発製造国の米国人までが「脱原発」の声をあげ始めた。波紋はますます広がりそうだ。こうした流れを政財界、電力会社、マスコミはどう受け止めるのだろうか。

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途切れてしまった場所

今回の震災を受けた地は必ず復興される。
けれども、福島の復興はほぼ不可能だろう。
福島の歴史は、いったんここで途切れてしまう。

それが、原子力発電所の破綻の意味するものです。

その原子力発電所たちは福島以外にもいくつもあって処理済核燃料を産み出し続けています。
このやっかいなしろものをどうせ戻らぬ土地ならばと福島の原発から北西にかけた汚染のひどい地域に埋没させてしまおうかというようなプランを考える可能性は強いと思います。

福島は踏んだり蹴ったりだが、どうしようもないのだろうか。
チェルノブイリではどうしようもなかった…

育った土地を捨てる苦悩を都会の人々は知らない。
都会の電力を生産したがために福島では時間が凍結されていくのだろう。

ラベル:

気狂いピエロ


つい先ごろ見た「勝手にしやがれ」もそうだが、ゴダールの映画に明確なストーリーはない。
いつまでたってもカタルシスは訪れず、ただ刺激的なセリフと映像が脈絡もなく突きつけられる。
観客はそれを自由に感じていればいいわけです。

今のハリウッド映画にある決め事は一切なく、それを期待していれば、結局はさっぱりわからないという感想になってしまう。(映画の最終評価は観客にあるのだから)
もちろん作成するゴダールに意思はあっただろうが、その意思をやさしく伝えようとするために鋭利な映像を変えるような愚はしなかった。
そのような伝え方はまやかしで、何も伝わらないと思ったのだろう。

伝わる伝わらないは度返しして、ただぶちまけた、そういう感じの強い映画がゴダール作品の中で残っている。
そして、ある条件下の観客にとってはその映画が異常に迫ってきたりする。

今のわたしにとって、ゴダールの映画は刺激的で、振り返りたくない感情の坩堝に落とし込んだりします。

ラベル:

2011年7月23日土曜日

なでしこジャパンを食い潰す

マスコミにおいて「なでしこ」現象はもはや期限切れといったところではないでしょうか。

ご存知のようにマスコミは対象をおもちゃにする。
あるいは言い方を変えればマスコミは対象を消費する。
このところ一貫した「なでしこジャパン」に対する報道が如何にくだらないものになりさがっていったかを見ていればマスコミの底の浅さは歴然としている。

最後のほうの報道などは見るに耐えられない「なでしこ」報道でありました。

そういうものなのです、マスコミというのは。

翻ってこの震災に対する報道もやはり同じ面をマスコミは持っています。
よくよく見ていれば、(見る必要はありませんが)この震災を食い物にして映像を作っているのがよくわかります。

それをもってして、部外者の有り様はつまらないものだとわたしは嘆くのです。

だからこそ、当事者として震災にかかわろうとする者たちは、直感的にマスコミを避けます。

そういったことを考える意味では今回の「なでしこジャパン」報道は大変にマスコミらしさが出たものでした。

ラベル:

小出裕章×平川克美「ラジオの街で逢いましょうプラス1」

台風で涼しい風が入ってきて、何も疲れていないはずのわたしであったのですが、油断すると眠ってしまうという日々が続いております。
やはり、ただ暑いというだけで人は疲れてしまうものなのでしょうか。

小出先生の意見がよく出てくるようになりました。
これもそんなひとつです。

http://www.radiodays.jp/item/show/200779

そういえば、先日小出先生に海江田大臣の秘書からお話を伺いたいとの要請があったところ、そんな時間はございませんと一蹴されたそうですね。
それが小出先生の政治に対するスタンスなのですね。

わたしも政治を信用していませんが、この国の人々は、健気にもいまだに政治を信用している様子です。
少しは、国民のために動いてくださいね、政治家諸君。

ラベル:

2011年7月22日金曜日

テレ朝での小出さんコメント

ラベル:

いいんでないの

勝手に楽しんでいるんだから…
はめもはずします。
それがどうした文句があるか、てなところでしょうか。

マスコミは勝手に持ち上げて、勝手に落とす。
あんまりマスコミを相手にしなさんな、熊谷さん。

ラベル:

2011年7月21日木曜日

東電OL殺人事件


かつて読んだこの本の緊張感を思い出しました。
長いときをマイナリ氏に過ごさせてしまいました。

東電女性社員殺害事件で無期懲役が確定したゴビンダ・プラサド・マイナリ受刑者(44)は21日午後、第三者が犯行現場に行った可能性を示すDNA型鑑定の結果を告げられ、「徹底的に調べれば、必ず無実の証拠が出ると信じていた」と、拍手しながら喜んだという。
 服役中の横浜刑務所で面会した「無実のゴビンダさんを支える会」事務局長の客野美喜子さん(59)によると、マイナリ受刑者は面会まで鑑定結果を知らなかった。15日に面会したばかりの客野さんが訪れたことに、最初は不思議そうな様子を見せたという。結果を伝えると両手をたたいて喜び、「(母国の)ネパールに『真実は必ず勝つ』ということわざがあって、それを心の支えにしてきた」と話した。(2011/07/21-17:03)

ラベル:

国が安全と認めたところには留まっていただく

「家のローンがあり簡単に避難できない」、主婦は涙ながらに訴えた。(19日、コラッセ福島。写真:筆者撮影)

 公園などの土壌からチェルノブイリ原発事故の避難区域をも上回る放射性物質が検出される福島市。空気線量も国が避難基準に定める年間20mSvを超す可能性が高い地点が広がる。

 「危険な汚染地帯から避難させてほしい」。福島の住民たちが19日、福島市内で政府の現地対策本部と交渉を持った。(主催:子どもたちを放射能から守る福島ネットワーク/フクロウの会/FoE Japan/御浜の会/グリーンピース・ジャパン)

 だが霞が関から出向してきた役人からは、明確な回答は何ひとつ得られなかった。

 住民側からは子供の被曝低減や除染などについて「6項目の要望と11項目の質問」が出された。現地対策本部は返答に窮すると決まって「我々は実施部隊、意志決定はできない」とかわした。要望項目と質問はあらかじめ政府に提出したものばかりだ。政府も判断せず、現地対策本部も答えない。

 公務員の無責任さを象徴するようなやりとりがあった。「給食の食材についてモニタリングを実施する予定はないのか?」との質問項目に現地対策本部は判で押したように「我々は実施部隊、お答えすることはできない」と回答した。

 ところが、ある父親は次のように証言する。「福島産の牛乳を出しているので校長に『不安だから水筒持たせていいか?』と聞いたら、校長は『国が安全だと言っている』と言って突き放された」。

 これでは、どこが責任を持つのだろうか?住民側が問い詰めると、現地対策本部は「健康調査は県がやっている」と答えるありさまだった。

 あまりの無責任さに業を煮やした母親が決然と立ち上がった。子どもたちを放射能から守る福島ネットワークの佐藤幸子さんだ。佐藤さんは正面の現地対策本部席に進み出てペットボトルを突き出した。「今朝、採った尿です。子供たちは被曝してるんです。子供たちの体内被曝を政府が調査してください」と厳しく迫りながら。
 
現地対策本部の佐藤室長が署名と尿を持たずに帰ろうとしたため、母親は追いすがり力づくで持たそうとした。(筆者撮影)

 だが、対策本部の役人はペットボトルには目もくれなかった。さらに彼らが住民の健康などこれっぽっちも考えていないことを示す出来事があった。

 住民票を福島に置いたままで、一時的に学校ごと地域ごと避難する「サテライト避難」はできないものかと、ある父親が質問した。すると現地対策本部・住民支援班の佐藤暁室長(経産省出身)から耳を疑うような回答があった。「自己の判断に基づいて避難して頂くのは結構ですが、国が安全だと認める所については、強制することなく留まって頂くことを施策としてやっていく」。

 政府の本音が出たのである。住民から「危険な所にそのまま居続けろというのか?」「今の発言を撤回して下さい」の怒号が飛び、会場は騒然となった。

 佐藤室長には「避難と1mSvの法定順守」を求める1万3,685筆の署名が提出されたが、持ち帰ろうとさえしなかった。だが佐藤幸子さんが追いすがり、力づくで持たせた。

行政の無策のなかで、あるのは政府と現地対策本部と学校現場が責任をなすりつけ合う構図だけだ。置き去りにされる子供はたまったものではない。

(田中龍作ジャーナルから)

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民間に牛肉の検査依頼急増 消費者やスーパーから

福島県の畜産農家は今回の事件で壊滅するかもしれない。
国は彼らをどう補償するのか。

消極的であれ原発を認めてきたわれわれにまったく責任がないとは言えない。
政府や一部の御用学者が言うように少しくらい食べても問題ないというのなら、汚染牛は流通させてもいいのではないか。
ただし、その被爆度は提示しなければならない。
はてさて誰か買うのだろうか。

福島ガンバレといってきた人は買ってくれるだろう。
御用学者は家庭で食べてくれるだろう。
石原君は都庁の食堂に採用してくれるだろう。
東電の社員食堂も政治家諸君も食べてくれるに違いない。
大量に食べなければいいのだそうだから。

とにかく放射線量に対してこの種のヒステリックな反応をとっている限りは福島の第一次産業の崩壊は近い。
その崩壊は、福島だけにとどまらないだろう。

いまや、この国の安全は子どもたちだけのためにしか存在しない。
それが、3・11以降のこの国の姿です。

安全などという言葉を気軽に使いなさんな。
この危険な3・11以降の日本にあっては。(とんぼ)


 本当にこの牛肉は大丈夫なのか―。放射性セシウムで汚染された疑いのある牛肉が全国に流通する中、消費者やスーパーから放射線量の自主的な検査依頼が民間の機関に急増している。検査は国や自治体も実施しているが、機器や人員が足りない状態。多額の費用を掛けて検査機器を自前で購入する生協も現れた。

 「このカレーの肉は安全か」「スーパーで買った肉を調べたい」。横浜市にある民間検査機関「同位体研究所」には汚染牛問題の発覚後、牛肉の検査依頼が急増した。電話などの問い合わせは20日までに150件超。牛肉のサンプルは既に全国から数十個届けられた。

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2011年7月20日水曜日

大人女子

「大人女子」という言葉があるそうで、この場合、自分は女の子だと思っている意識があるのでまだいいかなと思ったりもします。
これは、「大人女子」を30歳40歳になっても自分のことを女の子だと思っている女性と理解してのことですが、まさかきちんと意識もせずに30歳近くになって、自分は大人だと自己認識しながら精神的には女の子だったりするのではないのでしょうね。
それだと、とても困るんです。

まあ、そうは言うものの一方の男たちを見れば、これはもうハッキリといい歳をした大人男子が多く、それもまるっきり精神性の低い男の子そのままだというのが大半を占めます。
そういう大人男子がまさに大人顔をして色々と説教をたれるのは、聞いていて、聞いている自分が情けなくなります。

そういう意味でも小出さんは大人だし、なでしこジャパンの佐々木則夫監督もなかなかに大人で頼もしい。
そういう子どもっぽい大人の佐々木監督を慕うなでしこのメンバーも子どもっぽい大人の女性で頼もしい。

大人になるという作業は残念ながら大人を見ることでしか達成できないわけで、子どもの中でいくらがんばったところで人は相変わらず子どものままでいるよりしかたない。

「ああ、そうか、これが大人か」
と実際に大人を見て、思い知らされることでしか人は大人になっていくことができない。

というわけで昨今はガキが満ち溢れているのですが、このガキというものは、まことにうざったいもので、しばしば勘弁してくれと叫びたくなることもある。

この場合の「ガキ」は、もちろん年齢に関係はない。

今の時代の不幸は圧倒的に大人が少ないことで、そこから必然的に大人へのメタモルフォーゼは困難となる。
自分がいまだに子どもだとしっかりと認識しているうちはまだ対処のしようがあるが、自分が大人だと思っている精神性の低いガキは、いかんともしようがないものです。

…で、「大人女子」とは、本当のところは奈辺に位置するのでありましょうや?

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セシウム汚染の牛

http://youtu.be/nmRU44iNTqA

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こんな記事があった

日本の被曝医療構造はピラミッド型? 切り捨てられる低線量被曝

「週刊朝日」7月29日号
第1位
「福島第一原発"最高幹部"が語るフクシマの真実(後編)『新工程表はデタラメ』」(「週刊朝日」7月29日号)

第2位
「被曝医療 市民の検査はできません」(「AERA」7月25日号)

第3位
「独占スクープ告白『わが子のオシッコからセシウムが出て』」(「週刊現代」7月30日号)

 福島の子どもたちを夏の間だけでも北海道あたりへ「疎開」させる運動を、仲間と始めようと思っている。

 これは先週(7月13日)、大阪・熊取にある京大原子炉実験所へ小出裕章氏を訪ね、話し合ったことがきっかけになった。

 小出氏はかつて原発の平和利用に憧れを抱き、大学で原子力工学を学んだが、その後、原発の危険性に気が付き、現場に踏みとどまり、反原発の先頭に立っている人である。

 小出氏の主張は一貫している。低線量でも人体には必ず影響がある。どんなにわずかな被曝でも、放射線がDNAを含めた分子結合を切断・破壊することは、これまで放射線の影響を調べてきた国際的な研究グループが認めている。

 しかし、時間を戻せない以上、私たち大人は、放射線によって汚れてしまった環境の中で、汚染された食べ物を食べながら生きるしかない。

 だが、放射線への感度が高い子どもたち、原発に何の責任のない子どもたちには、安全なものを食べさせてほしいし、できれば即刻、放射線量の少ないところへ避難させてあげてほしいと語った。私を見つめる目は「深刻」であった。

 「現代」の記事は、福島市に住む子ども10人のオシッコを検査した結果、全員からセシウム134と137が検出されたことを受け、その親たちにインタビューしたものである。

 この報を受けた斑目春樹原子力安全委員長や高木義明文科相は、健康への影響は考えられないと一顧だにしなかった。

 政府のあまりにも無責任な対応に怒り、一人の親は、息子2人を兄の住む街に避難させることを決め、もう一人は、妻と息子を新潟の佐渡へ避難させた。

 彼らが選んだ苦渋の決断は、多くの迷っている親たちに勇気を与えたはずである。

 本来は、県や市町村、もっと言えば、国がやるべきことであるはずだ。しかし、権力争いに明け暮れるバカな政治家たちに期待しても無駄であろう。

 そこで、まずは100人ぐらいの単位で、小学生以下の子どもを北海道へサマーキャンプに行かせ、思う存分自然と遊ばせてあげようという計画である。

 苦しい避難生活ではなく、楽しい疎開生活をさせる。それがきっかけになって、多くの親たちが動き出し、国に疎開を求めていけば、いくら無責任な政治家でも動き出さずにはいられないはずだ。

 親の世代や高齢者は、戦中のようにその場に踏みとどまり、放射能で汚染されたものを食べながら生き抜いていくしかない。それが原発を止められなかった者の責任と覚悟であると、小出氏から学んだ。

 余談になるが、小出氏のところを辞する間際に、電話がかかってきた。そうした時間はないとすぐに切ったが、誰からですかと尋ねると、海江田万里経産相からだと教えてくれた。

 面識はないと言う。菅直人に反旗を翻した海江田が、何用あって反原発のカリスマのところへ電話を寄こしたのだろうか。

 第2位は、読んでいるうちに腹が立ってしょうがない「AERA」の記事である。

 福島県二本松市の三保恵一市長は、独自に放射線量を測っている。原発事故発生当初は毎時5~8マイクロシーベルトもあり、最近は少なくなってはいるが、7月2日は毎時1.30マイクロシーベルトで、福島市や郡山市を上回っている。

 悩んだ市長は、子どもたちの外部、内部被曝を調べ、どういう医療を施せばいいのかを検討するため、ホールボディカウンター(全身測定装置、WBC)で調べてもらおうと、福島県立医科大学付属病院に懇請したが、「一般市民の検査はできない」と、あっさり断られてしまったのだ。アメリカでは、被曝医療は感染症対策と同じように、普通の公衆衛生行政として扱われている。

 拒否した理由は、日本の緊急被曝医療体制にあるというのだ。被曝医療は厚労省ではなく文科省の担当である。

 現在のような緊急被曝医療体制が作られたきっかけは、1999年9月に起きたJCO東海事業所での臨界事故による。多量の放射線を浴びた作業員3人のうち2人が死亡した(この2人のうち、大量の被曝をした大内久さんの、83日間にわたる壮絶な闘病と医師の必死の救命活動を記録した、新潮文庫のNHK東海村臨界事故取材班の『朽ちていった命』をぜひ読んでいただきたい)。

 この事故に狼狽した原子力安全委員会は、「緊急被ばく医療のあり方について」という報告書をまとめ、緊急被曝医療を担う医療機関を、初期的・救急的診察をする原発近辺の医療機関を1次にするなど3段階に分けたのである。

 今回、診察を断った福島県立医大付属病院は2次機関に位置付けられ、断った理由は、原発構内の高線量被曝者や半径20キロ圏内での警察や消防関係者への対応が役割だからだというのだ。

 先の報告書では、放射線によって健康不安を抱く住民への精神的ケアを施すことを促してはいるが、低線量被曝は緊急医療の対象とはしないという原則が明確にされていると、記者は追及している。

 さらに、低線量被曝を切り捨て、ピラミッド型の被曝医療構造を文科省に置いたままにしたのは、原発推進派に都合のいい被曝医療体制の構造作りに医学界が協力したのだと言及している。

 それは今回のように、大人口が被曝し、医療需要が極端に膨れあがったら、その騒ぎだけで反・脱原発の機運を高めることになる。そのことを恐れてのことだろうと推測している。

 数千人以上の被曝者に接してきた肥田舜太郎氏は低線量被曝についてこう語っている。

「微線量でも障害が生じる可能性があることは、海外の医学界の常識です」

 こうした医学界ぐるみの原発擁護と重大な情報の隠ぺい体質が、SPEEDI(緊急時迅速放射能影響予測ネットワークシステム)のデータ一時隠ぺいや、年間20ミリシーベルトの被曝まで許容するという許し難い校庭利用基準が、文科省から福島県側への通知だけで事足れりとすることに表れているのである。

 これほどの事故が起こっても、いまだに原発を守り、東電を存続させようと画策する、政治家、官僚、財界の悪のトライアングルを破壊しない限り、福島の住民はもちろん国民の健康は顧みられることはない。

 今週も第1位は、「朝日」の「最高幹部が語るフクシマの真実」の後編である。

 前編がきっかけとなり、他のメディアも福島第一原発の現状や、工程表のいい加減さを競って取り上げている。

 今回は、東電が4月19日に発表した工程表は、現場の意見を無視したものだったということが明らかにされる。フクイチの現場からは1年半というスケジュールを出したのに、これでは菅総理が納得しないと本社が9カ月に短縮してしまったのだ。

 現在の作業を妨げている最大の要因は、汚染水。もし核燃料がメルトスルーしているならば、汚染水は非常な高濃度になっているから、チェルノブイリで日本の技術がしたように、地下にトンネルを通し、セメント、ベントナイト(粘土鉱物)などを注入して固めてしまう方式にしたいが、国土交通省と経産省の連携がうまくいかず、適切な対応策が講じられていないという。

 さらに1~4号機から白い煙が出ている。あれは水蒸気だが、その「湯気」の中にはやはり、放射性物質が含まれていると言っている。

 また、3月11日午後3時36分に1号機で水蒸気爆発が起きたが、その後の政府の避難指示のやり方が拙かったと率直に話す。

「現場ではもっと広い範囲、少なくとも半径50キロは避難していると思った。(中略)避難範囲が半径30キロ圏内と聞いたときも、『大丈夫か?』と思ったのが正直な印象ですね。(中略)爆発が相次ぐ中、当時私自身、半径30キロどころか、青森から関東まで住めなくなるのではないかと思ったほどです。本社と政府の話し合いで決まったんだろうけど、余震の危険性などを考えれば、最低でも50キロ、万全を期すならば半径100キロでも不思議はなかった。(中略)いま原発は何とか安定していますが、放射性物質がかなり飛散しているのが実態です。避難地域の見直しが必要だと思います。実際、もう半径20キロ圏内は戻れないと、そろそろ発表してもいいんじゃないか。子どもたちが学校に通うのは無理です。最初からもっと広範囲で避難させていればと悔やまれます」

 最高幹部は、フクイチから上げられる膨大な量の情報のうち、国民に公表されているのはその10%、いや、1%かもしれないというのである。

 現場と本社は衝突ばかりで、情報公開を巡り、本社幹部は、「そんな情報が保安院や政府に分かると、大変なことになる」と言い放ち、最後にこう言ったそうだ。

「私の立場や出世はどうなるんだ。キミは分かっているのか!」

 原発を担当してきた官僚たちの責任追及、東電解体をしてからでなくては、脱原発、再生可能ネルギー政策を考えるわけにはいかないと、私は思うのだが。
(文=元木昌彦)

ラベル:

もはや当事者である地元民は騙せまい

毎度ウソをついていると、しまいには何を言っても信用されなくなる。東京電力と政府の発表はその典型だ。東電と政府は19日夕、福島第一原発事故の収束に向けた工程表のステップ1を達成したと発表した。ステップ1とは、原子炉を安定的に冷却させることである。

 こともあろうに東電は放射性物質の放出量が事故直後(3月15日)の約200万分の1に減少したとする試算(あくまでも試算)を明らかにした。

 福島県民は東電と政府に発表に不信と怒りを露わにした。同夕、原発から30キロ余り離れた福島市では「避難権」確立の対政府交渉が持たれていた。子供を被曝から守りたい父母たちが、一刻も早く子供を避難させるよう政府に懸命の要望をしていたのである。

 対政府交渉出席のため会場(コラッセ福島)を訪れた県民に聞いた―

「政府と東電はステップ1が達成されたことを証明する詳細なデータを公表すべきだ」。(子どもたちを放射能から守る福島ネットワーク代表の中手聖一さん)

 「信用できない。メルトダウンがそうであったように情報がきちんと出されていない。収束に向かっているのか何とも言えない」。(年金生活者・60代後半男性=郡山市在住)

 「東電が勝手に言ってるだけ。信用してない。子供がドロリとした鼻血を出した。もし死んだら葬式を出す前に東電に乗り込む」。(男性=郡山市在住)

「夫が除染のため庭の土をはがしてもすぐに“フレッシュな放射能”が飛んでくる。線量が下がらないのに避難解除なんてありえない」。(30代主婦・福島市在住)

“フレッシュな放射能”は現地の主婦仲間で流行り言葉になっているのだそうだ。

細野豪志・原発事故担当相はステップ1達成後に「緊急時避難準備区域」を解除・縮小する考えを示していた。だが19日の記者会見では「今月末か来月初めにかけて安全性を確認した後、地元自治体などと検討する」と発言を後退させた。

ステップ1が終了したとする政府と東電の認識は、あまりにも住民とズレていると言わざるを得ない。

(田中龍作ジャーナルより)

ラベル:

東電30件ほど仮払い応じず

原発事故の補償といったってこんなもんで、なにしろ補償には莫大な金が必要で、いずれその金は電気料金に反映されるわけだし、補償金が以前の生活へ戻してくれるはずもなく、原発事故はかたくなに被災者を以前の生活に戻ることの出来ない条件下で、将来という大海原に放り出す。

原発を建設した時点からこういった筋書きは決まっており、稼動すればさらに危険性は上昇する。
政府の援助もどこまで出来るか。
政府自身にもわかってはいまい。

何度もこのブログで描き示すように原子力発電という機械は見知らぬところからの贈りもので、間抜けな人類が後先考えずに使用したというだけのことです。
何せ、人類は万能だという夢をいまだに持っておられる方が多いから。
もっともアメリカなんぞは、わが国は万能だとさえ思っている節がある。
もちろん十把一からげにアメリカを評していいわけはないのだけれど…(とんぼ)


7月20日4時12分
東京電力福島第一原子力発電所の事故で、被害者に対して賠償金の一部を前倒しして支払う「仮払い」について、東京電力が医療法人や学校法人などから30件程度の請求を受けながら、いまだに応じていないことがわかりました。専門家は「被害者の救済は時間との勝負で、破綻したあとに賠償を考えても遅く、仮払いを急ぐべきだ」と指摘しています。

東京電力は福島第一原発の事故が起きた1か月後の4月下旬から、避難している世帯などに最大100万円の賠償金の仮払いを始めたほか、農林漁業者と中小企業に仮払いを行っています。ところが、これら以外については、事故から4か月余りがたった今も実施されておらず、東京電力によりますと、政府の避難指示などの区域にある医療法人や学校法人、それに社会福祉法人などから今月17日までにあった30件程度の請求について、いずれも応じていないということです。国の審査会がまとめた指針では、政府の避難指示などに伴う営業損害などは賠償の対象になると認めていて、これらの法人などの請求も含まれるとみられます。これについて東京電力は、「これまでの仮払いは政府の要請などを尊重して先に実施してきた。これら以外の被害者への仮払いの必要性も十分に認識しており、検討を進めている」と話しています。ただ、仮払いについての法的な規定はなく、どんな損害に対していつ、いくら支払うのかは制度上、東京電力任せになっています。これについて、原子力損害賠償に詳しい弁護士の中所克博さんは「被害者の救済は時間との勝負で、破綻したあとに賠償を考えても遅く、仮払いを急ぐべきだ。原発事故の賠償の具体的な方法を定めていないのは法の不備で、政府は法整備を進める必要がある」と指摘しています。


 

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2011年7月19日火曜日

予想通りというか、それ以上に

「なでしこJAPAN」に対しての報道が愚劣なので、触れないつもりでしたが、少しだけ触れさせてください。

「なでしこJAPAN」の快挙に対しては、「おめでとう」と讃えるのではないですか。
どこらへんから『勇気』や『元気』をもらったという間違った認識が出てくるのですか。

「ありがとう」もおかしいでしょう。
「よかったね、沢さん」ということです。

傍観者だからすぐにくだらん事を思いつく。
「なでしこJAPAN」の快挙は「勇気づけたり」「元気づけたり」はしてくれますが、何ももたない人に「勇気」や「元気」をくれません。

なんとまあ安直な報道だこと。
どうせすぐに忘れるのだろうけれど…

いつも部外者なのだね、哀しい報道だね。

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被災者がんばれと言うのなら

被災者がんばれと言うのなら、汚染されたわらを食べた肉牛の肉をそんなに危険ではないと言うのなら、テレビを通じてその汚染された肉をむしゃむしゃ食べる東電関係者や政治家や学者の映像を流してほしい。

「ほら、この通り平気ですよ」
「東電の社員食堂ではこの牛肉を使用しております」

そのような映像が見たいものです。
学者さんも牛肉を食べながら安全だと主張してほしいものです。
私見ではありますが、ほんとうに今すぐにどうという心配はないはずですよ、あなたたちのような年齢なら。
ただ、将来にどんな禍根を残すかはわかりません。

とにかく、そういう納得のいく映像を流すのが一番視聴者の共感を呼ぶと思うのですけれど…

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2011年7月18日月曜日

「2NE1」を日本は受け入れられるのかな…

2NE1の日本デビューののろしは、3月11日のテレビ朝日系「ミュージックステーション」出演であがるはずだった。
だが、この日、未曾有の天災が日本を襲ったため、当時の活動計画は大幅に変更されることに。実際、メンバーは同社屋内でのリハーサル中、地震に遭遇し、相当なショックを受けたという。
その後、日本デビューを心待ちにしているファンや苦労に直面している日本を自分たちの歌とパフォーマンスで元気づけたいと始動を決意。スケジュールを立て直した4人は、スペシャルな思いを込め「2NE1 COUNTDOWN」を企画した。
9月21日のミニアルバム発売日から21日ずつさかのぼって配信サイト、レコチョクでアルバム収録曲の日本語詞曲を3曲連続配信するもので、今月20日第1弾「I AM THE BEST」を配信。8月10日、同31日と続く。トップバッターの「I-」は6月24日に配信され、本国のチャートを総なめにしたヒット曲の日本語版で、米国、カナダ、スウェーデン、オランダのiTunesエレクトロニック・チャートでトップ10入りしている。
2NE1は09年に韓国でデビューして以来、アジア各国の音楽賞を30冠獲得し、プロモーションビデオがYouTubeで1億4000万回以上流れた実績を持つスーパーユニット。クオリティーの高いダンスと歌唱力がアジアのみならず米国でも人気だ。
リーダーのCL(20)は「日本は幼い時期を過ごしたこともある特別な場所。皆さんと一緒に楽しめるステージがしたい」、ボーカルのDARA(26)は「いまだに地震の日のことを考えると胸がドキドキして辛いときがある。でも、一緒に頑張るため日本に行きます」とコメント。来日は未定だが、Mステのリベンジ出演も含め、お披露目ステージが注目される。

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動画の貼り付けに挑戦(あんさん、お暇どすなあ…)

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鳴かぬ蝉

以下のようなご指摘は、気に留めてもいいだろうとは思いますが、今の世の中、あまりに気に留めることが多すぎて、また大きな地震が起きるかもしれないと感づいたとて、それがどうかしましたかくらいの気分でもあるのです。

蝉(セミ)と地震の関係については、古来から様々な関連性が指摘されている。
即ち、地震の前兆現象を蝉が感じ取り、七年に一度の”開花”の時期をずらすと言う訳である。
1923年(大正12)9月に起こった関東大震災では、同年の7月から8月にかけて、神奈川県橘樹郡登戸村(現川崎市多摩区)の一帯で蝉が全く鳴かない夏であったと記録されている。
同様の現象は、埼玉や伊豆半島でも見られたという。
また、1707年(宝永4)夏には伊勢国萩原(現在の三重県亀山市の一部)で「蝉の声悉く打ち止まん…一帯真夜中の様に静寂也」と記し、天変地異の前触れではないかと心配した村民の不安を庄屋が地元の郡代に申し出るという記録が残されている。
死者2万人とも言われる宝永地震はその年の10月に起こった。
更に11月には世に言う宝永大噴火と呼ばれる富士山の噴火が起こり、農作物に大被害を与えた。

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小出裕章氏インタビューその1(排ガスの安全性)

http://www.youtube.com/watch?v=pj_9I7C2e-w&feature=player_embedded#at=134

放射性物質はありとあらゆるところから忍び寄る。

いまでは、汚染されていると仮定して考えなければならない時期になっています。
汚染されているとしてどうすればいいのかという答でなければ、わたしは相手にしません。
大丈夫だという人間を嫌悪します。
特に食品汚染を大丈夫だという人間に対しては、その種の発言はやめて、黙々とあなたが大丈夫とおっしゃるその汚染された食物を食べていればいいだけのことで、大々的に発言するのは悪意としか聞こえない。

素人のわたしたちは、誰の発言を信じて行動を取るか、そのことだけが委ねられています。

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なでしこ日本優勝

なでしこのワールドカップでの優勝はすばらしかった。

これで、しばらくは、日本の間の抜けたマスコミたちはなでしこで大騒ぎだろう。

けれども、この優勝は喜ばしきことであるが、今の日本の現状とは無関係です。
なかには勇気付けられる人も数少なくいるだろうが、それは勇気付けられるその人の中に勇気があったからで、なしこが優勝しようが負けようが、自分の中に勇気のない人に何の変化も起こらない。

なでしこは、素晴らしい努力の結果、その精神と技術で優勝した。
そういう事実があっただけです。

この事実は、放射線量を下げない。
いやなことを言うようだが、これくらい書いておかなければ、これからのマスコミの狂乱振りに頭が痛くなるのに耐え切れません。

この活躍に少しでもうれしさを持つ人々に文句はありませんが、それが万能の力にはなりません。
もし、あなたがわたしもがんばろうと思うなら、発進していけばいいと思う。
すべては、なでしこの活躍に刺激されたあなたにかかっています。

なでしこの優勝は心地よかったです。

けれども、だからといって、この国に何の化学反応も起こりません。
いや、多少は起こるかな…

とにかく、たまらなくなるほど軽佻浮薄で、間の抜けたマスコミの狂乱は始まります。

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2011年7月17日日曜日

【福島原発事故】 東電最高幹部、山下教授ら張本人32名を刑事告発~下~ 2011年7月16日 18:14

事故直後から始まった脱原発デモ。すでに4か月が経った。(3月、東電本店前。筆者撮影)

 告発人の一人、広瀬隆氏が最も危惧するのが放射性物質による健康被害だ。福島県内の放射線調査によれば30万人もの小中学生が放射線管理区域と同じレベルの線量を浴びながら生活している。

 放射線管理区域とは一般公衆の被曝防止のために立ち入りを制限する区域のことで、基準は0.6μSv/時 (5.2mSv/年)以上とされる。
 
 原発労働者の白血病の労災認定基準は年間5mSv。この数値を超えると白血病になる危険性が高まるのである。年間の被曝量が5.2mSv以上という環境がどれほど異常かお分かり頂けよう。ここに放射線に対して感受性の強い小中学生を30万人も“閉じ込めて”いるのである。

 驚愕の報告書がある。欧州議会に設置されている「ヨーロッパ放射線リスク委員会(ECRR)が、国際原子力機関(IAEA)と日本の公式データをもとに福島県の近隣地域で今後発症すると予想されるガン患者の数を発表した。

 それによると福島第一原発から100km圏内では今後10年間に10万人以上がガンを発症する。100~200km圏内では12万人以上となる(この地域の方が住民の人口が多いため)。ドイツのメルケル首相はこの報告書を読んで原発全廃に政策転換したという。

 広瀬氏は「ECRRの報告書を読んでいないのは日本人だけ」と唇を震わせる。 読んでいないというよりもマスコミがほとんど伝えていないためだ。新聞・テレビは大スポンサーである電力会社に都合の悪いことは報道しないのである。

 チェルノブイリ事故では死者が4,000人とも100万人とも報告されている(※注)。同事故を凌駕する福島原発の事故で、死傷者が出ないはずはない。ひとたび事故が発生すれば大惨事となる。にもかかわらず、東京電力は必要な安全を講じてこなかった。山下教授は住民を危険な地域に居させ続けた。
 
 15日、自由報道協会主催の記者会見で出席者から「未必の故意による殺人ではないか?」との質問が出た。筆者も東電の武藤栄副社長に同じ質問をしたことがある。そう考えるのが常識だろう。

 広瀬氏は「司直が東電の本店にトラックで乗り付け、ダンボール箱一杯に証拠を押収する場面を早く見たかった」と本心を吐露した。

 輸送機関が死亡者を出す大事故を起こすと、警察が業務上過失致死傷の容疑で本社を家宅捜索する。殺人罪よりも業務上過失致死の方が問いやすい。
 
 「被曝を食い止めたい一心だった。こういう事故を起こせば刑事告発されるということを日本全国の電力会社に呼びかけたかった」、広瀬氏は業務上過失致死を選択した理由を語った。


 刑事告発の内容は広瀬、明石両氏にとって満足の行くものではない。原発安全神話を国民に刷り込み、今回の事故でも「心配ない」とデマを垂れ流し続けてきたマスコミを告発しなかったことだ。

 フリー記者の上杉隆氏が「(危険性を)知っていながらウソを報道し続けてきたマスコミをどうして(被告発人に)入れなかったのか?」と突っ込んだ。

 「それが心残りです」、広瀬氏は天を仰ぎ軽く溜息をついた。確かにマスコミ(記者クラブ)は東電や原子力安全保安院と同じくらい罪深い。事実を普通に報道していれば事故は防げた可能性が高い。何より事故発生後も政府と異口同音に「心配ない」を繰り返したことで、住民は避難が遅れ必要以上に被曝することになった。

 飯舘村民で現在福島市に避難している男性(農業・40代)は次のように話す―
「告発によっていろいろな事実が明るみに出ることを期待したい。加害者である東電や山下教授に生殺与奪を握られていたことを再確認した。国民皆が怒らなくてはならないのに、なぜ日本人は騒がないのだろうか?」

 脱原発の気運は盛り上がりを見せている。だが与党民主党、最大野党自民党はともに原発推進の大きな原動力だ。

 「今全廃に持っていかない限り、原発はまた大事故を起こす」、広瀬氏は表情を険しくした。

※参考『原発の闇を暴く』(広瀬隆、明石昇二郎共著)
                                                     田中龍作ジャーナルから

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フジツボ


魚屋でフジツボを見つけて喜び勇んで買う。
殻の一部を叩き割って、さっと塩茹ですれば、実に美味。
この時期の食い物として知ってはいるが、食することはまれなり。
魚屋に登場しない。
かと言って料理屋で食べると実にお高い。

わたしのは300円ほどの幸せであったが、カニのようなウニのような風味があって、夏の海を感じさせる。
この時期に妙な贅沢をさせていただいた。

ラベル:

2011年7月16日土曜日

こんな記事を読みました

「チェルノブイリは遺伝子の中で荒れ狂う」

チェルノブイリ事故から四半世紀が経過した。しかし、被曝被害は​広がる一方だとデルテ・ジーデンドルフ氏は語る。ジーデンドルフ​氏は20年前からベラルーシで医療支援活動を行い、同時に反核運​動にも関わって来た。

Tagesschau: ジーデンドルフさん。あなたは1990年以来、ベラルーシの各地​を定期的に訪れてチェルノブイリ事故の被害者の救済活動を続けて​いますね。ベラルーシではどんな事故の影響が見られるのでしょう​か。

Siedendorf: 風で運ばれた放射性降下物の量はベラルーシが最大でした。私達の​組織のある町の姉妹都市であるKostjukowitischi​市はベラルーシ東部の、チェルノブイリから約180km離れたと​ころにあります。その地方の1/3が放射性物質で汚染されました​。3万5000人の住民のうち8千人が移住しなければなりません​でした。30以上の村が取り壊されるか、埋められました。

Tagesschau: 現在はどうなっていますか。

Siedendorf: 他のどんな災害とも異なり、被曝被害と​いうのは時間が経つにつれて拡大します。逆さにしたピラミッドの​ようなものです。フクシマ事故に関しては、今、そのピラミッドの​一番下の先の部分にある状態です。チェルノブイリはそれよりもも​う少し進んでいる。チェルノブイリは遺伝子の中で猛威を振るって​います。いえ、遺伝子だけではない、遺伝子が操作するすべての細​胞にチェルノブイリが巣食っているのです。25年経った現在は、​主に低線量被曝が問題となっています。

Tagesschau: どのような経路で低線量被曝するのでしょうか?

Siedendorf: たとえばストロンチウムやセシウムなど​、半減期が30年ほどの核種に被曝するのです。この30年という​半減期ですが、10倍にして考えなければなりません。これらの核​種が生物学的サイクルからなくなるまでにそのくらいの時間がかか​ります。300年という年月はヒトでいうと8~10世代に当たり​ますが、この間は被曝による病気が増えると考えられます。

Tagesschau: 放射性物質はどこにあるのですか?

Siedendorf: ベラルーシでは放射性物質はもうとっく​に地下水に入り込んでいます。ベラルーシには湿地や砂地があり、​地下水脈はそう深くありません。 放射性物質は一年に2cmのペースで地下を降下すると考えられて​います。今は地下50cmくらいです。その地下水から放射性物質​は植物や動物に取り込まれます。砂地ではガイガーカウンターを当​てても、今ではもう反応しません。その反対に、森では枯れ葉やコ​ケがあって放射性物質は地中に入り込みませんから、地表に残って​います。落ち葉の多い場所や森の縁ではガイガーカウンターが反応​します。雨水が溜まる窪地も線量が高いです。

Tagesschau: どのような援助をなさっているのですか?

Siedendorf: 最初の10年間は薬品の原料を現地に運​び、薬局で点眼薬や点耳薬、座薬などが調合できるようにしていま​した。10年前からそれは許可されなくなり、現地の薬局は国が購​入して配る医薬品しか販売してはいけないことになりました。

Tagesschau: それはうまく行っているのでしょうか?

Siedendorf: まあ、大体は。でも、特殊な医薬品が不​足しています。どういう医薬品が認可されるかは薬を登録しようと​する医薬品メーカーが払う賄賂の額で決まるのです。たとえば、ベ​ラルーシには国に認可されているインシュリン薬は二種類しかない​のが問題です。子どもに投与するには別のインシュリンが必要な場​合が多いのです。糖尿病は、チェルノブイリ事故の後、子ども達の​間に急激に増加した病気の一つで、新生児でも糖尿病を発症するケ​ースがあります。そのような場合には私達は個別に援助します。

Tagesschau: 何故、子どもの糖尿病が増加しているのですか?

Siedendorf: セシウムによる低線量被曝が原因だと考​えられます。食物連鎖を通じて妊婦の腸内に取り込まれます。子宮​内で胎児の膵臓の発達が阻害されるのです。膵臓はインシュリンを​分泌する、非常に繊細な器官です。子どもは三歳になるまで修復機​能を備えた免疫系を持ちません。また、子どもは大人よりも細胞分​裂が速いです。細胞がちょうど分裂するときに放射線を浴びると、​影響が大きいのです。ですから、子どもの場合、ほんの少しの線量​の被曝でも成長が妨げられてしまいます。

Tagesschau: 残存する放射線の影響は他にはどんなものがありますか?

Siedendorf: たとえばよく言われるのは、チェルノブ​イリの近くに住む人達は神経質で、「放射能恐怖症」にかかってい​るということですね。だから、彼らは何をやっても集中できないの​だと。しかし、これは汎発性の脳障害なのです。人が生まれて来た後​に最も頻繁に細胞分裂する器官の一つが脳ですから。チェルノブイ​リ事故後の最初の世代では夫婦の30%が子どもに恵まれていませ​ん。ドイツでも10%がそうです。遺伝子が傷つけられたことで流​産や早産、そしてその結果、乳幼児の死亡が増えています。胎児の​段階で死なずに生まれて来れば、障害は次の世代へと受け継がれま​す。

Tagesschau: チェルノブイリ事故の被害者数に関して​はいろいろな説がありますが、これはどうしてでしょうか?

Siedendorf: 統計を取っている方から聞いたのですが​、行政から「これくらいの数字にしてくれ」と指示されるようです​ね。お上の言う通りのことを書かないと報奨金がもらえない。20​10年の統計には癌患者はほとんど含まれませんでした。若くない​人は皆、老衰で亡くなったということになってしまうのです。癌患​者の中には他の原因で亡くなる人もいますし。ですから、ベラルー​シやウクライナのような独裁的な国の統計は当てになりません。病​気の原因を被曝以外のものにした方が国にとっては安く済みます。​原子力ロビーと独裁政治は相性が良い。どちらにとっても、チェル​ノブイリは終わったものとした方が都合がよいのです。しかし、人​々はこう言います。「チェルノブイリは私達の人生そのものだ、と​ね」

Tagesschau: WHOやIAEAはどのような役割を担っているのでしょうか。

Siedendorf: チェルノブイリの健康被害について私達​の知らないことがたくさんあるのは、1959年にWHO とIAEAの間に結ばれた秘密の協定のためです。WHOに被曝に​よる健康被害について何を調査し、何を発表するかはIAEAが決​めているのです。そのために多くの国際学会の開催が中止になり、​ロシアやベラルーシ、ウクライナの研究者の低線量被曝に関する研​究は発表されませんでした。しかし、幸いにも2009年にニュー​ヨーク科学アカデミーがこれらをまとめて発表しました。

Tagesschau: フクシマの被害はどのくらいになると予想されますか?

Siedendorf: フクシマの被害はチェルノブイリ以上に​なるのではないかと思います。まだ事故は収束の目処が立っていま​せんし、非常に毒性の強いプルトニウムが放出されています。どれ​だけの量の放射性物質が海に流れ込んだのか、そしてそれはどこへ​向かっているのかについて私達はまったくわからない状態です。そ​れに、日本は人口密度が高く、ベラルーシとは比較できません。ま​た、日本では飲料水は山で採集されています。山が放射性物質を含​んだ雲の拡散をせき止め、放射性物質は海岸沿いの狭い地域に溜ま​っています。9ヶ月で事故処理すると日本政府は言っていますが、​まったく馬鹿げています。そんなことは空約束に過ぎません。

デルテ・ジーデンドルフ女史は現在は退職した一般医で心理セラピ​スト。1990年よりチェルノブイリ事故で被曝したベラルーシの​村々を定期的に回り、特に被害者に対する医療体制の改善に力を尽​くして来た。ジーデンドルフ氏の組織は1991年以来、合計80​0人以上の子どもとその付添人を保養のためにドイツへ招待してい​る。組織が所在するディーツェンバッハ市とベラルーシのKost​jukowitschi市は姉妹都市となった。氏は国際組織「核​戦争防止国際医師会議」(IPPNW)の会員でもある。69歳。

ラベル:

静かなる買占め

大きく報道などはされていないが、静かに米の買占めが始まっている。
3・11以前に収穫された米は安全だからです。
それを玄米で手元に置けば、しばらくは放射能のことは気にせずに主食は楽しめる。

けれども、このような行動を多くの人々が取りはじめたら福島県の農業はつぶれます。
われわれ年老いた大人は放射能汚染を恐れることはやめ、福島の農業を助けるべく彼の地の野菜を肉を食い続けるほうがいいのかもしれない。
それが福島を救う唯一の道なのかもしれない、この腰抜け国家にあっては。

この国は汚染されてしまったと基本線で考えておく必要があります。

海藻をはじめとする魚介類。
米をはじめとする野菜。
牛をはじめとする食肉。

残念ながらすべて汚染されていると考えていい。
もちろん、汚染のひどさがあり、それはグラデーションを伴うでしょう。
しかし、過剰に安全を求めすぎるのはこの国の終わりを性急に指し示す行動となる。

いまだに脱原発がどうのこうのと語っている政治家や電力会社の思惑は知らないが、明らかな汚染列島の中にわたしたちはいます。
そのなかで、まずわたしたちがしなければならないことは、子どもたちを守ることです。
将来生まれてくる子どもたちにある程度の安全を提供することです。

原発を止めることに何を躊躇しているのだろうか。
原発は止めたからといって今まで稼動してきた事実を帳消しにしてくれるような柔な悪魔の機械ではない。
どうしたらいいかわからない 「new clear waste」 を大量にわれわれに残していく。

何が節電かと思う。

ぎゃあぎゃあ楽しそうに浮かれているのは、テレビを代表とするマスメディアだけです。

水や食品の基準値をチェルノブイリレベルに下げれば、ほぼ福島全土に致命的な打撃が与えられたことを知ることになる。
福島原発事故は「fatal error」なのですよ。

おわかりですか。
君たちの犯したミスの悲劇性が!?
東電諸君、
そして政治家諸君。

さらに、原発の運転をただ眺めるだけで見過ごしてきたわれわれの罪もまたわれわれは見過ごしてはならない。

とにかく、子どもたちだけは守らねばならない。

東京都の給食に福島の野菜を使いたいなら、まず母親たちに使用していいかどうか聞いてみなさい、石原君。君が使いたいのなら、まず君と君の息子や孫たちが食べ、それから都庁の食堂で食べはじめればいいだろう。

石原君、子どもたちをキミの愚劣な思考の渦の中で巻き添えにしないでくれないか。

やり切れぬ現状を多くの人に知ってほしい。
デジタル放送切り替えやなでしこジャパンだけをうるさく言い立てているのではない。
何が肝心か、少しは考えてみてはいかがだろうか、マスコミ諸君。

君たちは、東電や電事連からのCN料が消えてから彼らのひどさに対し、虚ろに騒ぎ出したのだが、なぜに節電の嘘を声高に騒ぎ立てないのだろう。
あの放送を眺めるとわたしは、頭が痛くなるのだよ。

たまらんなあ、この国は。

ラベル:

田中龍作ジャーナルから

原発事故をひき起こした張本人らの刑事告発について記者会見する広瀬氏・左と明石氏・右。(15日夕、自由報道協会・麹町記者会見場。写真:筆者撮影)

 21世紀日本、最悪の人道犯罪を引き起こした張本人たちが一斉に刑事告発された。

 主役たちとは東京電力の勝俣恒久会長はじめ最高幹部3人、原子力安全委員会の斑目春樹委員長、寺坂信昭・原子力安全保安院長ら(以上Aグループ)、福島県放射線健康リスクアドバイザーの山下俊一・長崎大学大学院教授(※)、高木義明文部科学大臣ら(以上Bグループ)。

 黒澤映画も顔負けの豪華出演陣だ。登場するのは悪役ばかりの惨劇だが。

 Aグループの罪名は業務上過失致死傷、Bグループは業務上過失致傷で、両グループ合わせると被告発人は32名にものぼる。

 告発したのは ジャーナリストの広瀬隆と明石昇二郎氏。両氏は今月8日付で上記32名を東京地検特捜部に告発した。

 告発状によると主役たちの罪状は次のようなものだ――

●東電(勝俣会長ら)は、いったん原発事故が起きれば多数の一般住民を被曝の危険に晒すことを知りながら、そうした事態を避けるための措置を怠った。さらには「原発安全神話」をふり撒き、危険性を指摘する学者、ジャーナリスト、市民に攻撃を仕掛けた。

●原子力安全保安院(寺坂院長)は、同院所管のワーキンググループ委員から原発を襲う津波の危険性を指摘されていながら、その対策を東電に講じさせなかった。

●原子力安全委員会(斑目委員長ら)は、事故防止のために万全な措置を講じるよう東電や安全保安院に指示しなければならないにも関わらず、この任務を放棄した。
 「浜岡原発運転差し止め裁判」の際、斑目委員長は「再循環系が複数同時に破断し、同時に緊急炉心冷却系が破断することも考えるべきではないか?」と問われ、「地震が起こった時に破断することまで考える必要はない」と答えている。(裁判で問われていたことが福島第一原発で実際に起きてしまった。これが任務放棄として告発されているのである)

●福島県放射線健康リスクアドバイザーの山下教授は、放射線専門家として子供らの安全を図る義務があり、速やかに子供らを避難させなければならないにもかかわらず、ずっと放置していた。一般市民、児童、生徒、学生らの避難と放射性物質による被曝からの防御対策をサボタージュした。

 告発人の広瀬隆氏は「チェルノブイリ以上のことが起きている。彼ら(被告発人32名)をはっきり悪党と呼ぶ。はっきり呼ぶ」と奥歯を噛みしめた。

ラベル:

こいつらが取ってくれる責任はこの程度です

東日本大震災:福島第1原発事故 東電が賠償仮払い拒否 幼稚園、ホーム「対象外」

 東京電力福島第1原発事故で被害を受けている事業者に対する損害賠償を巡り、東電が幼稚園や老人ホーム、診療所への仮払金の支払いを拒否していることが、毎日新聞の入手した文書などで分かった。支払い対象の事業者を中小企業に限定し「学校法人や社会福祉法人、医療法人は法律上、中小企業に該当しないため」と説明。将来の賠償も「分からない」としており、全被害者への賠償責任を定めた原子力損害賠償法に反した姿勢に厳しい批判が出ている。【清水憲司、松谷譲二】

 東電広報部は毎日新聞の取材に対し「学校法人などにも仮払いする必要性が高いことは十分認識しており、対象範囲の見直しを進めている」と回答した。

 原発から約9キロの福島県浪江町で私立浪江幼稚園を経営する学校法人「大谷(おおや)学園」が、中小企業に1社当たり最高250万円の仮払いが始まったことを知り、6月14日、仮払いを請求した。

 その後、東電・福島補償相談センター(福島市)が同22日付でこの文書を出した。文書には「学校法人は(法律上)財団法人で、中小企業ではないので対象外。(今後の補償も)分からない」と記載されている。

 原賠法は文部科学省の「原子力損害賠償紛争審査会」が損害の範囲を判定する指針を策定すると規定。審査会は4月の1次指針で、救済対象の事業者を「営業被害などを受けた多数の事業者ら」と幅広く定めており、中小企業に限る法的根拠はない。

 毎日新聞の取材では、他に南相馬市の幼稚園を経営する学校法人▽同市で特別養護老人ホームを運営する社会福祉法人▽富岡町で診療所を経営する医療法人--が仮払いを拒否された。福島県によると、福島第1原発から半径30キロ以内には▽6学校法人▽22医療法人▽15社会福祉法人--がある。

 浪江幼稚園の大谷清子(せいこ)園長は「園児約160人が皆いなくなり収入はゼロなのに人件費などで月100万円の支出がある。仮払金がもらえず、将来も賠償されないのではと思うと不安で眠れない」と訴えている。


毎日新聞 2011年7月16日 東京朝刊

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脱原発の機運は高まりつつある

脱原発は、減原発を経てのものだろうが、政治家たちもそうせざるを得ないような機運が高まっている。
国民の意識が脱原発に走っているからだ。
…票を気にしてのことだろう。

そうであれば、と外務官僚たちは日本の原発技術を海外に売り込むことに意識を向け始めているらしい。
彼らは原発が何ものであるのか知らない。

ただ、目前の金儲けには卓越した判断をもつ。
しかし、原発を海外に売りさばき電力を他国の原発であがなうという姿勢は、ある危険性を孕んでいます。

しっかりと見据えていないと、とんでもない場所に誘導されてしまいそうです。

ラベル:

汚染された肉牛問題

いろいろと錯綜している事件ですが、なにやらはっきりしません。
君たちの得意な基準値を上げる作業でだますというのはどうだろうか。

君たちが決めた放射線量の基準値は恣意的なもので、いまでは福島産の野菜はあまり問題になりません。
マスコミが興味を失ったのと基準値がゆるいということによる現象ではないだろうか。
肉牛も同じになるのか、それともこれだけはマスコミが何の考えもなしにヒステリックに騒ぐのだろうか。

ところで、ここまでつらい立場に立たせた悪意なき畜産農家へ、国はどのように補償するのだろうか。
福島原発が安全と言い続けてきた東電、政府、科学者はこういう場合、どのような責任を取るのだろう。

玄海原発の大丈夫発言もその程度のもので、何かが起こってもちょこっと補償するだけなのだろう。
どれくらい原発事故の被害者への補償が莫大なものになるのか知っているのでしょうか。

多少は知っているのでしょう。
知っているからこそ、事故の影響を過小評価したがるのです。

福島全土の農業の補償が東電に出来るでしょうか。
原発を廃炉にしていく資金は東電に賄えるのでしょうか。
国に賄えるのでしょうか。

何でもかんでも国民の税金に原資をもってくるのは、いい加減にしてもらいたいものです。

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2011年7月15日金曜日

「メルトダウンは地震・津波だけで起きるわけではない」週刊エコノミスト(小出裕章)

原子力発電所は、今回の福島の事故のように地震や津波など発電所の外部要因だけでなく、機械そのものの要因でも壊れることがある。過去のほとんどの事故は外部要因ではなく、機械自体の理由で起きている。

米国原子力規制委員会(Nuclear Commission, NRC)は原発の事故が、小さなものから一番恐れられている炉心溶融(メルトダウン)まで、どの程度の確率で起きるのかを世界で最初に系統的に検討し、1975年に報告書をまとめた。基本的なスタンスは、「炉心が溶けるという破局的な事態は起こりうるが、地球に隕石が落ちてくるほど低い確率だから気にするほどではない」というものだった。

ところが、この報告書に対してさまざまな批判が上がり、NRCは批判を一つ一つ検討したうえで79年に改めて態度を表明した。「報告書で出した確率の値はデータが不確かで信頼してはならない」というものだった。直後に、米国のスリーマイル島の原発で炉心溶融の事故が実際に起きた。NRCは79年の態度表明でかろうじて面目を保った形だった。

想定されていた全電源喪失

それ以降も、炉心が壊れる確率に加え、炉心が壊れてどの程度の放射能が漏れるのか、放射能漏れでどの程度の被害が生じるのかを分析する「確率論的リスク評価」と呼ばれる研究は、米国はじめ世界中で行われてきた。87年に米国NRCが出した報告では、5つの原子力発電所について、それぞれどのような原因で炉心が溶けるのかを示している。冷却材喪失などさまざまな原因があるが、うちGrand Gulf(ミシシッピ州)という福島第一原発と同じ形式の原子炉で、炉心溶融の原因として99%を占めると考えられているのはStation Black Out(全電源喪失)だった。全電源喪失が重大な事態を引き起こすことは、87年の時点で分かっていたのだ。

この確率論的リスク評価はどのように行われるのか。まず、炉心溶融という最悪の事態はどのような原因で起こるかを考える。その原因の一つ一つについて、さらにそれが起きる原因を考える。例えば炉心溶融の原因を「原子炉内の水の喪失」と想定したら、喪失を引き起こす原因として「原子炉に水を送り込むポンプの不作動」などを挙げる。さらに、ポンプの代替手段を挙げ、それが動かない場合には・・と木の枝を広げるように事故が起こりうる道筋を描いていく。

一方で、それぞれの段階で、事故を防ぐ手段が働かない確率を求める。例えばポンプが動かないなら、「停電が起きる」「ポンプが壊れていた」「ポンプの先の弁が閉じていた」など考えられる原因について、それぞれどの程度の頻度で起きるのかの実績を集めたデータベースから算出する。この数字を前述の道筋の図に当てはめ、最悪の事態に至る確率を導く。だがこの方法では2つの問題があり、基本的には過小評価となる。問題の1つは、事故に至る道筋の図はあくまでも推測で、想定しきれない通り道がありうるという点。もう1つは、確率評価の基となるデータベースは、原発のせいぜい数十年の歴史のなかで信頼できるほどの蓄積がないために誤差が生じるという問題だ。NRCが「最終的な確率の値に信頼を置いてはならない」と79年に表明したのもそれゆえだ。その後、30年あまりの間、より精密な確率評価を求めて研究が行われてきたが、要因の考え落としがあり、数値が不確かだという本質的な問題は常に残る。

実際に79年の米スリーマイル島での事故でも、発端はポンプが1つ壊れたことだった。予備のポンプが作動したが、弁が定期点検の際に間違って閉じられており、原子炉に水が入らなかった。原子炉の水位が下がったことで非常用冷却系が作動したが、水位を示す計器が満水だと誤表示され、そのため運転員はマニュアルに従って非常用冷却系を止めた。その結果として炉心溶融が起きた。代替手段が用意されていたものの、それが働かない事態が重なって大事故に至った。

日本でも2004年に関西電力美浜原発3号機(福井県)で配管が破れ、噴き出した熱水を浴びて作業員が死亡する事故があった。配管が長年使っている間に薄くなっていたのだが、それを監視せずに「まさか破れないだろう」と思っていたのだ。

海外で懸念されるテロ、サボタージュ

さらには、機械固有の要因に加えて、外部事象によって起こる可能性がある。今回の地震・津波もそうだが、海外ではテロやサボタージュが懸念されている。テロは爆弾を仕掛けたりして原子炉を壊す大がかりな軍事行動を指すが、サボタージュは原発内で現場の労働者が意図的に何か破壊活動を働くことを指す。例えば、どこかの制御系1ヵ所、あるいはポンプ1個を壊してしまう。その程度のことでも、原子炉全体の破損につながりうる。この外部事象についての確率評価はとても難しく、世界的にも研究や対策が進まないという歴史がある。

日本で原発を進める人々は「原発に限っては絶対壊れない」と言い続けてきた。だが海外で事故の可能性についての研究が次々に発表され、86年にチェルノブイリ原発事故も起きたことで、原子力安全委員会は「シビアアクシデント対策」に取り組まざるをえなくなった。90年代に入って各発電所に、「全電源喪失」が起きた際の対策を考えるよう指示を出し、対策がとられたのは00年代に入ってからだ。

福島第一原発では、炉心が溶けた際には原子炉格納容器が壊れる可能性も捨て切れないとして、格納容器の破裂を防ぐために、中のガスを抜く「ベント」という弁を取り付けた。その弁が今回の事故の際、開けられた。だが、弁を開ける時には格納容器から放射能が漏れることは覚悟のうえのはずで、その放射能を捕らえるために弁の先にフィルターのような装置が必要なのに、そのまま排気筒につながっていた。本当に事故が起こった場合の対策としては考えていなかったのではないか。

日本は原子力技術の後進国だ。核分裂の原理は第2次世界大戦中に発見され、日本を含め各国が核兵器の研究を進めた。戦後、日本の核研究施設は米軍に破壊され、研究が再開されたのはサンフランシスコ平和条約締結後の52年だった。その間、各国が原子力を商業利用する研究を積み重ね、50年代には商業原発が稼動している。

だが米国でも欧州でも、運転中、建設中、計画中の原発の合計数は70年代をピークに低下しており、原発は30年前には斜陽に入っている。大事故が起きる可能性についてどんなに分析して対策を講じたとしても、事故が起こる可能性はゼロにはできない。そして事故がおきてしまえば、途方もない被害が出る。事故が起きなかったとしても原発で生み出された放射性物質は毒性を持ち続ける。そういうリスクは選択すべきではないというのが世界的に広範な考え方だからだ。(談)

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自己が可変であることの認識

自分が変わっていく存在であることをぼんやりとであっても知っている人が好きです。
自分の住んでいる世界にしがみつき、その世界を壊すような他者のそぶりに過激に反応する臆病な利権主義者を憎みます。
その利権主義者は数を頼みに、いま所有する彼らの権力を武器にその場所にしがみつくための工作を施してきます。
下らぬ輩ですが、かえれらの持つ社会的な力を軽視してはなりません。
事実、今でも原発を動かそうとしている人間は多くいるし、わたしの思うような正しい夫になれと思う女たちはいます。
もちろん、後者の場合、こら女、女として正しく生きろという主張のほうが、はるかに強かった伝統をこの国も持っているし、イスラムなどには今も強烈にあります。

なんにしろ、わたしには人は変わっていくものだと知っている人を、そう感じている人を好む傾向があります。

自己可変性を知るそのような人々は、社会的弱者であることが多いものです。
端的にいえば、徒党を組めない彼らは、一人であるが故に弱いものです。
また、徒党を組み始めれば、自己可変性は邪魔なものになっていきます。

わたしは日々変わろうとしていく子どもが好きですが、その変化にもレールが敷かれている今の日本です。
レールに乗る前の子どもの感性は豊かです。

わたしは、そういう子どもたちにレールからはみ出てしまった最底辺の人間たちのような共感を覚えます。
わたしもいまだに宙ぶらりんの人間です。

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2011年7月14日木曜日

菅さんの発言に対する小出先生の感想

http://www.youtube.com/watch?v=0Spz1i5pdpM

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化石燃料は、まだまだなくならない

子供の未来はあまり心配ない・・・電気


ここ20年、自分で未来を拓けない人たちが増え、「国民を脅かしてお金をもらう」という傾向が強くなりました。
その一つが「石油が無くなる」という話です。専門的なことは別にして地球は大きく、人間が少しぐらい石油や石炭を使っても無くなることはありません。
私の計算では、あと8000年はあります。1000年前というと紫式部の世界ですから、そんな将来まで心配することはありません。

専門的なことは別にして、その証拠を2つ示します。

1) 石油ショックの時の脅かし
  1970年、「石油の寿命はあと40年」と言った。
 それから40年たった2010年、「石油の寿命は43年」になった。先入観の無い人に40年後に「2050年の  寿命は?」と聞いたら、「46年」と答えるだろう。
 1970年に石油の寿命を40年と言って、1バレル2ドルだった石油を30ドルにした人は作戦成功だった。
 悲観的になるのがバカらしい。



2) 尖閣諸島事件
 中国が尖閣諸島の領有権を主張した。その理由は尖閣諸島の地下に「イランイラク並みの原油がある」と言 うことだった。ということは1500億バレル。ということは100年分。
 尖閣諸島の下だけで100年分。それなのになぜ40年でなくなるのか? そんなことは全くない。

「石油や石炭が無くなる」というのは、実は「おとぎ話」なのです。騒げばみんなが不安になり、「自然エネルギー」とか「再生可能エネルギー」に税金を使ってくれるという作戦に他ならないのですから、情けない社会になったものです。

3月のはじめ、オーストラリアに行って、炭坑をみてきました。どう見ても1000年はある良質の石炭が待っています。そしてオーストラリアの人も、日本の掘削技術と購買力に期待しているのです。

資源はいくらでもあります。でも、値段をつり上げるために「無い、ない」と言います。ゴールド(金)はいつも19年しか寿命が無いのですが、それは金の値段をつり上げるための作戦です。

・・・・・・・・・

私たちの子供の未来は明るいのです!!

原子力が無くても、石炭火力発電所を作れば景気はよくなるし、資源の心配はないし、安全だし、節電をすることもないし、子供たちも安心して勉強できます。

よかった!!

子供に「将来は明るい」と教えてあげたいと思います。子供はそれを聞いて張りきって勉強してくれるでしょう。
日本人は本当に優れています。その自信と誇り、そして「額に汗して働いただけで十分」ということを教えたいと思います。

(平成23年7月13日 午後10時 執筆)

武田邦彦

ラベル:

食品の放射能汚染の基準値

食品基準値は、いい加減なもので、ご存知のように科学的根拠はない。
おそらく、それはきわめて政治的なもので、チェルノブイリの基準値より福島の基準値が低いのを比較考量してみてもなるほどかなり政治的だなとわかる。

チェルノブイリより福島の基準値が随分ゆるいのは、チェルノブイリの基準でいけば、福島の農業が崩壊するからだと思われます。
ご存知のように被爆はその量に関係なく、少量であったとしても悪影響を及ぼします。
よく、科学者然とした連中がこの程度の汚染は大丈夫で、何の悪影響もないようなことを言っているのは、どのような悪影響を及ぼすかわかっていないことをタテにした悪辣な発言で、悪影響がでることだけは科学的に知られています。

だからこそ、福島産野菜を給食に使うような愚は犯さないでいただきたい。
子どもたちの被爆、未来の子どもたちへの被爆は決してさせないことだけは、守らなければならないわれわれの責務です。

放射能汚染が、福島の原発事故とともに消失するように漠然と考えておられる方もいらっしゃるだろうが、もはや海や大地はもとのきれいな状態にはここしばらくは戻りません。
それが、3・11以後のこの日本です。

南相馬の牛のことにマスコミはぎゃあぎゃあ騒いでいますが、あの基準値自体もそれほど厳しいものではない。
もっとも、こういう事実をマスコミが騒ぎ出せば、福島の農業は崩壊することになります。

福島がたいしたことがないと思う人は福島産野菜を食べればいいし、南相馬の牛も食べていけばいい。
けれどもそれを子どもたちに食べさすことはまかりなりません。

とにかく、東電の社員食堂は福島産の野菜、肉を大いに食べていただきたい。
あなたたちの起こした事故です。
政府の諸君も率先して食べてほしい。

あなたたちの主張する安全基準です。

これなら食べられますなどと、いちいちひと様の人生に介入してくるのではない。
わたしたちはわたしたちで考えています。

大丈夫だというのなら、君たちが、ガバガバ食えばいいのです。
人を巻き込むなよ、君たちの薄ら寒い発想に…

ラベル:

2011年7月13日水曜日

食品の放射性物質の基準値の嘘

http://www.youtube.com/watch?v=T3A_VnkDiO4

小出先生の説明です。

ラベル:

一方ではこういう動きもあります(田中龍作ジャーナルから)


幼な子をおぶって参加する母親の姿も目立った。(12日、全電通労働会館。写真:筆者撮影)

 全国の親たちが結束して「脱原発」の声を上げることになった。各地でめいめい放射能の除染や被曝防止に取り組んできた父母が全国的につながったのである。その名も「子どもたちを放射能から守る全国ネットワーク」。12日現在で北海道から沖縄まで101団体と個人資格の735人が参加を表明している。

 同ネットワークの発足集会が今日、都内で開かれた。30度を超す炎天下、幼な子を抱えた母親たちが会場に足を運んだ。急な呼びかけにもかかわらず400人余りが集まり会場は満席となった。出席者の98%は女性すなわち母親だ。

 各地の代表が汚染状況や取組みを報告した。「給食問題」をめぐる発言が目立った。東京・中央区の母親は「区に食材の開示と、不安な人は給食か弁当かを選択できるよう求めた」と話した。

 この後、事務局を東京に置き、▼全国の状況について情報交換する▼国政に働きかける▼食品の安全基準を自らで設けることなどを確認しあった。

 東電福島原発の事故は収束のメドさえつかないのに、経済界や政府は原発の再稼働に前のめりだ。
 こうした状況のなか「子どもたちを放射能から守ろう」と親たちが全国的につながった意義は大きい。このためマスコミ各社が珍しく取材に訪れた。母親たちは複雑な思いでそれを受け止めたようだ。

 「100mSvまでだったら浴びても大丈夫」「それ位の線量であれば食べても心配ない」などとする御用学者のコメントが連日テレビで流されたからだ。彼女らのマスコミ不信は大きい。

 墨田区に住む母親は「面白半分ではなくて真実を報道してほしい」と訴え、司会者は「震災以来テレビを壊そうと思ったほど…」と沸かせた。

 マスコミが政財界の御用機関として福島原発の事故後も安全神話を垂れ流し続けていることを快く思っていないのである。

 発足集会には俳優の山本太郎さんが駆け付けた。「脱原発発言」で所属事務所を辞めざるを得なくなった山本さんは、前日の11日には佐賀県にまで足を伸ばし、玄海原発の再稼働反対集会に参加している。

 山本さんは筆者のインタビューに次のように答えた―
「(原発政策の)流れを変えてゆくのは女性たち。命を生み、命の重さを知っているお母さんたちの声が聞きたくて参加した。彼女たちに負担をかけてしまって男として申し訳ない」。山本さんは女性ばかりの家庭で育ったのだそうだ。

 山本さんがいみじくも指摘するように、女性とりわけ母親が世論に与える影響は大きい。格好の例が選挙だ。女性を敵に回して選挙に落ちた政治家は数知れない。現職の大臣さえ落選の憂き目に遭うほどだ。

 「NO! 放射能 江東こども守る会」の石川綾子代表は全国の親たちが手をつないだことの意義を強調する―「地域だけでは限界がある。大きなかたまりとなって行政や議会が無視できないような状況に持っていきたい」。

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この星の外から来た技術

原子力発電をタイトルのように考えてもいいように思います。
そのように考えなければ、いつまでたっても原子力発電に対する議論がunder our controlという前提から逃れられなくなってしまうからです。

原子力発電はわれわれにとって制御不能の技術です。
一度破綻すれば福島の有様です。

肉牛が汚染されていたということは、他のものも汚染されているということです。
その汚染された牛肉を食べても大丈夫、大丈夫とテレビで主張する学者がいますが、体内被曝が大丈夫なわけはありません。
大丈夫といわなければ、福島の原発事故の様相を過小評価していなければ、原子力発電の推進が出来なくなってしまうことを恐れているのです。

どうして恐れるのか、なぜにこの制御できない機械を作りたいのか、わたしにはわかりません。

ただ、そこに驕りや将来の子どもたちへの思いの欠如があることは歴然としています。

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2011年7月12日火曜日

さすがにこれは風評被害だろう

東日本大震災の発生からまもなく4カ月が経過する。筆者は現在、ドイツ南部の都市ミュンヘンに滞在しているのだが、震災後間もなくだった4月の訪問時に欧州のあちこちで目にした「Fukushima-Daiichi (福島第一原発)」という言葉はすっかり姿を消している。

 だからだろうか、ドイツ人は日本人を見掛けると、決まってその後の「Fukushima-Daiichi」の様子を尋ねてくる。ホテルで、レストランで軽いあいさつを終えると、「ところで」と切り出してくるのだ。

 欧州で最も原子力に批判的とされるドイツでは、「Fukushima-Daiichi」の事故を受けて、反原発の動きが強まり、各地でデモが発生。原発全廃を先送りにしていたメルケル政権も6月、大衆の声を反映する形でついに完全廃止を宣言するに至ったほど。それだけに街の人々の原発に対する関心は高いのだ。

 そんなドイツのミュンヘンで今、思わぬ風評被害に遭っているのが、日本食レストランだという。日本食レストランと言っても、肉・魚・野菜など食材のほとんどは欧州で調達されている。店を仕切っている人だって、大抵の場合は"なんちゃって日本人"。マレーシアやバングラデシュからやってきた日本とは無縁のアジア人だ。

 ミュンヘン在住の知人は、「まあ、ラーメンに入ってる海苔なんかは日本から持ってきたものもあったんだけど、それも今は入ってない。完全な風評被害だね。ラーメンの具だって、白菜やゆでたまごぐらいだから」と言うが、客足は遠のくばかりのようだ。

「(ミュンヘンの位置する)ドイツ南部は、チェルノブイリ原発跡地(旧ロシア、現ウクライナ)からだいたい2,000キロぐらいの位置にある。それでも、空中に舞った放射性物質が雨で地面に落ちて土壌を汚染しており、爆発事故から25年が経ったいまでも、この地域では例えばキノコなどの栽培が禁止されている。だから、みんな敏感になっている」(同知人)

 近年、日本食レストランは世界中でその数を伸ばし「Sushi(寿司」や「Ramen(ラーメン)」は日本を代表するモノとして認知されてきた。しかし震災後、原発の問題もあってその様子は変わりつつある。

 日本で一部の地域の茶葉から高濃度のセシウムが検出され出荷停止に至る事態もあったが、それ以前からレストランでは日本茶を控えていた店も少なくないという。脱原発の次は、脱日本食の動き。風評は思わぬ地で、思わぬ広がりを見せている。
(取材・文=栗原正夫)

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深川安楽亭


この小説は長さからいけば、短編ということになるが、そこにはいくつものことが書きこまれている。
たいてい短編小説はひとつのことを書き込んでしまうほうがいいとしたものだが、一場面ものとして名高いこの作品ではいくつもの出来事が起こりながらそれが重層的にひとつのテーマに流れ込んでいく結構になっている。

山本周五郎さんは達者なものだなあということと藤沢周平がこの人の作品をあまり読んでいない理由もなにやらわかる気がした。

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人というものは、見たくないものは見えなくしてしまう動物なようで

タイトルは、原発事故問題のことですが、これは、既得権益を得る側だけではなく被災者側もそのようです。

以下は、わたしの信頼する人々の意見を聞き、熟成させた後にわたしが思うことで、それが正しいという大上段の主張ではありません。

われわれには、3・11以前と以後と分ける意識がとても薄いように思います。
3・11以前にいまだに戻れると考えている人々が多く日本に在住しますが、それはどうでしょうか、本当に可能なんでしょうか。
原子力発電の技術がわれわれが処しきれない、われわれの外から到来した技術だとしたら、その技術はわれわれの世界から締め出すしかありません。

科学万能主義がここまで根深くこの世界に巣食っているとは知りませんでした。
科学の進歩により人間は前のめりに進んできましたが、原発だけは、科学の進歩で乗り切れるものではありません。
試行錯誤という科学の進歩上必要な手順を踏めないからです。

福島の原発事故が、原発という機械のエラーは致命的だということを教えてくれています。
それをまたぞろストレステストでOKならば、などと戯言を言い始めています。

原子力発電が人知を上回っている技術であるという可能性に見向きもしません。
おそらく原発が、使用可能になるとするならば、それはこの星の失敗から学んだどこかの惑星でのことでしょう。

「核」と「原子力」は、同じものです。
私見ではそれは触ってはならないものです。

だったら、3・11以前に戻れないではないかという切羽詰った問いが出てこようかと思いますが、まさに戻れないのです。
いたずらに3・11以前と同じ世界を懐古するのは不毛です。

福島の大地は元の状態に戻りません。
海洋汚染は進行するばかりです。
電力不足は根拠のないブラフです。
火力発電の全稼動でなんら心配ありません。

もっとも火力発電にはCO2に代表される環境問題や化石燃料の枯渇に問題はありますが、原発の危険性に比べれば、当然選ぶべき選択肢として浮上します。
それより何より3・11以前の赤子のような電力使用は止めることです。

いままでの放射能汚染にプラスされて人類史上最も大きな放射能汚染が福島原発で起こっています。
その汚染がどれほどの規模のものか、誰も見向きもしません。
不可逆的に汚染された地域が出ているはずです。
そこでの子どものたちの成育は望むべくもありません。
農業、漁業がもとのように戻ることはありません。
そのことにより、農業漁業に大きな影響が出、ひいては国内の需要力が下がるわけですから、他の産業も影響を受けます。
その条件下で世界経済の一員として、のしていけるかどうかをわたしは知りません。

かなりの土俵際まで押し込まれた日本は、3・11以前の日本に戻るのではなく、別の世界を創出するという意識が必要になるはずです。

まだ昔に戻れる。
福島の事故は夢のことだったと思いたいでしょうが、残念ながらあれは現実です。

われわれ個人個人がそれぞれ生きる違う世界を作り出す必要が、われわれにはあります。

政治家がそれを出来ないのなら、だれかが主張しなければなりません。
もう、3・11以前の世界は終わってしまったのです。
この国に安全な食べ物などないという姿勢が必要とされる時代の到来です。

見たくはないでしょうが、元に戻れないことを意識しなければならないと私見では考えております。
new clearは、核でとも、原子力とも訳しますが、人知にあまるものであったとわたしは認識しております。

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2011年7月11日月曜日

勝手にしやがれ


ゴダールのこの映画はトリフォーのシナリオが始点になる。
その後の仲たがいが嘘のようにトリフォーはこの映画をほめそやす。
その評は、わたしに共感を呼ぶ。

この映画は、むき出しの感性をこれでもかとぶつけてくるもので、一見しゃれているようにも思えるが、心地よくは感じられない。
こちらの完成まで逆なでされているようだ。

だからこそ、この映画である。

日曜日の朝に悪くない映画であった。
外に出ると、一気に暑い日差しに身がさらされた。

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未来の子どもたちも棄民するこの国

女性(左端)は日本で妊娠することの不安を切々と訴えた。「放射能におびえない生活に戻りたい」の短冊は女性たちの声を代弁しているようだ。(7日、東京電力前。写真:筆者撮影)

 「結婚して子供を産みたいんですけど、今の日本では安心して妊娠できません」――七夕の日、東京電力に「原発の停止」を要請した母親たちに混じって参加した女性(30代・会社員=都内在住)は、声を絞るようにして訴えた。

 彼女は食品や水に細心の注意を払う。野菜は西日本産、水はペットボトルと決めている。国内産の魚は口にしない。大好きだった牛乳もやめた。

 脱原発の集会・デモに行くと「食べ物には用心に用心を重ねている」と話す未婚の女性によく出会う。放射能汚染に敏感になっているのは母親たちだけではない。

 子供たちを危険に晒し、新しい生命の誕生さえ危うくするのが原発事故だ。子供を産み育てる女性に、不安を抱かせるような国家に将来はない。’田中龍作ジャーナルから)

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2011年7月10日日曜日

コケにされとりますねえ、われわれは

「ふくいちライブカメラ」は、やはり工作された合成映像! JNNカメラに映っている核廃棄物移動用の巨大クレーンが、映っていない。英メディアが指摘。
http://t.co/1zHFetV

英メディアが本当そうじゃないですか、東電さん。

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小出先生です

「源流と核廃棄物」

http://www.youtube.com/watch?v=N2DXRlnjVWo

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肉と牛乳

肉は飼料の問題によって放射能汚染されるから福島を中心にその影響を考えて、トリ、豚、牛は汚染の可能性があります。
牛乳も同様ですが、福島の乳牛の一部は、北海道に運ばれておりますが故、場所によっては危険な牛乳が存在します。

とにかく子どもさんをお持ちの方は注意してください。
東京の給食に福島の野菜が使用され始めたら、それは拒否しましょう。

最悪の中の最善を選ぶ作業なんてまったくもって笑い話にもなりませんが、今はそんな状態の国土にわたしたちは住んでいます。

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メルトアウト

2011年7月8日、現代ビジネスの記事「メルトアウト「核燃料」地下水直撃の恐怖! メルトスルーを超える最悪の事態 東電はこの可能性を隠していないか! 」に、小出裕章さんの発言が掲載されています。

小出氏の発言が掲載されているのは現代ビジネスの記事「メルトアウト「核燃料」地下水直撃の恐怖! メルトスルーを超える最悪の事態 東電はこの可能性を隠していないか! 」2ページ目です。

以下、彼のコメントを含む部分の転載です

=====

 6月7日に公開した国際原子力機関(IAEA)への報告書で、政府は1~3号機で「溶融貫通」している可能性を認めた。これは、炉心溶融(メルトダウン)した核燃料が、原子炉圧力容器を突き抜け、さらに外側の格納容器にまで流れ落ちてしまう「メルトスルー」という状態だ。

 だが「福島第一はもっと絶望的な状況にある」と指摘するのは、京都大学原子炉実験所の小出裕章助教である。

「溶けた核燃料であるウランの塊=溶融体が、格納容器の底をも破り、原子炉建屋地下のコンクリートを溶かして地面にめり込んでいるのではないかと考えています。核燃料の炉心部分は、2800℃を超えないと溶けません(現在の温度は高い放射線量のため測定不能)。溶融体の重量は100tにもなります。圧力容器や格納容器の鉄鋼は1500℃程度で溶けてしまいますから、溶融体は原子炉建屋地下の床に落ちているはずです。その一部は地下の床を浸食し、一部は汚染水に流され周囲の壁を溶かしているでしょう」

 これは核燃料が原子炉建屋の外部に直接漏れ出て、周囲に超高濃度の放射性物質を撒き散らす「メルトアウト」と呼ばれる最悪の状態だ。小出氏が続ける。

「もし溶融体が地下水を直撃していれば、いくら循環冷却しても放射性物質の拡散は防ぐことはできません。地下水の流れを止めない限り、周囲の海は汚染され続けるのです。汚染を防ぐためには、原子炉建屋の地下の四方に遮蔽壁を作るしかないでしょう。溶融体や汚染された土壌と、地下水の接触を断つのです」

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七夕の日に


東電は、ひいては日本は、その中心部(中心部!?)では何も変わっていないのかもしれない。(とんぼ)

七夕の今日、放射能から子供を守ろうとする母親たちが東京電力に「原発を使わない電気を供給して下さい」と要望した。(主催:いのちを守るお母さん全国ネットワーク)

 テレビや政府が「放射能は心配ない」と喧伝するのとウラハラに子を持つ母親の不安は募る。首都圏の母親たちが公園の放射線量を計測したりするのも子供を守りたい一心からだ。

 “二度と原発事故を起こしてほしくない”、“これ以上放射能汚染を拡大してほしくない”母親たちの悲痛な願いが東京電力まで足を運ばせたのである。

 母親たちが要請に行くことは何日も前から東電側に知らせており、東電も「受ける」と答えていた。七夕に合わせて浴衣がけの彼女たちは要請文を手に内幸町の東電正門で東電担当者のお出ましを待った。

 だが鉄柵は隙間なく閉じられ、対応したのはガードマンたちだった。「いのちを守るお母さん全国ネットワーク関東支部」の横関彩子さんが、東電側がなぜ出てこないのかを問うとガードマンのリーダー格が携帯電話をやおら取り出し社内と連絡を取り合った。

 「応対するのは3人まで。残りの人は(車道を挟んで)向こう側に行って下さい。それが条件です」。これが東電側からの伝言だった。

 総勢20人以上いるが正門前は天下の公道なのである。公道の人数まで制限するところがいかにも東電らしい。政府さえ恣に動かせるのだから、道路交通法さえ自らに都合のいいように運営できると思っているのだろう。

 参加した母親たちや支援者は3人を残して不承不承、車道を挟んで向こう側の歩道に移動した。

 すると東電社員がおもむろに1人出てきた。原子力担当者とまで行かなくても広報あたりが対応するのかと思っていたらそうではなかった。出てきたのは警備長だった。社員ではあるがガードマンを束ねるのが業務で、原発も放射能も関係ない部署の人間なのだ。

 それでも横関さんはめげずに要請文を読み上げた――

 「福島・日本全国・世界の子供たちが安全な空気・水・食べ物を手に入れられる、安心して暮らせる日本社会・地球にして下さい。原発を使わない電気の供給をお願い致します……(後略)」

 要請文に添えて子供たちは警備長に短冊を手渡した。七夕にちなみ母親たちが短冊に願いをしたためたのである。『放射能におびえない生活に戻りたい』『安全でおいしい肉、魚、野菜が食べられるようになってほしい』・・・いずれも子供の健康を願う母親としてごく当たり前のメッセージばかりだった。

 短冊が東電幹部の目に留まることはあるまいが、もし見たとしたら彼女らの願いをどう受け止めるだろうか。
(龍作ジャーナルより)

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たとえばこの国は

メルトダウン、メルトスルー、メルトアウトという状況が福島の事故に現出しているとしたら、それを国民に向かって、発表できるのだろうか。
特に、福島県民に取り返しがつかないことになってしまったと頭を下げられるのか。

手のうち用の遅さから放射性物質が建屋を越えて地下水にぶつかっていたとすれば、その汚染度合いは確実に広がる。(汚染を止めるのもはなはだ厄介なことになる)
誰もはっきり言わないが、福島のほとんどの区域が農地として再生するのはかなり難しい。
不可能に近いといっていいのかもしれない。
風の向きが基本的に海に向かっているので土地汚染は大丈夫なようなイメージを持つが放射線量がチェルノブイリを上回るのだから、想像されているよりはずっとひどい汚染状態になっていると思います。

東京あたりでも安心といっておられません。

というわけで、情報をみんなが欲しているのです。
自分の家族をインドネシアに逃がしたといわれている枝野君、ほんとうのところは、どうなのですか?

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2011年7月9日土曜日

コラテラル・ダメージ


この映画の脚本はすごい。
終始アメリカの正義を振りかざします。

あえてアメリカのひどさだけをここにあげつらうことはしませんが、こういう国策の洗脳映画の制作においては北朝鮮とこの国はどっこいどっこいだと思う。
そういう国に金魚の糞のようにくっついている国はさらに眼を覆う状態であるのか。

気分の悪さを洗い流すためにゴダールでも見に行こうかと思っています。
個人的趣味において、わたしにとってゴダールの映画を見る行為は、アメリカの広報映画よりはるかに精神によろしく反応します。

もう無駄な映画を見たり、無駄な人に会ったりする時間はないのだといつも思いますが、毎回、無駄に過ごしているような気がします。

そういえば、昨日会った若者はなかなかいい青年でした。
自分を誇りもせず、卑下もしないその態度は、ぜひとも日本に見習ってもらいたいものです。

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節電をなぜ声高に叫んでいるかの嘘もばれるかな

「節電」は本当に必要なの? 日本人は劣っている?!

アメリカの電力生産総量は8億キロワット、日本は1億8000万キロワットである。
アメリカの人口は3億人、日本は1億2千万人だから、アメリカ人は一人当たりの電気の使用量は2.6キロワット、それに対して日本人は1.5キロワットである。
日本人一人当たりの電気の使用量は、アメリカ人の1.8分の1だ。なぜ、こんな貧弱なことで、なぜ日本人は我慢しているのだろうか?

・・・・・・

もちろん、「電気を使ったら幸福になる」と言っているのではない.
電気を節約したい人も、明るいところで陽気に人生を送りたい人もいるし、給料の範囲で電気を大いに使った人生が良いと思っている人もいるだろう.
人生の過ごし方、その人の幸福というのは、万人が同一ではない。そして「電気を使うこと」は「悪いこと」でもない。
電気を使わなければ、お金が余るから、その人はお酒を飲むかも知れないし、美味しいレストランに行くかもしれない。
電気、お酒、レストラン・・・それがその人の給料の使い方として正しいかを決めるのはあまりにも傲慢だ。

「電気はエネルギーを使うから」というのも間違いだ。お酒もレストランもふんだんに電気を使っている.

だから、国民に電気を供給できるということは、国民側から言えば、それだけ人生の選択の幅が増えるのだから、良いことである.

それなのになぜ、日本人はアメリカ人の2分の1ほどの電気しか使えないのか?それをさらに15%も削減する必要はなぜあるのか??

・・・・・・・・・

日本のエリートの中には「白人崇拝、日本人蔑視」が染みついている人がいる.それが個人の生活だけに及ぶなら良いが、「アメリカ人は高等民族だから2.6キロワットでもよいが、日本人は劣等民族だから1.5キロワットでも多すぎる」ということを日本人全部に強制する傾向がある。

温暖化騒動の時もそうだった。アメリカ人が日本人よりCO2を2倍も出しているのに、「アメリカ人は良いけれど、日本人はアメリカ人の犠牲になるべきだ」という識者が多くて、手を焼いた。

・・・・・・・・・

日本文化は世界に誇るものだし、20世紀の前半、少し海外に軍隊を派遣したことはあるが、アメリカほど長期間、大規模に他国を軍で抑えるようなことはしていない。

2000年に歴史、伝染病の少なかった日本社会、ほとんどの民衆が平等で階級制が発達しなかった日本・・・そんな面から考えても日本人がアメリカ人に劣ることはない。

・・・・・・・・・

もともと日本の電気代はアメリカの3倍と言われる.
もともと日本人はアメリカ人の1.8分の1しか電気を使っていない。
電気が足りなくなったとしたら、東電のミスである.
それなのに[電気を15%削減できなかったら罰則]というのは、政府が溢れるほどのお金を東電からもらっているからだ。
しかも、東電の電気生産能力はたっぷりあるのに、放漫経営で電気をだせないに過ぎない.

・・・・・・・・・

私たちの電気代から、政治資金、マスコミ対策資金、御用学者研究費をだし、社会をコントロールすることに私たちは寛容であってはならない。

絶対に節電に協力してはいけない。また電力は増長する.

(平成23年7月8日 午後3時 執筆)

武田邦彦

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2011年7月8日金曜日

驚くことはない九電のやらせメール

http://www.youtube.com/watch?v=XpMIGuSeLkI

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短編三作

色川武大さんのエッセイを読んでいたら短編三作として以下のものを挙げておられた。
最も思いついた順に並べただけと書き添えてあって、この種のベスト10だのべスト3などの胡散臭さを思っていたわたしは、色川さんにもそんなところがあったのかと、ほっとしたりしました。

曰く、
W.フォークナー「納屋は燃える」
グレアム・グリーン「破壊者」
石川淳「焼跡のイエス」

ところで、これらを読んでみてもわたしにはしっくりこないのです。
なんとなくいいのだろうなという雰囲気はわかるのですが、直接には響かないのです。

小説読みとしての力量をきっぱりと見切られたようで、なんとなくすっきりした気分もあり、悪い気はしなかったのですが、ふむふむと納得の気分が広がっていったのです。

しっかりと、小説を読む目を育てたいものです。

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2011年7月7日木曜日

原発再稼動しないと…電気料金36%増って本当なの?

小出先生の意見が、載っています。
2011.07.05

 資源エネルギー庁が所管する日本エネルギー経済研究所の試算によれば、原発を再稼働しなければ来年の夏も深刻な電力不足に陥るらしい。経済への悪影響は避けられず、電気料金は跳ね上がり、だから再稼働は必要-との結論だ。でもこれって本当なの?

 同研究所が6月下旬に発表した2012年度までの電力需給分析は、「原子力発電の再稼働問題を真摯に検討することがわが国にとって喫緊の課題となる」と結んでいる。

 根拠となるのは来年夏に予想される大幅な電力不足だ。全国にある54基の原発(4896キロワット)がすべて停止した場合、総発電能力は最大電力を7・8%下回る。安定供給には5%程度の予備率が必要とされるため、合わせて12%以上の大幅な節電が必要で、従来の不足分を石油による火力発電で補うと、地域によっては需要が発電能力を上回るとしている。

 さらに、火力燃料の消費量は劇的に増加し、石炭とLNG(液化天然ガス)、石油で2010年度比3・5兆円も調達コストが上昇。合わせて、産業用電気料金も同年度比で36%上がり、リポートでは「わが国の産業競争力への極めて深刻な悪影響も懸念される」と指摘。原発再稼働は不可避との結論を導き出している。

 しかし、「原発のウソ」(扶桑社新書)などの著書がある京都大原子炉実験所の小出裕章助教は、この試算について「今さら何を言っているのか。あきれて物が言えない」と一蹴した。

 「これまで水力、火力でまかなえる電力の合計以上になったことはほとんどない。わずかに足りなくなった量も、企業などの自家発電で吸収できる範囲。何よりピーク時というのは真夏の数日間の数時間に過ぎない。発電コストも電力会社の有価証券報告書を調べれば1キロワットあたり水力3・98円、火力9・90円、原子力10・68円と高くつくとの試算もある」

 また、ある原子力専門家は「『経済への悪影響』を錦の御旗にして財界をバックにつけ、とにかく原発を維持したい意図が見え隠れする」ともみている。

 「これからもこうしたミスリードは続き、さらに強くなるだろう。今はエネルギー消費そのものの抑制に目を向けるべき」とは小出氏。

 原発に頼らず石油などの化石燃料に偏りすぎるとオイルショックの二の舞いになりかねないが、再稼働しないと電気代が跳ね上がると言われても…。庶民の混乱は増すばかりだ。

高木さんもまた当事者でありました

http://www.youtube.com/watch?v=PUquFYo26vM&feature=related

振り返って、わが身を憾みます。

ラベル:

かつて高木仁三郎という男がいた(カリスマとは呼びたくないが)

http://www.youtube.com/watch?v=61rm09kzAT0

ラベル:

あやつらは何も考えておりません

ストレステストはIAEAに要請されてあわててやるだけのことであって、彼らの意志ではありません。
この国にあって原発に対する安全性の意識はこれほどまでに希薄なのです。

それよりも何よりもやつらにとっては既得権益が大事なのです。
あやつらの言う原発は安全という宣言は空手形です。

念のために言及しますが、福島県も原発は安全と宣言して福島原発を稼動させたのです。
今の被害者の顔だけが、福島の為政者の顔ではありません。
そのとき、信じてしまった福島県人はどうl問われるのか。
これは、はなはだ厄介な問題です。

そして、この原発問題だけは、ダメだったからといって後戻りは出来ません。
不可逆的かつ致命的な事故をもたらすのです。

わかっておいでですか、海江田君。(とんぼ)

菅直人首相が原子力発電所の再稼働や安全性確認に関する従来の政府方針を覆したことに困惑が広がっている。九州電力玄海原発(佐賀県玄海町)の再開容認の姿勢をみせていた佐賀県の古川康知事は7日午前、首相官邸で枝野幸男官房長官と会談。全原発を対象に事故・災害への耐久性を調べるストレステスト(耐性調査)を打ち出したことに「なぜいまなのか」と抗議した。

 会談で古川知事は「玄海町長も怒っていた。誰の言葉を信じていいのか分からない」と批判。その上で「首相が来て見識を聞かないと最終判断はできない」と改めて首相の佐賀県訪問を求めた。

 官房長官は「十分に思いと状況が伝わっていなくて申し訳ない」と陳謝し「政府の考えを整理して伝えられるよう、経済産業相、首相と相談したい」と語った。首相の訪問は「引き続き検討する」と述べるにとどめた。

 会談後、古川知事は記者団に「(再稼働は)ストレステストが終わってからと受け止めた」と指摘。ストレステストが再稼働の条件になるかは「政府で整理しているということだった」と語った。再稼働の要請には「そういう発言はなかった」と明らかにした。

 原発の再稼働を巡っては首相が6日、中部電力浜岡原発以外の原発の安全性を確認したとしていた従来方針を変更。ストレステストの実施を細野豪志原発事故担当相、海江田万里経産相らに指示したと表明した。

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七夕の日に、なかなかの裁判長発言

中部電力を相手どり、浜岡原発の周辺住民が原発の運転差し止めを求めた訴訟の控訴審で6日、約1年ぶりに開かれた口頭弁論。住民側は「廃炉」を求め、改めて地震動による原発の危険性を訴えるとともに、福島第一原発の事故を受け、「津波についても根本的な再検討が必要」と主張した。

 弁論では、「福島第一原発事故の調査結果を踏まえて主張を検討したい」とした中電側に対し、住民側が「調査の結果次第では廃炉の可能性もあるのか」と詰め寄る場面もあった。すると、岡久幸治裁判長が「安全性が立証できなければ、やめるということが当たり前でしょう」と発言。傍聴席に詰めかけた住民らからは拍手がわき起こった。

 原告代表の白鳥良香さんは「判決前に裁判長が明言したのは非常に大きい」と喜んだ。弁論後に会見した弁護団は「福島第一原発の事故で世の中の認識は変わったのに、中電はそれを踏まえた考えが全くない」と不満を漏らした。

 中電は「津波に対する安全性は新たな争点に加わると思うが、これまでの立証とはそんなに変わらない」と話した。

ラベル:

間違えたと思えば、もう一度考え直せばいい、それだけのことです

九州電力玄海原子力発電所がある佐賀県玄海町の岸本英雄町長は7日午前、記者会見を開き、九電に容認を伝えていた玄海原発2、3号機の運転再開について「判断をいったん留保する。個人的には撤回したい。議会の了承が得られれば7日午後にも撤回の意向を九電に正式に伝えたい」と述べた。政府による全国の原発での安全性評価(ストレステスト)の実施表明や、九電の「やらせメール」問題に反発した。

ラベル:

福島県の子どもたち

内部被爆調査をようやくし始めたが、その結果はある程度予想していたとはいえ、強烈なものが続いています。

そういう中で一昨日だったか、3月末に福島の子ども1000人を対象にした検査で、45%の子どもが、甲状腺被曝していたことも、ようやく明らかにされた。

おわかりと思いますが、この国の権力にはまだまだ隠蔽していることがあるはずです。

たまらんぜよ。

ラベル:

unlearn

繰り返しここで書いていることですが、人は自分がそれまで見聞きしてきたことによって、学んできたことによって自分の中にパターンを作りそれに当てはめて物事を理解しようとします。

ここでは、わかりやすく人の理解といったことに限定しますが、この人の理解に端的にその人の力量が出ます。
たとえば、先日職を辞した松本という大臣は、わたしは九州の人間ですけん、とか典型的なB型ですからと語っていましたが、これほど単純なパタン認識はありません。
もっとも彼の場合、聞く側をなめての発言かもしれません。

とにかく、人は、パタンに分けて他者を認識しようとします。
けれども、人間というものはそれほど貧困なパタンに押し込まれるものではないのです。
それぞれもっと細やかに見ていかなければその本質的なるものは見えてきません。(ま、本質があればのことですが)

長くこのブログを読んでくださっている方ならご承知とおもいますが、わたしのひいきの女性は、具体的には二人いて、ひとりは小学生で、ひとりは東京という大都会の最底辺に暮らす女性です。

小学生!? と驚かれ、ロリータかと直感されるのであれば、それがあなたのパタン認識です。
わたしは、その小学生の女の子から色々と説教されております。
そして、何度もなるほどと考えさせられます。
それとは別に最底辺の女性の生き方に幾度も眼を見開かされました。

これは、わたしのパタン認識を疑うという作業から産み出されたものです。

人は学びます。(learn)
けれども、そのあとにunlearnという作業を是非付け加えたいものです。
unlearnしておかなければ新しい人間には出会えないからです。

目の前の人間を自分の貧困なるパターンの中に押し込めて認識してはならない。

これが、わたしの矜持です。(気恥ずかしい宣言ですが)

と言うわけで、わたしは権力にこびません。
その権力が大きくても小さくても。
それは処世の上ではなはだやっかいな資質です。
と言うわけで、隠遁生活。
トホホ、といったところでしょうか。

それでも、unlearnをほどこし、その人をその人のまま受け入れようとするわたしの姿勢をうっすらと感じ、贔屓にしてくれる人もいます。
たいていは、社会的弱者であることが多いですが、わたしの精神的な支えとなります。

とにかく、ここでは、人は自分の中にあるパターンのいずれかに相手を沈めて理解しようとすること、けれどもそれ以外に人を理解する方法があって、そこにはunlearnという作業が不可欠なことを主張しました。

原発事故の対応もunlearn出来ていない人々は、たいていは似たりよったりです。
淋しいことですね。

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2011年7月6日水曜日

7/3 小出さんの広島での講演と質疑

http://www.youtube.com/watch?v=tCQDicubkx0

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わりと料理はするほうです


そんなことも知らなかったのかと笑われてしまいそうですが、最近画期的なことを知りました。
煮物を甘みから味をつけていくのは知っていたのですが、炒め物ではじめに砂糖と食材だけで炒めるという方法を知りませんでした。
この炒め方だとしゃっきとしたものが出来上がります。

こういう術をひとつ知るだけで生活が豊かになるというのは、本当にうれしいものです。

ラベル:

現場から

時代ですね。
こういうツイッターがあるのですね。

https://twitter.com/#!/Happy20790

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2011年7月5日火曜日

小出さんの記事です

<特集ワイド>研究の前線で反原発 住民支える「異端」--京大原子炉実験所・小出助教
2011年7月4日(月)18:00

 ◇リスク負うのは後世…犠牲少なくする責任ある

 学者の良心とは何か――。福島第1原発事故は、すべての原子力研究者に問いを突きつけた。その一人でありながら、一貫して反原発の立場を取ってきた京都大学原子炉実験所(大阪府熊取町)の小出裕章助教(61)は今、何を思うのか。【宍戸護】

 ◇田中正造「もっとも敬愛する人」

 暑い昼下がり、訪ねた研究室は薄暗かった。蛍光灯もエアコンもスイッチを入れていない。2人一部屋の真ん中をついたてで仕切られた細長いスペースで、小出さんは机に向かっていた。「余計なエネルギーは使わない。皆さんぜいたくになり過ぎて、不要なものを使い過ぎています」

 原子力の文献が山積みされて、記者が座るともう身動きがとれない。

 小出さんの専門は放射線計測、原子力安全。愛媛県・伊方原発の設置許可取り消し訴訟で原告側証人となり、99年のJCO東海事業所臨界事故では土壌の放射線を測定し、別の争いでは地域のがん死者数の推計作業も行う――放射性物質の被害を受ける住民を支える活動をしてきた。

 福島第1原発の事故後は新聞、テレビ、ラジオ、講演、あらゆる場で事態の深刻さや政府・東京電力の対応のまずさを指摘し続けている。6月に出版した「原発のウソ」(扶桑社新書)は20万部のベストセラーになった。いまや一分一秒を惜しむ忙しさだ。

  ■

 小出さんは東京都台東区生まれ。私立開成高校卒業後、1968年、東北大学工学部原子核工学科に入学。授業を一回も欠席しない学生だったという。「あのころ、原子力は未来のエネルギーと信じていました。原爆のものすごいエネルギーを平和利用したいと思い込んでいました」

 東大安田講堂事件をテレビで見た69年、宮城県女川町・石巻市にまたがる女川原子力発電所設置を巡り漁師たちが「電気は仙台で使うのに、なぜ自分たちの町に原発を造るのか」と抗議していることを知った。小出さんは原発のあり方について考え抜き、一つの結論にたどりつく。「女川原発が事故を起こした場合、地元住民はそこに住み続ければ健康に害があり、健康に害がないようにすれば、その地域に住めなくなる」

 その懸念は42年後、福島県で現実となる。

 原子核工学科は、原子力発電を支えるための科学者や技術者を養成する場。「この学問は受け入れられない」と去っていった仲間もいたが、小出さんは「原子力の学問の中にいながら、原子力が抱える問題を指摘し続けるのが自分の歩む道」と決断した。

 京大原子炉実験所が助手を募集していることを「大学院の掲示板で偶然知り」、74年春に採用された。そこには既に、反原発を唱える助手が4人もいた。原発関連の訴訟を支援し、のちに加わった今中哲二助教とともに「反原発の6人組」と呼ばれた。中国の文化大革命を主導した4人組になぞらえての揶揄(やゆ)だ。「反国家的な存在」ともささやかれた。

 実験所は「原子炉による実験及びこれに関連する研究」を目的とし、全国の大学の共同利用施設として63年に設置された。反原発を掲げる小出さんらがなぜ残れたのか。

 「ここの原子炉は、もともと中性子を出すための道具として造られた。物理学、化学、医学のがん治療にも中性子を使って研究したい分野があり、推進も反対も関係ないのです。とはいえ、教員の自由な意思を尊重し、学問を発展させる京都大学の校風もあったでしょうね」

 長年、助教(助手)であることについては「(出身大学からしても)外様ですから」とやんわりかわしたが、研究者の「原子力村」への舌鋒(ぜっぽう)は鋭い。「猛烈な選別があります。例えば東大ならば国家に協力しない人はダメ。その協力の度合いに応じて出世が待っているのです」

 5月23日の参院行政監視委員会で、参考人として国の原子力政策を批判した小出さんは、インド独立の指導者、マハトマ・ガンジーの言葉「七つの社会的罪」を挙げた。うち二つは「道徳なき商業」と「人間性なき科学」。前者を東電、後者を自らも含めたアカデミズムに当てはめた。

 「一人一人の人間が生きてきた歴史が根こそぎ壊れた。失われる土地、生活、健康を考えれば、これからも原子力が科学の進歩で何とかなるとは、私には到底言えない」

 小出さんは静かに言った。

  ■

 ふと目の前にあるついたてを見ると、ひげをはやした老人の顔写真があった。足尾鉱毒事件の被害者救済に生涯をささげた明治時代の政治家、田中正造。「私が最も敬愛している人です」

 日本が列強入りを目指し、日露戦争に突き進もうとした時代。正造は、群馬・栃木県の渡良瀬川流域で起きた足尾銅山からの鉱毒公害を告発し、権力の横暴と闘った。明治天皇に直訴し、自らの命と引き換えに農民たちを救おうとしたことはあまりにも有名だ。

 くしくも震災発生直前の3月8日、正造の晩年の直筆短歌が栃木県で見つかった。

 <世をいとひ そしりをいミて 何かせん 身をすてゝこそ たのしかりけれ>

 そしりを受けて世を恨んでも仕方ない。身を捨てて事に当たればこそ楽しいこともあろう――。「正造さんは国家に見捨てられた農民に最期まで寄り添い続けた。亡くなる時も、自分の病気より鉱毒のことを気にして、住民を叱咤(しった)した。実に潔い生き方だと思います」

 鉱毒と原発――。二つの出来事が時を超えて重なる。

 「原発には都会が引き受けられないリスクがある。そのリスクを、都会の住人は社会的に弱い立場にある過疎地の人たちに押しつけている。仮に原発事故が防げても、原子力を使い続ける限り核のゴミ(放射性廃棄物)は増え続けるし、人間はそれを無毒化できない。私たちの世代は、自らの利益のために、選択権のない後世にその『毒』を押しつけているのです」

 後世への責任。それは小出さんが常に強調してやまないことだ。「原子力の場にいる私にも普通の人とは違う責任がある。そして、普通の日本人の皆さんにも責任はあると思う。推進派にだまされたかもしれない。でも、だまされた責任もあるはずです」

 とすれば、やるべきことは何か。

 「原子力を進めてきたのは大人だが、そのしわ寄せを受けるのは、おそらく子どもたちです。子どもたちの犠牲を何とか少なくするために、私は自分なりに責任を果たしていきたいのです」

 この国の原発数は米仏に次ぐ54基。自ら「異端」と称する研究者は、これからの長く険しい闘いを覚悟しているようだった。

転載元:特集ワイド:研究の前線で反原発 住民支える「異端」--京大原子炉実験所・小出助教 – 毎日jp(毎日新聞)

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武田先生のご意見です

原発再開のための必須条件 「必要性」と「安全性」の分離

今回の原発事故を起こした多くの原因の一つが「原発の必要性」と「原発の安全性」を切り離して無かったことが上げられる。

「原発は必要だから、安全である」
という論理はきわめて強く主張された。

もちろん、必要性と安全性はまったく関係がない。

かつて私が1960年代に化学コンビナートに勤務したとき、ちょうど「必要だからやる」というのと、「安全でなければやらない」という議論が拮抗していた時期だった。

コンビナートには「安全第一」という旗が翩翻とひるがえっていたが、誰もが「あれは建前であって、生産が先だ」と心密かに思っていた。
当時、日本は戦後復興の時期を経て、高度成長の前夜にあたり、「生産第一」の時代だった。職場の雰囲気は「安全、安全って、なに言っているんだ。そんなこと気にして仕事ができるか!」ということで、現在の原子力はまだその時代にいるのだから、化学工業の40年前を彷彿させる.

・・・・・・・・・

日本の電力供給が重要であることは言うまでもない.
でも、電力の確保は「安全に電力が得られる技術に限定される」のは当然であり、「必要性が高いから、危険な方法も選択できる」というのはあまりにも古い考え方だ。

今回の福島原発の事故で分かったように、生産工場では事故はきわめて大きな損失になる。生産を急いでもひとたび事故を起こしたら、全部、失ってしまう、というのが教訓だからだ。

・・・・・・

でも、原発の場合は違うかも知れない。
普通の会社の工場が爆発事故を起こしたら、付近住民に被害があったら、自分の工場の後始末をほって付近住民の窓ガラスを直したり、飛び散ったものを回収してきたりする。
ところが今回の原発事故では、当事者の東電は福島原発にだけかかずらっていて、さっぱり被災地の人を助けに来ない。
汚れた大地を除染もしないし、除染した土を回収にも来ない.「電気会社は特別だ」と言わんばかりの態度である.

このことは、やがて「不安全でも原発を再開する」ということになるだろう。

でも、やがて数年後からでる被曝の疾病ばかりではなく、すでに子どもを疎開させたり、せっかくの休日も公園に遊びに行けなかったり、生活に大きなダメージが拡がっている.

・・・・・・・・・

まずは50年も遅れている電力の「生産と安全」の関係について、再開までにハッキリさせ、「原発は必要だから安全」という考えを捨てて、「今回の原発事故の原因と対策を実施し、その上で日本が原子力を続けることを国民で確認して、再開する」という多くの工業分野ですでに当然となっている、手続きを踏まなければならないだろう。

(平成23年7月4日 午前11時 執筆)


武田邦彦

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不便であろうが、電気代が上がろうが

どこに焦点があるかわからなければ、一歩も進めない。

今の体制は、この体制下で既得権益を得ている人間たちからは離すべき体制ではないと映っています。
だからそのような言動をするし、その既得権益をもつ人間の今の社会での発言力は強い。

うすら淋しい姿ではありますが、彼らも必死です。
こちらも、何が何でも原発はやめるという姿勢を通さなければ、またぞろ原発社会は訪れます。
それは、既得権益者にとって都合のいい社会だからです。
彼らは、嘘をつきまくり、その体制を維持しようとします。

福島の子らは、明らかに棄民対象です。
そういう国ですここは。

それに、度重なる核実験、それはパラオもあればビキニもあるし、隣国中国でもやっていました。
中国の核実験の影響は強烈で、それはおそらく黄砂に反映されていると思われます。
けれどもこの国が、黄砂の危険性を口にしたことはありません。

核実験に加え、チェルノブイリが大量のセシウムを全世界に降らせ、そして、いままた、福島です。
すでに汚染されていた土壌はさらに汚染されていきます。

大丈夫という人間の「大丈夫」の意味が、よくわかりませんが、地球はすでに大丈夫でなくなりつつあります。
もちろん、東京にいることも危険の中にいると考えなければなりません。

脱原発は、そうしなければならない選択だとわたしは思っています。
そのために、多少なりとも不便があろうとも(実際はないのですが)、やめたほうがいい機械です。
制御できない機械は使用すべきではありません。

それに原発の出すゴミは、この国ではいっぱいいっぱいで、捨て場所に窮しています。

皆さんは、「リラッキング」という言葉をご存知ですか。
日本の使用済み核燃料は、リラッキングされて保管されようとしています。

いつ、どこで新たな事故が起きてもおかしくはない現状です。

その核のごみを見向きもせず、原発を再稼動させようというのがこの国の基本姿勢です。
現時点の国の方向性では、子どもたちに未来はないと考えていいでしょう。

さてさて、どうしますかねえ。

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2011年7月4日月曜日

和合亮一さん

「放射能が降っています。静かな夜です。」(『詩の礫』引用)

 東日本大震災の発生から6日目の3月16日夜、福島県福島市在住の詩人・和合亮一はTwitter上に言葉を投下し始めた。福島第一原発が1号機、3号機に続き、4号機でも水素爆発を起こした、その翌日だった。

「放射能が降っています。静かな静かな夜です。」(『詩の礫』引用)

 それから、詩人は毎日ツイートを繰り返した。ときに具体的に、ときに観念的に、その言葉は詩人と福島の極限的な状況を伝えた。詩人のTwitterアカウントは瞬く間に拡散され、やがて詩人の言葉は「詩の礫(つぶて)」と名付けられた。震災の最中にあって、多くの読者が「詩の礫」に触れ、直接に詩人と言葉を交換した。

「しーっ、余震だ。」(『詩の礫』引用)

 立て続けに発生する震度4、震度5という大きな余震に揺さぶられながら詩人が綴った「詩の礫」は、一冊の本になった。震災から100日あまりが経過した6月下旬、上京していた詩人・和合亮一に会いに行った。

――震災時は勤務先の高校にいらっしゃったと伺っています。

和合亮一氏(以下、和合) 伊達市内の高校にいました。いままで体験したことのない、動物の背中に乗っているみたいな、そういう揺れでしたね。想像の域を超えたような揺れ。ただ、そのときはこんなに大きな被害が出るとは思っていなかったんです。2~3日もすれば日常生活に戻れるだろうと。ところが、その日の夜に、余震がひどくて駐車場で夜を明かそうとしていたら、ラジオから「仙台の若林区に300人の遺体が流れ着きました」という声が流れてきた。その情報を耳にしたときに、これはすごいことが起きているな、こんな破壊的なことって、経験したことないな、と。今回の震災が、衝撃を持って実質的に自分の中に入り込んできた感じでした。

――その後の3日間は避難所で過ごしたそうですが、書くことへの意欲が湧いてきたのはいつごろでしょうか。

和合 その3日間はほとんどライフラインが止まっていたので、食料や水を確保することで1日が手いっぱいでしたね。ただ、手帳にメモを書いていました。いままで自分が書いたことのないようなメモです。ずっと、ひっきりなしに書いていたんです。いま思えば、震災のショックで、書くことに徹していたような気がしますね。

――そのメモは、理路整然としたものなのでしょうか。

和合 すごく、幼稚な文章です。誰がこういうことを言ったとか、列に並んだ、並んで水をもらった、パンをもらった、そういうことですね。それと、飛び込んでくる死者の数をメモしていたり。何か、とにかく目の前であったことを書かずにはいられなかったんです。そうして自分自身を守ろうとしていたのかもしれません。

――とにかく、気を鎮めるため。

和合 気を鎮めるためですね。

――3月16日からTwitterへの投稿を始められるわけですが、その冒頭で「物の見方、考え方が変わりました」と書かれています。

和合 そうですね。それまで、原発は絶対安全だと言われていたし、福島にも地震は来ないと言われてきた。そういう目の前のものが、すべて崩壊に向かっていくような、そういう風景が見えたんです。自分の言葉自体も崩れて、がれきになってしまったような、そういう印象がありましたね。

 *

「行き着くところは涙しかありません。私は作品を修羅のように書きたいと思います。」(『詩の礫』引用)

 *

――16日前後と言うと、原発が爆発した直後で、命の危険というものも感じていたのではないでしょうか。

和合 それはすごく感じましたね。もっと大きな爆発があるんじゃないか、という不安もあったし、とにかく余震が多かったので。『風が吹くとき』(あすなろ書房)という絵本があるんですが、それを思い出していました。

――そんな状況下で「作品を修羅のように書く」とは、どのようなことでしょうか。

和合 根源的な情動のようなものですね。初期のころの「詩の礫」は全部、即興なんです。思い付いたことをそのままツイートするという。ものを書いてきた人間の本能というか、いま思い出しても、自分が書いたんじゃないような、夢を見ているみたいな感覚です。キーを叩いていても、そこに自分の人格がない。自分自身が言葉にすがっている。ここに生きているということと、Twitterに言葉を投げ込むということが、同じレベルにあったんだと思います。

――詩を書く、という行為そのものが変わってしまった。

和合 いままでは、現代詩の技法というもの、その完成度を思いながら書いていたんです。比喩をどう使って、完成度の高いものを書くか、次には、その完成度をどう壊すか、そういう作業をしてきたんですが、震災後にはそういうものをすべてブン投げちゃった。完成度が高いとか低いとか、そういう価値基準や判断を持っていることがバカバカしくなってしまったんです。もう詩人としての勝負は辞める、と。震災前までは、僕の読者、詩集を買ってくれる方々というのがいて、僕は作品を書いてその読者に届ける、ということを考えていたんですけれど、震災後はまったくそういう想定がなくなってしまった。「詩の礫」も、誰かに届くということは考えていなかったですね。

――「詩の礫」はTwitter上で、和合さんのことを知らなかった人たちの間で広く拡散されていきました。そうした新しい読者の反応をリアルタイムで見ながら書いていたということですが、作品を発表した瞬間に具体的なリアクションが返ってくるというのは、どういう体験でしたか。

和合 言葉の力をもらっている、という感覚ですね。メッセージをもらうと、自分の中に波が立ってくる。波が立ってくるから、また書こうと思える。僕は詩の朗読を20年間やってきたんですが、そのときの感覚とすごく似ています。現場性がある。呼吸が一致しているという感じがするんですよ。見てくれている人と、一緒になっている感じ。パソコンの画面がうねっているような、Twitterを通して、いろんな人の呼吸が感じられるんです。

 4月1日に、10回目の「詩の礫」を書いているとき、不思議な体験をしました。そのころの「詩の礫」は、ある程度準備をして、メモを横に置いて作っていたんですが、2時間書き続けたうちの後半の1時間に、メモをまったく見なくても書ける、即興で書けるという状態になったんです。この詩はラストにはどうなるんだろうという不安を感じながら、言葉がどんどん出てきた。最後は海に行って、水平線に美しい一艘の帆船が見えた、というところで終わるんですけど、それも最初からそういう展開になるとはぜんぜん思っていなかった。みんなの呼吸がそうさせてくれたっていうね。それまでの「詩の礫」とはまったく違う感触だったんです。その最後に「みなさんと一緒に未来を歩いた気がします」と書いたんですが、ネットでそういう目覚めのようなものを感じることは、震災前にはなかったことですね。

 *

「11438人の影(日本中の詩友よ、今こそ詩を書くときだ、日本語に命を賭けるのだ、これまで凌ぎを削ってきた詩友よ、お願いする、詩を、詩を書いて下さい、2時46分、黒い波に呑まれてしまった無数の悲しい魂のために、お願いする、私こそは泣いて、詩友に、お願いする。)がバス停を過ぎる。」(『詩の礫』引用)

 *

――震災直後から和合さんの詩を読んでいた方というのは、直接大きな被害を受けていない方や、被災地にいてもインフラの復旧が早かった方が主だったと思うんですが、自分も含め、そういう人たちの間には「自分には何もできない」という無力感とともに、自分が被害を受けていないという事実に対して罪悪感のようなものがあったと思うんです。そういう人たちにとって、毎日更新される「詩の礫」というのが「この詩を読んでいる間、私は福島とともにある」という実感が得られるものとして機能していたのではないかと感じるんですが、和合さんご自身はその期間、詩人として、社会の中である役割を担っていたという思いはありますか。

和合 メッセージを、たくさんいただいたんですね。「情報に追われて生活をしていて、つらい中で、このTwitterを読んだことで静かな気持ちになり、いろいろ考えることができました」とか、両親を残して福島を離れている方が、「福島の状況を知りたい、父と母のことを考えたいから読んでいる」とか。そういうメッセージやお手紙をいただくんです。「心配で心配でしょうがなくて、いろんな人に話を聞きにいったんだけど、どの人の説明も、自分の心を満足させてくれなくて、『詩の礫』を読んでると、自分が求めてるのは、詩人の語りなんだな、と思いました」とか、「お父さんお母さんを亡くして、それでもう、何も考えられない日々を過ごしてたんだけど、この詩を読んで、まず泣いた、ずーっと泣いた、一日泣いてた、泣いたら、次どうしようかってことを考え始めることができました」って、どれもすごく丁寧に書かれていて。そうして待っている人がいるのであれば、書こうと思うんです。それを、物書きとしての役割と言っていただくのはすごくうれしいことですけど、本気で気持ちを救うことができるのであれば、少しでも手助けができるのであれば、それは続けたいと思いますね。

――詩人だから詩を書く、というのではなく、重そうな荷物を持ってあげていたような感覚でしょうか。

和合 そう。だから「詩の礫」って名前は付けているけれど、書いたものに詩が宿ってきてくれればいいかな、と思うんです。

 *

「うるせえ、放射能をぶっ潰してやる。震災をぶっ潰してやる。」(『詩の礫』引用)

 *

――「詩の礫」では、怒りの感情もすごくストレートに表現されています。地震に対して、地球に対して。その反面、誰か人間に対して怒っているという部分は見当たらない。例えば避難所やガソリンスタンドには自分勝手な人がいたかもしれないし、地元の行政にもいたかもしれない。もちろん東電や、政治家にも不満や怒りは大いにあったと思うんですが、「詩の礫」を公開していく中で、これは詩に書いてはいけない、この気持ちを表現してはいけない、と決めていたことはありますか。

和合 そこはやっぱり、詩だ、という意識があるんですね。詩である限り、何か高潔なものでありたいという気持ちがある。人を傷付けるものにはできないという。宮沢賢治の言葉に出会ったんです。「新たな詩人よ 嵐から雲から光から 新たな透明なエネルギーを得て 人と地球にとるべき形を暗示せよ」っていうね。詩を書くことの意味って、人と地球、人の次に地球が来るっていうのが、詩ならではの働きかけなのかな、と。だから今回の『詩の礫』を書いているときにも、誰かを傷つけてはいけない、被災者の人たちの気持ちを追い込んではいけない、という思いは、書く基準としてあったと思いますね。

 *

「美しく堅牢な街の瓦礫の下敷きになってたくさんの頬が消えてしまった」「こんなことってあるのか比喩が死んでしまった」(『詩の礫』引用)

 *

――「比喩が死んだ」という表現をされていましたが、確かに今回の震災で、多くの言葉が意味を変えました。例えば「原発」という言葉もそうですし、サザンオールスターズの「TSUNAMI」という曲もそう。報道の中で「市街地が壊滅しています」とNHKが繰り返している。それはフィクションの中でしか聞こえてこなかった表現だったはずですが、現実が比喩を追い越していくという状況を、言葉の表現者としてどのように受け止めていくのか、あるいは、日本語がここまで大きく姿を変えたとき、詩人はそれとどう向き合うのでしょうか。

和合 やっぱり詩を書くということにおいては、直接的でなくとも、比喩を追い求めていかなくてはいけないと思います。言葉が醸し出す何がしか、言葉の影のようなものを追いかけていかなくちゃいけない。おっしゃる通り、今は完全に現実が比喩を追い越してしまって、比喩というものが極限状態では成立しないということを、まざまざと見せ付けられたわけです。言葉が、まったく表情を変えてしまった。例えば「福島」なんて、震災前は「ふぐすま」なんて言われて、何もない土地だという印象だったけれど、今は世界中の人たちが分かってしまう。カタカナで「フクシマ」っていう、なんだか鋭くて恐ろしい言葉に変わってしまった。そういう言葉の表情一つひとつが変わってきた中で、変わってきたものを並べながら、やっぱり比喩を作っていくしかない。比喩を作るっていうのが詩人の命ですから、直喩にしろ擬人法にしろ暗喩にしろ、どうにかして比喩を成していかなくちゃいけないというのが、これからの課題だと思うんです。僕が選んだ方法というのは、とにかく目の前のことを、ドキュメントとして書いていく、記録として書いていく、いまあることを、いまあるままに発信していく。その中で、そこに新しい比喩が宿っていけばいいな、というふうに思いながら、実は書いています。

 *

「目をあけた 福島の子よ」「雨の夜を歩き通した 子どもよ」「一番最初の きみの 夜明けだ」「生まれてきて くれて ありがとう」(『詩の礫』引用)

 *

――実は今日、一番聞きたかったのは、まさに和合さんがおっしゃっていた「フクシマ」という日本語の話なんです。もう世界中の人が、「チェルノブイリ」「スリーマイル」と言うときと同じ顔で「フクシマ」と言う、そういう状態になってしまったことは動かしようがなくて、それでも福島には、今もたくさんの子どもたちが暮らしている。彼らは、福島生まれ福島育ちという事実を一生背負っていかなければならない。健康被害ももちろん心配ですが、その思想やアイデンティティーにも大きな影響を与えることだと思うんです。汚染された地域で育った人間である、と見られ続けていく彼らに対して、私たち、日本の大人たちは、何をどう伝えていったらいいのだろう、ということなんです。

和合 そこがですね、僕がいま、ずっと考えていることなんですよ。放射能とともに暮らすという現実が、これからずっと続くと思うんですね。簡単に「子どもを逃がせ」って言ってくる人もいるけれど、例えば自主避難をしたとしても、避難した先でどう暮らすか、そこには仕事もなければ生活の基盤もない、お金だって下りないし、生きていけないんです。そういう現実を、福島は抱えてるんですよ。それは福島の空気の中で暮らさないと分からないことだし、浜通りには浜通りの空気の中で暮らさないと分からないことがある。一度故郷を離れたらもう戻って来られないという気持ちもあるし、親の問題もある。いま避難せずに生きている人たちって、何らかの理由があって福島にいるわけです。だから、福島で生きていく限り、それを大人たちがもっと語れるようになっていかなければいけない。福島の人たちの気持ちの拠りどころになれるような言葉を、僕はずっと自分の中に探しているんです。一言なのかもしれないし、長いフレーズなのかもしれない。今はまだ、分からないです。大人が子どもたちにどう接したらいいか、分からないです。言葉は何も解決しないでしょうけれど、何か時代のよすがになれるような言葉を、あれからずっと考えているんです。このままだと、われわれ福島の人間は、根無し草のまま、ずっと何の発信もできずに、原発が爆発したら爆発したまま、避難しろって言われたら言われたまま、まま、まま、っていう受動的な、そういう生き方、生き様で、悔しさを抱えながら、流されて生きていかなくちゃいけなくなるんですね。だから、ここに自分たちの生き様があったんだっていう、何かそういう言葉を残したいと、今は思っているんです。

 *

「2時46分に止まってしまった私の時計に、時間を与えようと思う。明けない夜は無い。」(『詩の礫』引用)

(取材・文=編集部)

ラベル:

松本復興相の件は、どうでもいいようなニュースですね、ああいうレベルだということです。政府も知事も…

http://www.youtube.com/watch?v=m3sKmHuSJb8&feature=player_embedded

ラベル:

だめか、原発は止まらないか

脱原発運動は続くといったところか。
がっくりする。(とんぼ)

九州電力玄海原子力発電所のある佐賀県玄海町の岸本英雄町長は4日午前、九電の真部利応社長を呼んで定期検査中の玄海原発2、3号機の運転再開を容認する意向を伝える。東日本大震災以後、原発立地自治体の首長が原発の再稼働を認める考えを電力会社に伝えるのは全国で初めて。

 九電との調整の結果、3日、日程が決まった。岸本町長は真部社長に対して、これまでの緊急安全対策などを評価し、再運転について理解を示す方針。その際、テロ対策とヒューマンエラーをなくすための体制作りの二つの条件を付けるとみられる。

 同町では、6月1日の町議会原子力対策特別委員会で、11人の議員のうち7人が運転再開の容認を表明。同29日、町を訪れた海江田万里経済産業相が「何かあったときには、住民をしっかり守ることに国が後押しをしていきたい」と述べたことを受け、再開受け入れを最終的に固めた。

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2011年7月3日日曜日

ガントレット


ソンドラ・ロックとイーストウッドがいい仲になるのは、この映画の前年「アウトロー」という作品の中であったのだから、この映画のソンドラとイーストウッドはいささかなまめかしい。

ここで言うなまめかしさとは、いわゆる巷間言われる「なまめかしさ」ではなく、男と女の関係のもつやや動物じみたののしり合いが、愛情の交歓に見えるといった種類のまったくもって男と女というものは…的ななまめかしさ、やるせなさ、わけのわからぬ磁力のようなものを指しています。

こればかりは経験を通さねばなかなか感じられぬもののようで、わたしのそれも不毛でどうにもならぬ女性とのやり取りの中で身についた感覚で、それでよかったのは、「ガントレット」にそれを見ることができるご褒美くらいのものです。(これが、なかなかに得がたいのですが)

そういえば、このところちらりちらりと読んでいる藤沢周平氏には、この女の厄介さによく通じていると思わせる部分があって、しきりにこの人の洞察力に感服させられます。
まじめな方だと思っていますが、こういう藤沢氏のような方がふと「…悪女がいい。…私はこのテの悪女の純情というのに弱くて、つい肩入れしてしまう。」と藤沢さんがエッセイに述べておられるのを読んだりすると、わたしも好みだけは、そのあたりに来たのだなあと感慨いにふける。

多かれ少なかれ、男の行き着く先は悪女につきるのであって、それが悪女の姿がトンと見えないというのであれば、恋愛においては、まだとば口に過ぎない幸せな場所に立っているということなのだろうと思う。
もちろん、それでいいのです。
悪女にひきつけられるようになってしまっては、火傷も何度かしなければならず…。
まあ、大変でしたね、イーストウッド監督も藤沢さんという先輩方も。

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ワイワイガヤガヤ、ワイワイガヤガヤ

節電がらみでうるさきことこの上なしのマスコミだけれど、電力消費が実際に激減すれば、困るのは電力会社なのだから、(単純な話、儲けが減ってしまうのですから)実際の電力消費状況次第では、電力消費に関しては、一切の沈黙に入るかもしれない。

この国の幼さには目を覆うばかりで、そんなことだから、貴重な二種類の原爆を落としてくださったアメリカにへいこらするわけで、もちろん、へいこらしてもいいのだが、アメリカの思惑も考えずにあの国の周りをちょこまか太鼓もちのように駆けずり回るのはいい加減にしてもらいたい。(もっとも本物の太鼓もちは、もっとずっとしたたかなのですが)

アメリカ国自体よりはましな言動なのだろうが、そういうことを思うとレディ・ガガに対するこの国のマスコミの取り上げ方も幼稚さを通り越して哀れでさえある。
しかしながら、一方からみて、そのマスコミを許している国民のひとりがわたしだと思うと、愕然としてしまう今日この頃です。

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第82期棋聖戦


今期の棋聖戦五番勝負は、深浦に対して羽生の3連勝で羽生はがっちりと棋聖位を守った。
名人戦七番勝負を羽生から見て●●●○○○●で、森内に奪取された直後だったが、羽生に乱れはない。

二日制では神通力はなくなりつつあるが、一日制では、羽生はまだまだだとか、色々解釈の余地はあるが、ここは素直に羽生の怪物ぶり、おそらくそれは、意志力と大きく関係するのだろうが、その落ち着きに敬意を評したい。

7月12日から羽生は、その注目の二日制のタイトルのひとつ広瀬章人のもつ王位戦七番勝負に入るが、羽生が黙って若い広瀬に負けるとは思えない。
注目のタイトル戦です。

もっとも注目しているのが確実なのは、このブログがらみでは、今のところわたしだけなのですが…

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2011年7月2日土曜日

原発反対を当事者として行っている男

http://www.youtube.com/watch?v=qTSLuRt5J0s

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福島の子どもたちの内部被爆

http://www.youtube.com/watch?v=uVlhKBZAi_4

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2011年7月1日金曜日

田中龍作ジャーナルより

以下は、政府による棄民です。
アマゾン棄民と同じです。
というよりは、それの何十倍、何百倍もひどい。
この国は、腐っています。
多くの情報を隠蔽しています。
小出しにしている情報も、やがて消えます。

われわれに内部被爆から逃れるすべはありません。
それでも、何とか子どもだけは救いたいというのが人情ですね。(とんぼ)

東京電力の原発事故により被曝した、福島の子供たちの父母らが30日、国会内で避難の促進・支援を求めて政府と交渉した(主催:子どもたちを放射能から守る福島ネットワーク/福島老朽原発を考える会/FoE Japan/グリーン・アクション/美浜の会/グリーンピース・ジャパン)。

 子供や妊婦をはじめ福島の住民の多くは今なお放射線量の高い地域に住まざるを得ない状況にある。政府が20mSv/年を基準に置いているからだ。チェルノブイリ事故でさえ強制移住の基準は5mSv/年だった。

 健康への影響がつとに指摘されているが、懸念は現実のものとなりつつある。福島市周辺に住む子供の尿からセシウム134とセシウム137が検出されたのだ。5月20~23日にかけて6才から16才までの10人の尿を採取し、フランス政府の公認機関ACROに送って調べた。結果は10人全員からセシウムが出た。

 「子どもたちを放射能から守る福島ネットワーク」の中手聖一代表が切り出した。「いつまでも悩み続ける訳にはいかない。政府にも決断して頂かないと私たちだけで避難できる訳ではありません」。

 中手代表の鬼気迫る訴えは、しかし、肩透かしに終わった。父母らが福島の子供たち全員の尿検査を求めたのに対し政府の答えは「(役所に)持ち帰って検討する」(経産省原子力被災者生活支援チーム・渕上善弘氏)と悠長だった。

 中手代表が「そんなこと言ってる間に子供たちは毎日被曝してるんですよ」と迫ると、渕上氏は「福島県と相談させて頂きたい」。

 政府の回答は一事が万事このような調子だった。

 「妊婦・乳幼児・子供に対しては成人よりも避難の基準を厳しくすべきではないか?」(質問書)との問いには次のように答えた。「緊急時避難準備区域では妊婦・子供に避難を勧めている」。

 はぐらかすのもいい加減にしろと言いたい。皆、避難したいのは山々なのである。政府の補償がないから避難したくても経済的にできない。「勧めている」は空念仏なのである。
 
 子供たちが毎日食べる学校給食も親たちには心配のタネだ。「学校給食を学校内被曝に含めないのはなぜか?」(質問書)に対する文科省の答えには唖然とした。「出荷制限措置が取られているので出回っている食材は問題ない」と言うのである。

 役人はどこまで極楽トンボなのか。福島産の野菜から基準値を上回る放射性物質が検出されたり、産地偽装が見つかったりしていることを知らないのだろうか。(知っていながら役人答弁で繕ったのだろう)

 2時間余りに及ぶ対政府交渉の終盤、仰天事実が明らかになった。どの省庁も「子供の被曝の積算統計を取っていない」というのだ。政府側のリーダー格である経産省原子力被災者生活支援チームの茶山秀一氏が明らかにした。「どこ(どの省庁)が足し算をしているのか?」という父母らの問いについ口を滑らせてしまったのである。

 政府側の答弁は、東電株主総会での役員の回答とよく似ている。危機感も当事者意識もない。無責任極まりないのである。

 政府のずさんな対応に母親代表の佐藤幸子さんは堪忍袋の緒が切れた。「あなた方はそんなこと(子供の被曝)も考えずに、子供を外で遊ばせ、給食を食べさせているんですか?」。怒気を一杯に含んだ佐藤さんの声が会場に響いた。

 そもそも不自然なのは原発を再開したくてしようがない経産省が福島の父母らとの交渉にのこのこ出てきたことだ。「住民側はこう出てくる」というサンプルを得て玄海原発再開などの地元対策に活用するつもりなのだろうか。

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河野太郎、がんばっている

彼のブログから。

節電キャンペーンは、あきらかな洗脳です。
気を確かに持ちましょう。

http://www.taro.org/2011/06/post-1040.php

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体内被曝はどこまで進行しているのだろう

東日本大震災:福島第1原発事故 福島の6~16歳、尿からセシウム--市民団体検査

 福島県内の保護者らで作る市民団体「子どもたちを放射能から守る福島ネットワーク」などは30日、福島第1原発事故の子どもたちへの影響を調べるため、福島市内在住の6~16歳の男女10人の尿検査を実施したところ、全員から放射性物質のセシウムが検出されたと発表した。同ネットワークは「内部被ばくしている可能性が高い」としている。

 同ネットワークによると、5月20~22日に採った尿を放射性物質を調査するフランスの民間団体「ACRO(アクロ)」に依頼して解析。セシウム134(半減期2年)が1リットルあたり0・41~1・13ベクレル、セシウム137(同30年)が、1リットルあたり0・43~1・30ベクレルだった。

 今回の測定値について、内閣府原子力安全委員会の班目春樹委員長は30日の臨時会議後、「十分低い値。健康への影響は疫学的に考えられない」との認識を示した。【久野華代】


毎日新聞 2011年7月1日 東京朝刊

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電力など値上げ

電力会社は、企業内でどれくらいコスト減しているのだろうか。
あいかわらず、大名商売なのか。
彼らは、何を考えているのだろうか。(とんぼ)

世界的な原油や小麦などの高騰を受け、パン、麺類などの食品と電気・ガス料金が7月1日から一斉に値上げ。東京、東北電力管内では深刻な電力不足で、工場やビルなどの大口利用者に15%の節電目標を達成できないと罰金を科す「使用制限令」が発動されるほか、家庭にも15%の節電を求めている。「でんき予報」も始まり、電力需給が逼(ひっ)迫(ぱく)すると、計画停電が行われる。値上げと節電に悩まされる夏が始まる。

 食品の値上げは、新興国の旺盛な需要や投機マネーの流入で、小麦などの食料相場が高騰したことが原因。これを受け、政府は4月に輸入小麦の売り渡し価格を平均18%引き上げ、製粉各社が製パンメーカーなどへの業務用小麦粉の出荷価格を上げた。

 小麦に加え、砂糖や卵、食用油なども値上がりしており、食品メーカーもがまんできず、最終商品に転嫁せざるを得なくなった。

 製パン大手の山崎製パンは7月1日出荷分の食パンの一部商品で平均約7%、菓子パンを平均約5%値上げする。値上げは和洋菓子を含め約230品目に及ぶ。敷島製パンも約160品目のパンを平均約7%引き上げる。日清フーズは家庭用国産パスタなどの価格を2~12%引き上げる。

 企業努力で価格を据え置くところもあるが、今後も原材料価格の上昇は続くとみられ、値上げ商品が広がる可能性がありそうだ。

 電気・ガス料金の値上げは、東京電力の場合、5カ月連続。標準的な家庭の料金は、前月比110円上昇し6584円となる。電気料金が毎月調整されるようになった平成21年5月以降100円を超える大幅な値上げは初めてだ。

 すでに電力各社は8月の値上げも決定しており、節電しても値上げで帳消しとなり、家計の負担は減りそうもない。

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原発にはありとあらゆる危険性があります。以下は、漫画チックですけど、非現実的でもありません

スポーツ報知 6月30日(木)8時2分配信

 東京電力福島第1原発の事故収束が見通せない中、28日の東京電力に続き、関西電力の株主総会が29日に大阪市内で開かれた。7月から15%節電を求めている関電でも、経営陣は「原子力は必要な電源」との立場を強調。株主からの「北朝鮮が原発に対してテポドンを撃ってきたらどうするか」との問いに対しても、自信満々に「着弾があっても、堅固な立派な格納容器と思っている」と答えた。これには識者も「バカげた返答だ」と批判。電力会社と市民との意識のズレが露呈した形となった。

 関電の総会には、過去最多の2008年を700人以上上回る2244人の株主が出席した。会場外の炎天下にも負けない熱気の中、関電経営陣は「原子力を“中心とした”最適な電源構成を構築する」と、原発事業の拡大の意向さえ示唆。「脱原発」とかけ離れた感覚に、文字通りの“爆弾発言”が浴びせられた。

 「北朝鮮が原発に対してテポドンを撃ってきたらどうしますか。その対策を教えて下さい」―男性株主の質問に、原発事業の担当役員である豊松秀己常務取締役(57)が答弁に立った。「テロ対策は、侵入があれば治安機関に通報する。大規模テロには対策本部を設置し、テポドンの場合は国民保護対策本部を作って国と対応する」その上で「仮に着弾があっても、堅固な立派な格納容器と思っている」と言い放った。関電の原子炉11基は日本海に面する福井県内にあるが、弾道ミサイルの標的になっても「大丈夫」との強弁だった。

 根拠は不明だが、自信満々の“安全保障宣言”。原子力発電に長年警告を発してきた京大原子炉実験所の小出裕章助教(61)は、この発言を大いに疑問視。「仮に格納容器が壊れなくても、配管1本が壊れるだけで炉心溶融(メルトダウン)が起こりえる。格納容器が大丈夫だからというのは、もともと成り立たないバカげた返答」と、関電の見解を一蹴した。

 原発の在り方をめぐり、総会の時間も過去最長の4時間51分に及んだ。株主提案は「自然エネルギー発電への転換宣言」「すべての原発停止」など原発事業に関するものや、経営陣の責任を問うものに集中したが、すべて否決。「15%の節電を求めるなら、役員報酬も15%ぐらい削減したら」と発言した男性株主もいたが、議長の森詳介会長(70)は質問として認めず、何事もなかったかのように議事を進行した。

 電力会社と市民の間に意識の隔たりを抱えたまま、関電管轄地域ではあす1日から、「節電15%要請」の毎日がスタートする。

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カジュアリティーズ


いやな映画です。
ベトナム戦争の異常な世界の中で起こったこととして描かれているけれども、このような気分の男たちは、今の日本の中にもいます。
そして、そのような男を見慣れた女は、わたしに対してもその種の男のように見ます。
いたしかたあるまいと思います。
パタン認識とは、そういうものです。

大切にされたり大切にしたりする仲間の中で生きたいものです。

人を粗末にする人間は、あなたの思う以上に、あなたの周りに多いはずです。

あなたを大切にしてくれる人をつかんで放さないでください。
まあ、見抜けなければそれも無理なのですが…

なんともいやな映画でした。

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