武田先生のご意見です
原発再開のための必須条件 「必要性」と「安全性」の分離
今回の原発事故を起こした多くの原因の一つが「原発の必要性」と「原発の安全性」を切り離して無かったことが上げられる。
「原発は必要だから、安全である」
という論理はきわめて強く主張された。
もちろん、必要性と安全性はまったく関係がない。
かつて私が1960年代に化学コンビナートに勤務したとき、ちょうど「必要だからやる」というのと、「安全でなければやらない」という議論が拮抗していた時期だった。
コンビナートには「安全第一」という旗が翩翻とひるがえっていたが、誰もが「あれは建前であって、生産が先だ」と心密かに思っていた。
当時、日本は戦後復興の時期を経て、高度成長の前夜にあたり、「生産第一」の時代だった。職場の雰囲気は「安全、安全って、なに言っているんだ。そんなこと気にして仕事ができるか!」ということで、現在の原子力はまだその時代にいるのだから、化学工業の40年前を彷彿させる.
・・・・・・・・・
日本の電力供給が重要であることは言うまでもない.
でも、電力の確保は「安全に電力が得られる技術に限定される」のは当然であり、「必要性が高いから、危険な方法も選択できる」というのはあまりにも古い考え方だ。
今回の福島原発の事故で分かったように、生産工場では事故はきわめて大きな損失になる。生産を急いでもひとたび事故を起こしたら、全部、失ってしまう、というのが教訓だからだ。
・・・・・・
でも、原発の場合は違うかも知れない。
普通の会社の工場が爆発事故を起こしたら、付近住民に被害があったら、自分の工場の後始末をほって付近住民の窓ガラスを直したり、飛び散ったものを回収してきたりする。
ところが今回の原発事故では、当事者の東電は福島原発にだけかかずらっていて、さっぱり被災地の人を助けに来ない。
汚れた大地を除染もしないし、除染した土を回収にも来ない.「電気会社は特別だ」と言わんばかりの態度である.
このことは、やがて「不安全でも原発を再開する」ということになるだろう。
でも、やがて数年後からでる被曝の疾病ばかりではなく、すでに子どもを疎開させたり、せっかくの休日も公園に遊びに行けなかったり、生活に大きなダメージが拡がっている.
・・・・・・・・・
まずは50年も遅れている電力の「生産と安全」の関係について、再開までにハッキリさせ、「原発は必要だから安全」という考えを捨てて、「今回の原発事故の原因と対策を実施し、その上で日本が原子力を続けることを国民で確認して、再開する」という多くの工業分野ですでに当然となっている、手続きを踏まなければならないだろう。
(平成23年7月4日 午前11時 執筆)
武田邦彦
今回の原発事故を起こした多くの原因の一つが「原発の必要性」と「原発の安全性」を切り離して無かったことが上げられる。
「原発は必要だから、安全である」
という論理はきわめて強く主張された。
もちろん、必要性と安全性はまったく関係がない。
かつて私が1960年代に化学コンビナートに勤務したとき、ちょうど「必要だからやる」というのと、「安全でなければやらない」という議論が拮抗していた時期だった。
コンビナートには「安全第一」という旗が翩翻とひるがえっていたが、誰もが「あれは建前であって、生産が先だ」と心密かに思っていた。
当時、日本は戦後復興の時期を経て、高度成長の前夜にあたり、「生産第一」の時代だった。職場の雰囲気は「安全、安全って、なに言っているんだ。そんなこと気にして仕事ができるか!」ということで、現在の原子力はまだその時代にいるのだから、化学工業の40年前を彷彿させる.
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日本の電力供給が重要であることは言うまでもない.
でも、電力の確保は「安全に電力が得られる技術に限定される」のは当然であり、「必要性が高いから、危険な方法も選択できる」というのはあまりにも古い考え方だ。
今回の福島原発の事故で分かったように、生産工場では事故はきわめて大きな損失になる。生産を急いでもひとたび事故を起こしたら、全部、失ってしまう、というのが教訓だからだ。
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でも、原発の場合は違うかも知れない。
普通の会社の工場が爆発事故を起こしたら、付近住民に被害があったら、自分の工場の後始末をほって付近住民の窓ガラスを直したり、飛び散ったものを回収してきたりする。
ところが今回の原発事故では、当事者の東電は福島原発にだけかかずらっていて、さっぱり被災地の人を助けに来ない。
汚れた大地を除染もしないし、除染した土を回収にも来ない.「電気会社は特別だ」と言わんばかりの態度である.
このことは、やがて「不安全でも原発を再開する」ということになるだろう。
でも、やがて数年後からでる被曝の疾病ばかりではなく、すでに子どもを疎開させたり、せっかくの休日も公園に遊びに行けなかったり、生活に大きなダメージが拡がっている.
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まずは50年も遅れている電力の「生産と安全」の関係について、再開までにハッキリさせ、「原発は必要だから安全」という考えを捨てて、「今回の原発事故の原因と対策を実施し、その上で日本が原子力を続けることを国民で確認して、再開する」という多くの工業分野ですでに当然となっている、手続きを踏まなければならないだろう。
(平成23年7月4日 午前11時 執筆)
武田邦彦
ラベル: 社会
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