2011年7月5日火曜日

不便であろうが、電気代が上がろうが

どこに焦点があるかわからなければ、一歩も進めない。

今の体制は、この体制下で既得権益を得ている人間たちからは離すべき体制ではないと映っています。
だからそのような言動をするし、その既得権益をもつ人間の今の社会での発言力は強い。

うすら淋しい姿ではありますが、彼らも必死です。
こちらも、何が何でも原発はやめるという姿勢を通さなければ、またぞろ原発社会は訪れます。
それは、既得権益者にとって都合のいい社会だからです。
彼らは、嘘をつきまくり、その体制を維持しようとします。

福島の子らは、明らかに棄民対象です。
そういう国ですここは。

それに、度重なる核実験、それはパラオもあればビキニもあるし、隣国中国でもやっていました。
中国の核実験の影響は強烈で、それはおそらく黄砂に反映されていると思われます。
けれどもこの国が、黄砂の危険性を口にしたことはありません。

核実験に加え、チェルノブイリが大量のセシウムを全世界に降らせ、そして、いままた、福島です。
すでに汚染されていた土壌はさらに汚染されていきます。

大丈夫という人間の「大丈夫」の意味が、よくわかりませんが、地球はすでに大丈夫でなくなりつつあります。
もちろん、東京にいることも危険の中にいると考えなければなりません。

脱原発は、そうしなければならない選択だとわたしは思っています。
そのために、多少なりとも不便があろうとも(実際はないのですが)、やめたほうがいい機械です。
制御できない機械は使用すべきではありません。

それに原発の出すゴミは、この国ではいっぱいいっぱいで、捨て場所に窮しています。

皆さんは、「リラッキング」という言葉をご存知ですか。
日本の使用済み核燃料は、リラッキングされて保管されようとしています。

いつ、どこで新たな事故が起きてもおかしくはない現状です。

その核のごみを見向きもせず、原発を再稼動させようというのがこの国の基本姿勢です。
現時点の国の方向性では、子どもたちに未来はないと考えていいでしょう。

さてさて、どうしますかねえ。

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