2009年1月31日土曜日

ソマリアへ海自派遣

例のソマリア沖の海賊に対してだが、法的な裏付けの議論が尽くされないまま、応急の手だてが決まったようにみえる。
アフリカ・ソマリア沖の海賊対策で政府は、現行法の海上警備行動の枠組みでの対応を急ぎ、海上自衛艦船の派遣を準備するよう自衛隊に指示した。

この性急さは、米国からの要請と併せて中国が先月、防空ミサイル駆逐艦の派遣を決定し出航させたからだともいわれているが、ソマリア沖の海賊の機関銃、ロケット砲などの武装は名高い。
条件付でしか武器使用できない海自を送ってどうしようというのだ。
それよりなにより近海での海上警備行動という考え方を、アフリカ海域まで広げていいのか。
また、犯罪に対処するのは本来、海上保安庁の仕事ではなかったのか。

この国は決めるべきことは決めず、決めなくてもよいことは知らぬ間に決定していく。

こんなことをしていたら、ほんとうに九条などぼろぼろだ。
戦争などというものは一部の暴走ですぐに突入していくのは満州の歴史を眺めればわかるだろう。

困ったもんだ、ですめばいいのだがそうもいかないような気がしている。
あ~あ。

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対岸の彼女


角田光代「対岸の彼女」を読む。

このひとはこの世のどうしようもなさを拾い上げる。
といっても、それは特別なことではなくこの世はもともとどうしようもないものなのだ。
それを防ぎとめるために金や地位や名誉が必要になってくるわけで、それらがないとこの世のどうしようもなさに直接当たってしまう。

いうまでもなく「どうしようもなさ」はいくつもの形を持っており、特定することは出来ないが大小の差はあれ、あなたやわたしにとってとても困るもので、しかも大変に逃れにくいものである。
そして困ったことに多くの場合は、それがぼんやりと包み込んでくることが多いのである。

で、なんとなく鬱々としてくる。
助けてくれるものがないわけではないが、助けてくれるものに出会うためにはかなりの辛抱や工夫がいる。

もっと簡単に書けば、世の中生きにくいものなのだ。
だから誰かと手を取り合ったりする。
「対岸の彼女」はそんな小説で、そういうあやふやな生きにくさがよく書けている。
よく書けているから読後感はそれほどよろしくはない。(ただし、ラストにちょっとした工夫がしてあって、ある程度の軽いカタルシスはくれる。くれるがそのカタルシスがこの小説の本質でないのは言うまでもない)

なぜわざわざこの小説を取り上げたかというといい小説というのは「読後感の悪さ」を持つことが間々あるからで、読後感の悪さをその作品の悪さと安直に結び付けないでほしいという願いからである。

もちろん言わずもがなのことであったのだろうが、自戒の意味も込めて書いておきました。

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とらふぐ亭


「とらふぐ亭」という安いふぐ屋が東京のあちこちにある。
たまに入ってみたりする。(安いからね)
で、ごく最近も入ったのだが、これがおいしくない。
前は違った。
おいしかった。

口がおごってしまったのだ。
わたしのふぐの師匠に金子という人がいるのだが、この人とふぐをしばらく前に食べたのが効いたのだろう。
完全に味を覚えてしまった。

おいしくないとはいっても安いのだから文句を言うわけではない。
我が口のおごり方が情けないのである。

こういうことはしばしば起こりうる。
前々はよかったものが他のさらに上質なものを知ることで劣化する。
古い言葉で言えば「道徳的摩損」とでもいうべきものである。

しかし、知りたい気持ちに歯止めをかけるのもまたきびしい。

はてさてどうしたものか。

達人ならば、どちらもそれなりに楽しむのだろうと考えてみはするのだが。
しばし、うなり考える。
ちと厄介な話である。

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落語について

落語は一種のブームだから本屋に行けば入門書のようなものはいくらでも手に入る。
ここでは、その先を少しだけ話しておくことにする。

落語はある決まりごとによってその舞台にある空間を演出する。
その演出は演者によって違うし、演出した舞台の読み取りは観客によって違う。

つまり落語には演者と観客の共同作業的な部分がどこかにある。

この観客の側の努力を惜しめば単なる評論家に堕ちて行き、落語の楽しみに触れることは出来ない。
楽しみといってももちろん「自分にとっての落語の楽しみ」であるのだが、「自分にとって」を省いた楽しみがどこか他にあるのかどうかはわたしにはわからない。
わたしにとっての小三治はあくまでもわたしにとってであり、いくらだれかに勧めてもわからぬことは大いにありうるし、あまり勧めることはしない。

落語とは煎じ詰めればそういう芸であり、誰かがこの人の芸を好きだというだろうという見当はついても自分が楽しめるかどうかは別となっている。

だから、落語に親しむには一にも二にも落語を聞くことで自分を鍛えるしかない。
そうでなければ、なにが面白いのかはわからないし、それはそれで仕方がないとあきらめたほうがいい。

なに、世の中には楽しいものはまだまだ山ほどある。
落語ひとつわからないだけでしょげ返ることはない。

ここでは、落語とはそういうふうに多少とも観客に要求してくるものだと語っただけに過ぎない。
(もっともたいていの表現は観客を頼りにする部分が多かれ少なかれあるというのも事実なのだが…)

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小三治がよかった

あちこち話しが飛ぶが、二乃席の小三治がよかった。
何よりマクラがよかったし、それに続いての粗忽長屋、大いに楽しませてもらいましたし、あまりのよさに夜の部は遠慮して帰りました。(小三治は昼席のトリでした)

あの人のよさは気張らないということで、気張らずに自然に自分の世界に引っ張り込む。
ああいう芸当ができる人は早々はいない。

談志はどうかと聞かれるかもしれないが、あの人は気張る。
気張った結果の噺でどちらだといえば、小三治より談志を取る人がいるだろうが、わたしは小三治だ。
落語は気張ってするものではないと思っているからだ。

それにこの世の中自体が気張って生きるものではないと思っているから。

その気張って生きる必要のない世の中で気張らなければ生きられなくしている日本のシステムは異常だ。
寄席の小屋での安堵感は、そこに本当のあるべき人間らしい生活感が流れているからだろう。

さて、ただいまより野暮用があって出かけますが、また夕方くらいから書き始めます。

本当に申し訳ございませんでした。
心配していただいた方にはさらに申し訳ございませんでした。

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失業者が動き出す

小さな動きだが失業者が農業へ林業へと動き始めている。
うれしい動きであるし、それがこの国におけるひとつの大きな選択だと思う。

自動車産業にしろ家電産業にしろ多くの赤字の発表と同時に首切りを行うそうだが、失業者たちはまだまだ出てくる。
今はあまり問題にされていないが、大きな問題として在庫の問題を彼らの会社は持っているのだ。
彼らの商品(=奢侈品)が再び以前と同じように売れ始めることはないだろうし、たとえ売れ始めたとしてもそれはまず在庫からで工場が再稼動するには長い道のりがあ  る。

だから、産業構造の再編成を考えるべきなのだ。
そういう動きが少しずつでも出てきたことはうれしい。

後は国が失業者を思い切り助けることだ。
この国にはしっかりしたシステムがないのだから海外以上に大きな問題になる可能性はある。
スイスに行っている麻生首相はわかっているのだろうか。

わかっていないだろうな。

農業、林業、漁業への労働力の流れはうれしいが、これらの産業が軌道に乗る道は長いし、大変な仕事でもある。
それは介護産業でも同じことで、…どうだろう、日本の金持ちはもう少し自分の金をぶちまけたら。

ブラピ夫妻はあんなに寄付をしているではないか。

それに海外からの労働者の保障問題もある。
捨ておいていいことでもあるまい。

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一月、二月、三月

「一月行った、二月逃げた、三月去った」とはいうものの、この一月はうんうんうなりながら半分死んでいた。
まあ、自分がそういう生き物だと知るしかない。

何度もこのブログに来てくださった方には本当に申し訳ないと心からお詫びします。

本日は一月の最終日。

たまっていたブログを少し書かせていただきます。

生きているときのわたしを、よろしくおねがいします。

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2009年1月20日火曜日

大寒のこの日に

わたしの長い冬眠期間は外部のものはなるべくシャットダウンします。
たとえば携帯はずっとオフです。
しかる後に聞きなれた落語を流し、魑魅魍魎と戯れるのです。

その状態から次第次第に立ち直りかけていくに従い帳は上がり外部との接触に耐えられるようになります。
わたしのこのブログの奇特な読者の方ならブログを読むことで回復具合が知られることでしょう。
徐徐に外部の話題が増えますから。

そういうわけで、今日は池袋演芸場中席昼の部に出かけることにしました。
毎年のことです。
池袋演芸場の一月中席昼の部のトリは小三治師匠ですから、年明けの楽しみです。
気持ちの張りが戻りうれしい次第です。

早く行かなければ座れません。
12時開場なのに11時半には並ばないと…、池袋演芸場は狭いし客は多いし、小三治の話を聞くのはなかなかに大変なのです。
でも、あの師匠は立派なことに寄席に出てくれるから、ホント幸せです。

簡単な感想は戻ってからということで。

みなさんインフルエンザに気をつけてくださいね。

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2009年1月19日月曜日

訪問看護ステーションコスモス

「訪問看護ステーションコスモス」の存在を知った。

医療や福祉の行き渡りにくい高齢者、障害者、生活貧窮者を対象に、訪問看護や介護サービスなどを行うNPO。活動地域は、東京・山谷(台東区と荒川区にまたがる地域)と横浜・寿町。この2つは、多くの日雇い労務者が簡易宿泊所を住まいにして暮らしているエリアだが、高齢化が進み、病気やケガなどから働けなくなったり、求人が減り仕事に就けないなどの理由から、路上生活者になってしまう人も少なくない。コスモスは、一般の利用者と同じように、簡易宿泊所住まいの人への訪問看護や介護サービスを行い、路上生活者を対象にした健康相談などを行なっている。

こういうふうに生きていく人がいるのかと思った。
なにが楽しいのかとも思った。

「人とのつながり」
それが彼女たちのなかの一人の答だったように思う。(このあたりは断言しにくい)

その彼女がある看護サービスの対象者から拒絶されるシーンがテレビに映し出された。
その後の彼女の言葉に彼女とわたしとのあまりの距離の遠さを思い知らされた。

彼女はこう言ったのだった。
「でもあの人は『帰れ』とは言ったけど『もう来るな』とは言わなかったでしょう」

わたしはなんと自分がつまらない場所にいるのかと嘆いた。
人はこのように人を思えるのか。

以下の言は、出来れば差別的にとってほしくはないが、残念ながら差別的に取ってしまったのならそれでもいい。
それでもいいからわたしにはそのことについて話しかけないでもらいたい、今後、永久に、命ある限り。

わたしはそこに決してわたしの届くところにはない女性性を見たのだった。

まいったなあ。

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派遣切り

派遣労働者の問題がマスコミに取り上げられているが、これは大きな問題となればいい。
さらに2009年問題も待っている。

今日、かく首された派遣労働者が無住の家にもぐり住んでいたという事件(?)をニュースで取り扱っていたが、あれは事件か。
この寒空におっぽり出されれば当然そのような行為に出るだろう。

もっと言えば、犯罪も行うだろう。
自殺もするだろう。
当たり前の結論ではないか。
暴動が起きないだけましと思えばいい。

困りきってしまえば、わたしなら無銭飲食をして警察に食わしてもらう。
人が困ればどうするか、それも壮年、青年である。
社会の規範をはずしても当然に決まっているではないか。

想像力を持って派遣切りには当たってもらいたい。
せめて住む場所と食事は提供しなければなるまい。
そうしないのなら犯罪の増加は覚悟しておいたほうがいい。

それをその人間の責任だといい逃れるか社会が生み出したものだと考えるかはその人間の社会的想像力の問題だ。

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冬来たりなば…

まだ早いだろうがと思いながら庭先のアジサイや山椒やマキの樹を剪定していると、その枝先に芽吹きの兆しを見てしまった。
まだ一月も半ばを過ぎたくらいなのに春は確かに近づいている。
そういえば足元のタンポポも青々としている。

ぐじゃぐじゃとああでもないこうでもないと考えずともいいようなことを思いながら過ごしていると見えなくなるものがある。
季節の移ろいはそのひとつなのだろうが、そういうものとつき合いながらお茶でも飲んでいられるそんな気分をわたしはいつもてるのだろうか。

いつまでも枯れぬわたしを裏切るような芽吹きに驚きと痛みを今朝は感じた。

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思い出

ふと思い出す思い出がある。
柔らかな不意打ちのように襲うそれは悪いものではないし、あのときのあの人の気持ちにようやく触れることが出来るときもある。

だが、同時に思い出は自分の意志で出会いにいけることもある。

長い間寝込んでいればさまざまな魑魅魍魎も闊歩するが、それを押しのけるように自分の意志を持って出会う若い母もいる。
そのとき、若い母の愛情に抱かれた記憶も同時に幾ばくか蘇る。
そのほの温かな気分は長く続き、生きるよすがにさえなる。
それはわたしが極めてマザーコンプレックスの強い人間のせいかもしれない。
念のために書けば、わたしのマザコンは母親に強い愛情と執着を持つという意味である。

ふと思い出す思い出もあれば、こちらから出かけて会う思い出もある。
こちらから出かけ、思い出の中で会う人のことをその人がまだ自分の中に生きているという。

そういう人に救われることは知っておいたほうがいいかもしれない。
実際にはいないその人に助けられるという感覚はあなたをどこかで助けてくれるかもしれない。

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2009年1月18日日曜日

自分の杖

だいぶに起き上がることが出来るようになってきた。
食事も出来るようになってきた。
後は思い切ってなにが出来るか心で確かめていくしかない。

煎じ詰めれば人は前向きに歩く以外にやることはない。
ただただ前向きに歩くしかない。
そのときに見える眺めで自分を判断する、それだけのことだ。

そのときに単に前向きに歩くだけでは足りない。
いつも書くことだが羽生が将棋を杖に歩くようにI氏が書を杖に歩くように板垣がマンガを杖に歩くように城戸氏が短詩を杖に歩くように何かを杖にしなければ、たとえ前向きに歩いていたとしても何も見えない。

自分が杖を持っていることを誇りに思いたい。

ただし、杖を持っている人間はその杖を通して見る性癖があるものだからこの世の事がよくわからなかったりする。
そのことを自覚しておくこともまた大切なことなのだろう。

自覚といってもそう大きなことを書いているのではない。

まずはテレビを代表とするマスコミのくだらなさに少しずつ気づいていきたい。
その後で、世界のことを話してくれる頼れる人を見つけたい。

そういうことだ。

先に戻って繰り返すが、人は前向きに歩くことでしか確かめ得ない自分を持っている。
ともに、歩いていこう。

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2009年1月17日土曜日

うつらうつら

長時間うつらうつらしている間には、今回は落語の100本も聞いた。
そうしているうちに落語をかけているCDやカセットのスイッチを消すといろいろなものが浮かんでくる。

浮かんでくるものは当たり前のものではない。
魑魅魍魎のごときものが浮かんでくる。
そこにわたしの意思はなく、わたしは観客者と登場人物の間になって右往左往している。
心地よいものではないが、何度も経験していることなので圧倒的な恐怖に襲われることもない。

それも体力が戻るにつれなくなっていき、当たり前の映像しか浮かんではこなくなる。
ある種の職業の人間が望む映像がこのようなものだとすれば、わからなくもない。

たとえば、まことに不思議な風車のような電力装置が浮かんできたりする。
わたしにはそれは何かわからない。
すると、それを解説する人物が現れ、わたしを連れて外見をはっきり見せ、そして内部に誘う。
そうしながらいちいちなるほどと思わせる解説をする。
そういう夢だ。

そこへ、ある集団から攻撃があったり、そのままその解説する人物とともに空に登っていったりもする。

そういうお話をいくつもいくつも見ながらその合間に落語を聞いている。
現実的なお話はまず登場してこない。

わたしが寝込んでいるのはそういう状態だ。

そういうときは、このままにの時間がずっと続けばいいと何度も思う。

ラベル:

例によって例のごとく

例によって例のごとく寝込んでおりました。
長らく失礼いたしました。

寝込むのはともかくも、起きている間だけはとても大切にしたく思います。

みなさんもお体をお大事に。

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2009年1月8日木曜日

みのたけの春


わたしは志水辰夫の読者としては随分さぼってきた。
ほとんど読んでいないといってもいいかもしれない。

落語と同じように本を読むにあたっても読者の質は問われる。
わたしが、志水辰夫から離れていたのは私の力足らずのせいだったのかもしれない、この本を読んでそう思った。

この本で扱われているのは維新のころ、主人公は榊原清吉、北但馬の郷士である。
郷士とはいっても実情は百姓、さらに具体的に言えば養蚕業を主に行っている百姓である。
この男に一人の病弱な母親がいる。
これがこの小説の骨格で、その骨格にもろもろの人間が絡んでくる。
その絡み方のなかには維新の時代特有のねっちこさが見え隠れする。

本人たちがそれを意識しているのかどうかは別にして、彼らはその時代に翻弄されていく。
これはいつの時代でも同じことだ。

大きな事件は起こらない。
そういう日常の中で、時代と自分と家族と師と師のお嬢さんと友人と友人の家族たちを清吉は眺め考えて生きていく。

大きな事件は起こらないが、清吉をはじめそれぞれの人にとっての大きな事件は起こる。

この物語は、司馬遼太郎の視点を持っては書けない。
いやいや、司馬氏を批判する気は毛頭ない。
ただ、司馬氏の書く歴史に隠された人々を映し出してくれるこの物語に人というのはこのように生きていくのだったなあと感慨を呼び起こされたのだ。

大儀を中心に生きる人もいれば、親を思うことを人生の真ん中に据えて生きる人もいる。
そういうもろもろの人々の総称を持って歴史と呼びたいが、実は歴史はそのようには記述されない。
歴史は常にその後に書かれるもので、そういう意味では物語である。
その物語は多くの場合、大きな歴史の流れにかかわらなかった人々を個々に描写することはない。

この本に接して、歴史によって取り残された人々の姿のなかに始めて人間を見るような気がしたのは、おそらく私が読み手として変化したせいであろう。
それが見巧者になったかどうかは別問題だが、この小説をしっくりと腹に納められるようになったことを今は素直に喜びたく思う。

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2009年1月7日水曜日

ロシアはやりますね

 [キエフ 7日 ロイター] ウクライナ国営エネルギー会社のナフトガスは7日、ロシアがウクライナ経由の欧州向けガス供給を0544GMT(日本時間午後2時44分)に全面的に停止したと発表した。

 同社は声明で「(現地時間)午前7時44分にSudzhaへのロシアの供給が停止した」ことを明らかにした。

 Sudzhaは、ウクライナの西部国境で最後まで欧州向け供給を行っていた圧縮ステーションを指している。


上記の記事、政治問題も絡んでいるので軽軽なことはいえないが、注目すべき事件だと思っている。

これはロシアが行ったことだが、アメリカが日本に対して穀物輸出をやめると言い出さないとは限らない。
事実、中国や東南アジアでは日本への穀物輸出にいい顔はしないし、規制も始めている。

誰がなにを根拠に信じているのか知らないが、アメリカが友好国だなどというのはどのクチが言わせているのだろうか。

ほんとうは、わたしたちはこの国の中で自分たちだけを頼りに生きていける方策を考えるべきなのだ。
(そのときに、大きなネックになるのが人口であるのは当たり前の話だ。長寿が美徳とはいえ、その質が問われだすのは目に見えている。そこには老人差別という議論も生じるだろう。しかし、昔々の長老たちはただただ長生きしようとはしなかった。今もそうだろう。長生きさせられている老人たちが多くいる。そして、それを振り切ってまで死ぬ意志を彼らに求められはしまい。はてさて…)

しっかり米を作る体制にしてくれよ。
いつまでも海外から穀物が入ってくると思ったら大間違いだ。
これは商社の金儲けのレベルを超えている。
国家の舵取りの問題だ。
もし、この国に意思決定能力があるとすればの話だが。

国民が自立して生きられる国家、そういうイメージを持ってほしい。(グローバル化などという心地のいいコトバに踊っているとえらい目にあうぞ)
今後増え続ける経済難民はどう始末をつけるつもりだろうか。
これは単に派遣労働者という制度の問題ではない。
すでに、この国は揺らぎ始めているのだ。
政治家はこの危機を把握しているのだろうか。
この国はすでにがけっぷちにあり、首相がホテルのバーに行かなくなったからといって好転するような状況ではない。

冒頭のロシアの記事は相当に恐ろしい話であるので、気になる方は追いかけていただきたい。

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こんなシャープペンシル


受験時期もあるのだろうか、いやいやそれだけではあるまい。
クルトガと呼ばれるシャープペンシルがとんでもない売れ行きだそうだ。
試しに探してみられたらいい、なかなかみつかりませんぞ。


シャープペンの芯先に初めて注目して、新開発した機構です。機構内部が3つのギアに分かれており、芯に連結された中ギアが、文字を書くときの筆圧を利用して、上下に運動します。上下のギアと斜めに噛み合うことで、一画書く度に中ギアと芯が少しずつ回転します。一画で約9度回転し、40画で1周します。


と広告文には説明してあるが、なるほどシャープペンシルは使っていると芯がとがってきますが、わたしはあまり気にはなりませんでした。
というよりは、鉛筆あるいは0.9ミリのシャープペンシルを愛用しているので感じなかったのかもしれない。
しかし、それより細い芯のシャープペンシルの場合は気になるのだろうな。
個人的な感じではマークシート方式の試験の増加もこの人気にかかわっているようにも思う。

こういう細やかなところに気が向いて開発する人がいることに頭が下がる。
これが技術立国日本の真骨頂なのかもしれない。

ああ、驚いた。

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2009年1月6日火曜日

儲け話

以前から言われていたが、アメリカでは共和党は戦争、民主党は環境で国を儲けさせるとなっている。
ブッシュはそのようにがんばって戦争をした。
他国民など知ったことじゃない。

環境は少し複雑になるが、これを儲け話にしようという発想はアメリカにはある。
そのなかには食糧戦略もつながっている。

日本の中にいる儲け話を考えている優秀な人々は、環境、食料について考えているだろう。
さらに内需の拡大の遅れを知悉している人間は海外に強く目を向けている。
いや、いまだに海外に目を向けている。

わたしは内需の拡大を期待する者だが、急を要するならば海外だ。
たとえば、キリンビールはオーストラリアを狙っている。

そして、戦争もまたうまくやってみせれば、新たに幸せを日本に持ってこられる。

道はまだいくつかある。

私は、第一次産業の充実で生き延びていくことを考えようという姿勢の者だ。
だから、派遣労働者が第一次産業に目を向けない限り、可能性は生まれないと思っている。

ついでに書いておけば、積極的自由を求めようが求めまいが、積極的自由は消極的自由の保障の上に成り立っていることを知るのは大切なことだとも考えている。

第一次産業に行こう。
派遣社員として、一本立ちの可能性を持つ派遣社員として。

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異人たちとの夏


写真は映画化されたものでわたしは見ていない。
私はその本を久しぶりに読んだ。
そして、途中まで読んだとき、またもか、と思った。
以前に読んだ本だったからだ。

それを途中まで気づかなかったのは、記憶が自分の中でいくつもの曲がり角を通り変節されていたからだ。
詳しくは書かないが、一度読んだものではあったが、いくつかの美しい発見もあった。
以前あの本を「怪談として、面白くない」と私に語った評論家がいた。(そのときはわたしはいまだこの本を読んでいなかった)

しかし、今回読んでみて怪談という形は取っているが、山田太一はいつもながら人と人とのつながりを見極めようとしていることを知った。
怪談というジャンル分けだけではすまない作品なのだった。

そのひとつが現在の主人公を過去の両親に会わせることを通じて親との関係性を探るという作業であった。

わたしもまた今は亡き過去の両親との関係を現在の自分を救うものとして理解せず、無視してきた。
この本で教えられたもっとも大きな点は、過去の両親が現在の自分を救う大きな手立てであるということだ。

両親を再びありがたいものだと知る。

それだけでこの本は十分で、そのことが主人公の今の人間関係に静かに影響を与えてくれるということでよかったのだ。
しかし、作品としての完成にはもうひとつの要素「ケイ」という女を導入する必要があった。
それが物語としての完成度を高めたが、(もちろん怪談としてもだが)山田氏の思う人と人との関係への思いはそがれた。
それがこの作品の弱みだ。

しかし、年配の方なら知っておく必要がある。
過去の両親との関係、それは思い出といってもよいのだろうが、その思い出が現実の自分を助けてくれることがある。
思い出が今の自分を支えてくれることがある。

美しい気づきではないか。

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積極的自由からのみの批判

積極的自由からのみの批判が早くもあらわになった。
かくのごとく消極的自由という側面からの分析を彼らは隠したがる。

お前らが自分のせいで陥ったことだろう。
しかもやる気もなさそうじゃん。

こんな程度のことを薄っぺらな頭で連中は考えている。

そういうなかだから、もろもろの問題を含みながら派遣村実行委員会の行動に拍手を送りたい。(各政党諸君、あまり安直に彼らの行動を利用するのはやめにしたほうがいい。あなたたちがやるべきことなのだ。そして、第一次産業の活性化という前代未聞の試みもあなたたちが考えることなのだ)

以下、インターネット上に載った積極的自由から見た彼らの恣意的な批判を載せておきます。
はてさて先は長い。



<テレビウォッチ>「政治家は(国民の痛みを)本当に分かっていらっしゃるのか?」、アナウンサーの小木が珍しく怒りをあらわにした。坂本哲志総務政務官が1月5日、仕事始めの挨拶で述べた内容のことである。


『雇用&給付金で大波乱!?』と題し、厚生労働副大臣の大村秀章(自民)と長妻昭(民主)の両衆院議員が生出演して「ガチンコ国会の行方」を特集した。

その冒頭で、小木が「ちょっと耳を疑ったのですが……」と言って、坂本が述べた挨拶の一部が書かれたフリップを。

そこには東京・日比谷公園の「年越し派遣村」について「本当にまじめに働こうとしている人達が集まっているのかという気もした」と。

小木は、大村が2日から派遣村で宿泊施設の確保など対応に追われたのを踏まえて、「大村さんね、国民に痛みがじわじわ来ている中で、(政治家は)ほんとに分かっていらっしゃるんですか?」と怒りをぶつける。

これに大村は「現場ではボランティアの皆さんが一生懸命働いていた。延べ1700人も来て頂いた。こういう形の発言されたのは残念です」。坂本の辞任要求説まで浮上しているだけに慎重な答え。

おさまらないジャーナリストの鳥越俊太郎。「坂本さんは、続けて『学園紛争の戦略が垣間見えた』ともおっしゃっている。現場の雰囲気を知っていらっしゃるのですから、本当なのかどうか、ちょっとおっしゃって下さいよ」と。

大村は「確かに日比谷公園でアピールしようという趣旨はあったかと思います。しかし、それ以上にあそこに来ていた方々は住むところまで無くなり万策尽き、真剣に働きたいんだと……。運営委員会のスタッフが『今から便所掃除をやります』というと皆がハーイといって来てくれた。うれしいなと思いましたね」と、坂本が述べた「怠惰論」を否定した。

坂本総務政務官は6日午前、先の発言を撤回、謝罪した。

文 モンブラン

ラベル:

2009年1月5日月曜日

勝ち取られた自由

1/4夜、500人までに増えた派遣村被災者たちの1/5以降の宿泊場所が厚労省から提供された。
1/5から1/12までの期限付きだが、都内の公共施設4か所で受け入れられ、3食の食事も弁当で支給されるという。

こういう快挙を成し遂げた湯浅誠と派遣村事項委員会の存在があったことを喜びたい。

この報道は追加報道がなかなかなされなかったが、どうやら湯浅誠氏によると「満額回答」だということであるからかなりの援助を勝ち取ったのだろう。

今週から始まる通常国会でこの派遣社員棄民問題を政局の焦点にしたくなかったのだろう政権の思惑は見え隠れするが(それだからこそ、マスコミ報道からこのニュースの続報を消すべく手を打ったのだろうかとも思うが)、何はともあれ良かった。

自分の体を動かし、自由を勝ち取るべく生きている人たちがいる。
深々と敬意を表する次第です。

4か所の施設にはハローワークと東京都が窓口を置き、就労相談と生活相談を受け付ける。
多くの命が助かる可能性が出てきた。

日本の人々に政治を動かす力が残っている。
大きく自分の考えの浅はかさを恥じたい。

さらにネットカフェ、カプセルホテルなどの一事しのぎの休息所から次々と人々は出てくる。
製造業を含めた大きな派遣労働者人口は、国を信じてジャンボジェットに乗った。
その人々に、もはやこのジャンボはあなたたちを乗せていられないから降りろという。
もちろん、彼ら用のパラシュートさえも用意はされていなかった。

軟着陸など出来るものかと思っていたがさにあらず。

日本にもまだ人物はいる。

応援できることは応援していきたく思う。

この国は変わるかもしれない。
そういう小さな灯りがともった。

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酒場リテラシー

酒場もいろいろだが、いい酒場で飲みたいものである。
大人数ならば、安くてそこそこの料理が出てくれればいいのだが、少人数、たとえば二、三人や一人で飲むとなるとそうはいかない。

とくに一人だ。

「酒場リテラシー」というコトバは私の造語だが、そういう能力は必要だろう。
ただ寂しいだけで、誰かと出あいたいだけで行く酒場というのには限度がある。(いや、必要がないとは言っていないが、あまりたいしたこともあるまいといっている)
もちろん、孤独の中をさ迷う人間にとって、誰かと出合ったり話したりするのは悪くない話だが、ただ話をしていればいいというものでもなかろう。

そういうわけで、酒場には似たようなものが集まってくる。
いい酒場ほどそういう傾向がある。

そのとき、その似たような風情の連中と自分が交じり合えるかどうかは考えたほうがいい。
無理をしてまで交じり合う必要はない。
このあたりの判断技術のことを「酒場リテラシー」と呼ぶ。

私に限っていえば、そういう意味でこれはという店にはほとんど出合わない。

それはわたしがどこかで、妥協して、いい店を探していないからだと思う。

しかし、どうしても酒場が必要なわけでもあるまい。
いいではないか、ひとりでも。

孤独な酒飲み諸君、「酒場リテラシー」は重要だぞ。

酒場が見つからなければ、いい加減なところで飲まず、素敵な相棒を探すのだ。
そうして、そいつと邪魔されぬように呑んでいれば、「酒場リテラシー」の入る余地もなくなってくるかもしれないからな。

しかし、たまには酒場で呑みたいよなあ、人間だもの。

ラベル:

年賀状

私事なのですが、今年の年末年始はへなちょこで、年賀状はお返事を書くのが精一杯。
いろいろな方に随分失礼をしましたが、この年中行事もなかなかに厄介なもので、賀状の習慣にかこつけて誰かにはがきを出すくらいの感じになると仕合せなのですが…。

私くらいになると始終へなちょこが襲い来たりて一切合切めちゃくちゃにしていくので落ち着いた時間が持てず、毎日がたまったものではない。
ですから決まったものが決まった時期にやってくるというのはとても辛いのです。

わがままものと見られますが、実際にそういった感じなのでいたし方ございません。

というわけで、遅くなりましたが以上がわたしの不実に対するお詫びです。

たまたま本日、韓国から賀状が舞い込み、恐縮至極、その延長線でこのお詫びを書いております。

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2009年1月4日日曜日

テレビの悪口

テレビの悪口とテレビをめぐる状況の悪さを書いてきたが、今夜の吉本隆明と立川談春の出演する二つの番組は良かった。
力のある演者に任して長時間させるのがテレビこれからの長生きの道。(演者の好き嫌いの問題はあっても、見る聞くことによって何かが伝わる。いいじゃないですか、よっ、坂妻!!)

もう茶の間のBGVだけを目指していちゃだめ。
金がないなら放映時間を削りなさい。
いい演者ならいるよ。
探しなさいよ。
別に芸人に限らない。

後はテレビ局の人間の細工でしょうが。(あんまりいじっちゃだめだよ)

いいものを伝えていこうよ。
誰かに伝わるし、中途半端な芸はすっ飛んでってしまうよ。

まさか植木等がいまどきの芸人とどれくらい違うかってことは、わかっておいでですよね。
ちゃらちゃら文化はテレビから崩していくんだくらいの気位を持ってくださいよ。

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わかったようなことを書いてしまったが

前回は(といってもさっきだが)わかったようなことを書いてしまった。
大まかにいえばあれは今のわたしの考えで大きな間違いは自分の中にはない。

でありながら次のようなニュースを読む。
このひとつの事実ですべてが解決するわけもないのだが、このようなことが積み重なる奇跡があるかもしれないと思ってしまうではないか。

まだご覧になっていない方に紹介しておきます。





職や住居を失った人たちが身を寄せる東京・日比谷公園の「年越し派遣村」には、3日も新たに入村する人たちが相次いだ。

 入村者の中に、生きることに絶望し、元日に自殺を図るまで追いつめられた男性(46)がいた。家庭崩壊、長年のネットカフェ生活、そして失職。男性は、偶然知った「派遣村」で励まされ、「もう一度生きてみよう」と自分に言い聞かせていた――。

 「もう仕事はない」。日雇い派遣労働者だった男性が派遣元の担当者から告げられたのは、昨年末のクリスマスイブだった。約7年間続けた製本の仕事は日当6840円。週5日働いてきたが、泊まり続けたネットカフェは1日1000円以上かかった。大みそかの朝、所持金は200円になっていた。「もう死ぬしかない」。あてもなく歩き始めた。

 男性は、北海道釧路市出身。19歳で上京し、不動産会社の従業員だった27歳の時に結婚した。その後、タクシー運転手に。待望の長男を授かってからは、率先して炊事や洗濯、子守を手伝う良き父だった。

 しかし、タクシーの仕事は減り、それに伴い夫婦仲も悪くなり、8年前に離婚した。空虚感から仕事が手につかなくなった。離婚から2年後、アパートを夜逃げ同然で飛び出し、ネットカフェなどで暮らしていた。

 今年元日。イヤホンでラジオを聞きながら歩き続けた男性は、午後5時ごろ、羽田空港近くの木の生い茂った歩道にたどりついた。上京後、初めてデートした公園のそばだった。高い木を選んで枝にベルトをくくりつけ、自分の首に巻き付けた。

 だが、ベルトのバックルが壊れ、一命を取り留めた。放心状態で聞いていたラジオから「派遣村」を紹介するリポーターの声が聞こえた。

 「派遣村にどんどん人が集まっています。今、さまよっている人でも、ここに来ればなんとかなるかもしれません」

 日比谷公園をめざして歩き始め、夜10時頃、公園に着いた。ボランティアの女性からおにぎりと温かいお茶を手渡されると、涙がこみ上げてきた。

 同村で弁護士に住民票を持っていないことを明かすと、「そういう人を守るのが法律です。ともにがんばりましょう」と励まされた。

 男性は派遣村が終了する5日、生活保護を申請する。「多くの人の温かさに触れた。もう一度、頑張ってみます」。そう誓った。

(2009年1月4日11時54分 読売新聞)

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消極的自由と積極的自由

消極的自由は他者 の権力に従わないと発せられる他者の強制的干渉が不在の状態を意味する。(他者の側から見た自由)
積極的自由は、自己実現や能力によって規定されるものであり、自己の意志を実現すること、自己の行為や生が自己の意志や決定に基づいているかどうかという観点から見た自由である。(自己の側から見た自由)

ここで、このようなアイザイア・バーリンの自由に関する概念を持ち出したのは、昨今の日本の民衆の政治への積極的な蜂起がなぜ起きないのかについてふと思いついたからである。

つまり、消極的自由の側から考えれば、現在自分のいる場所の不自由の原因は、「他者の強制的干渉」の結果ではないかという疑問がわいてくるが、積極的自由の側からのみ考えれば、今の不自由のすべては自分の責任ではないかと自己批判の方向に向く。

この積極的自由の側からの結論が「自己責任論」であり、勝ち組といわれる側から提出されたものである。

そしてさらに注目すべきことは、同時に苦しい立場の人間の矜持としての最後の砦もまた「自己責任=積極的自由の考え方の結論」となっているところである。(俺が招いたことであるという一種の諦観の美学が彼らには根深い)

この積極的自由の側からの視線が、いまの自分たちの苦しみを経団連や国家や自治体という他者に直接激しくぶつけられない弱みとなっているのではないか、そうわたしは思ったのである。

貧富の格差の存在する社会において、それを解消し、社会権(国家による自由)を実現するために、政府が富者から高額の税金を徴収し、貧者に分配することや、一般に社会的弱者に教育や就職などをより多くの機会与えることにより格差を解消しようとする行為も、自己実現が困難な疎外された立場にある者の自己実現を容易にするという点で積極的自由の実現と考えられているのだが、積極的自由をここまでの発想にはっきりと広げ強く主張することはこの国の趨勢として強くはない。

それは、いま、ようやく起きつつあるところだ。
あまりにも苦しい状況ゆえに。

このふたつの自由という語の解釈の違いは、自由を他者に従わないことと見れば消極的自由の側面が現れ、自己自身に従うことと見れば積極的自由の側面が現れるというところにあるが、これは同じ現象に対し有効な見方で相互排他的な見解ではない。

消極的自由は「~からの自由」、積極的自由は「~への自由」とも呼ばれる。

問題は、積極的自由からは見えにくい(積極的自由を)阻むものが、自分以外にあるという事実が消極的自由の側から見えやすいということだ。

一般的には、消極的自由と積極的自由の相違は社会的な、とりわけ物質的条件によって、権利の上での禁止もないのに(?…ここがひとつのポイントとなる)、自己の望むことをなしえないとき、または当人が無知などから無自覚に権利の行使を放棄しているとき(?…ここもひとつのポイントになる)にこの状態を自由とみなすかどうかというような想定において議論となる。

この点での相違は、「結果の平等」と「機会の平等」というタームを使い語られることが多いが、今この国で起ころうとしつつある議論では、「権利の上での禁止が存在する」ということを強く認識しなければならない。(わたしはそう考える)

多くは自己責任という言葉を持ち出し、状況を「積極的自由」の側から説き始める議論に終始するだろうが、それはずらしであり、この問題は「積極的自由」の側面と同時に「消極的自由」の側面を大きくとらえなければならないのだ。

もし、あなたがわたし同様苦しんでおられるならば、自己責任というコトバで自分を責めることだけは、すぐさまやめてもらいたい。
まさにわたしたちは「消極的自由」を奪われようとしており、そのことが問題の中心なのだ。

あなたに大きな間違いはない。
あったとしても、人などはその程度のもので、そのことによって路頭に迷う必要はない。

どうだろう、ますます加速度的にひどくなるこの状況を見て、第一次産業の活性化を広く東南アジアも含めた視野で考えてみてはくれないだろうか。

優秀なる官僚諸君。

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2009年1月3日土曜日

これまた失礼

日本の新聞の赤字の可能性のことを書いたのだが、実はすでにそれは生じておりました。
反省し、訂正します。

12/26の報道で、毎日新聞と産経新聞が半期決算で大幅な営業赤字を計上している事実が明らかとなった。11月には朝日新聞が赤字転落した報があり、新聞大手の経営が苦境に立たされている。その原因は広告料の減収と購読者の減少にあり、毎日新聞の報告書の中では、特に若年層の購読離れが深刻化している現状が指摘されている。

家庭で新聞を購読するのは、かなりの贅沢になってきているようでもありますね。
購読者の減少は広告収入の減少にも連動し、もはや活字メディアは崩壊寸前でしょうか。
縮小すればいいだけの話ではありますが。

いやはや、トヨタだけかと思えばあちらからもこちらからも火の手は上がっているではないですか。

本当に大変な状況ですね。

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時代は不可逆的に動いている

日比谷公園で寒さをしのいでいた人たちに政府が救いの手をのばした。
もちろん派遣村からの要請があったからだが。


「派遣切り」などで職と住まいを失った人たちのために東京・日比谷公園に開設された「年越し派遣村」で、来場者が想定の倍の300人を超え、用意したテントが足りなくなったことから、NPO法人などで作る実行委員会は2日、厚生労働省に宿泊施設の提供を要請。

 これを受け同省は同日夜、庁舎内の講堂(約820平方メートル)を開放した。期間は仕事始めとなる5日朝までで、約250人が移った。

 長野県のパソコン工場で働いていた先月中旬、突然派遣契約を打ち切られた釘崎正さん(41)は、住んでいた寮も追い出され、上京してコンビニなどで夜を過ごしてきたという。「寒さから逃れるために入った電器店のテレビで流れていたニュースでたまたま派遣村を知った。テント内も夜露をしのげたが、講堂内はとても暖かい。これからの職探しのために少しでも体を休ませたい」とほっとした様子で話した。

 一方、中央区も、廃校となった小学校の体育館など2施設を5日から1週間をめどに提供する予定。計160人受け入れられる。

(2009年1月3日00時10分 読売新聞)


いいニュースだった。
知らん振りを決め込むことも出来ただろうにそこまでひどい仕打ちをすることにこの国は慣れていない。(まあ、小者だといってもいいのだが)
だが、今後も派遣切りは進む。
それは、2009年が特別な年であるからだ、3年契約の最後の年だからという意味だ。
もちろん企業は再雇用契約はしない。

彼らの実質的は居場所はなくなる。

雇用創出を一段と急がなければなるまい。
医療介護にその役目をさせようとしているのが政府案だ。
ニューディール政策だそうだ。

まあいい。

しかし、問題はこれからの時代、人は必要なもの以外に買わなくなる。
いくらCMであおってもだ。
実際の経済に降りてきてしまったからには人に必要なものは、食と住だとみんな理解している。

だとすれば、一次産業での雇用創出を考えない手はない。
これには専門家の知識が必要だが、とにかく中心的な改革は一次産業だ。

これまで田舎から都会に出てきた青年たちを都会から田舎へ向けるのだ。
そこには大きな構想が必要となってくる。
それをわたしは官僚の優秀な頭脳に任してみたい。

予言しておくが、以前のように車や電化製品が売れるような時代は戻ってきはしない。
衣類もそこそこのもので十分だ。
必要以上の金をかけて飯を食うこともあるまい。
食は生きるためにあり、その食の中で贅沢も出来るものである。
うそだと思うのなら「土を喰らう」を読んでみるがいい。

いつまでもいつまでも大量の残飯を出している食は続かないし、値段の高さをつまりは贅沢を競って食することもなくなる。

時代は不可逆的に動き始めており、新しい産業構造を求めている。
そこには道州制の問題もからむかもしれない。

それに加えてこの国がこれだけの人口を養えるのだろうかという問題は残る。
幸いなことに日本の人口が減少し始めている。
農業漁業にも少しは目を向け始めている。

ウクライナでの穀物買い付けの惨憺たる失敗はともかく、まだ可能性はあるのではないだろうか。

そう思っていたいではないか。

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テレビ

テレビのことを評価しては書かないが、わりと見ている。
テレビを眺めるのは気力のなえた人間がするのに向いているからだ。

それで、このところ思うのだが、それがつまらない番組であろうがなんであろうが無関係に番組制作に金を使わなくなっている。
要はスポンサーがつかないのだろう。

みなさんは、最近のテレビのひどさにどれくらいお気づきだろう。
再放送(こいつは、あの番組がまた見られると助かることがあるが)やクイズ番組は最たるものだろう。
また、やたら芸人を集めてちゃらちゃらやっているのも安くは上げられるだろう。

まあ、もともとテレビを見る人間などあまりはいなく、ただ家庭で流しているに過ぎない。
いやな習慣だ。

しかし、人は気づく。(ほんとかね)
こんなもの流しているに値しないと。

同じように新聞もスポンサーがつかなければ倒れる。
ましてや日本の新聞社の社員数は異常に多い。

昨年の12月15日に以下のようなニュースが配信された。
(興味のある部分だけお読みください)

【12月15日 AFP】印刷媒体への出稿量も発行部数も減り、無料のインターネット・ニュースに読者を奪われ、米国の新聞界は今、赤字の波にどっぷりと浸かっている。大新聞の中にさえ経営危機にひんするところが出始めている。

「かつて機能していた新聞のビジネスモデルはもはや成立しない」。米名門新聞社ワシントン・ポスト(Washington Post)のドナルド・グラハム(Donald Graham)会長は前週、ニューヨーク(New York)で金融大手UBS主催の会議に出席し、これまで各方面から指摘されてきた米メディア界の現状をあらためて嘆いてみせた。

■広告激減、ITメディアとの競争に金融危機と悪条件

 米新聞界の危機は、この1年で解雇、または買収の影響を受けた新聞社従業員1万5422人にとっても深刻な出来事だ。この数字は、米メディアの人員削減を追っているセントルイス・ポスト・ディスパッチ(St. Louis Post-Dispatch)紙のエリカ・スミス(Erica Smith)記者が、自らのブログで公開しているものだ。

 マイクロブログサービス「ツイッター(Twitter)」上でPR会社数社が11月から運営を開始したThe Media Is Dying(死にゆくメディア)」でも、米メディア界の失業者数が1日数回更新されている。

 不況加速で印刷媒体の広告収入もますます減る一方で、広告主は無料を売り物とする「Craigslist.com.」のようなネット媒体に向かうなか、新聞業界にとって悪いニュースが出ない日は1日もないという状態だ。

■507紙中、08年増収は2紙のわずか0.01%

 米新聞雑誌部数公査機構(Audit Bureau of Circulations、ABC)によると、2008年4-9月期の米新聞507紙の発行部数は前年同期の4002万部より4.64%少ない3816万部にだった。この傾向にあらがうことができたのは、大手ガネット(Gannett)発行のUSAトゥデー(USA Today)紙と、メディア王ルパート・マードック(Rupert Murdoch)氏率いるニューズ・コーポレーション(News Corp)傘下の経済紙ウォールストリート・ジャーナル(Wall Street Journal)だけだが、これら2紙の部数もわずか0.01%増加したにすぎない。

 アメリカ新聞協会(Newspaper Association of America)によると、08年第3四半期の新聞広告収益は印刷版、オンライン版あわせて18.1%減で、6四半期連続の減少となっている。

 オンライン版新聞への広告出稿は全体的に増えているが、IT関連調査会社eMarketerは、この分野の09年の広告費成長率は8.9%にとどまると予測している。オンライン事業関連の売上が総売上の15%程度しか占めていない大新聞の中でこの数字を達成したところは過去1社もない。

 前週、連邦破産法11条(日本の民事再生法に相当)の適用を申請した、米有力紙ロサンゼルス・タイムズ(Los Angeles Times)などを傘下に持つメディア大手トリビューン(Tribune Company)以外にも将来の見通しが不透明な新聞社が多数存在するという現実も、米国の新聞のビジネスモデルは崩壊しているというワシントン・ポストのグラハム会長の冒頭の見解の正しさを示しているといえる。

 グラハム氏は自社の発行物についても厳しく評価し「ポストもニューズウィーク(Newsweek)誌も2008年は赤字だろう。広告にとって非常に困難な状況のなか、2009年は何らかの改善が示せるかどうかが課題だ」と述べた。

 グラハム氏はリソースをポストの電子版に注ぎ、デジタルメディアに対応できるスタッフを新たに採用するなど、未来のメディアの電子化に積極的に投資している。

 伝統あるニューヨーク・タイムズ(New York Times)紙もマルチメディア企業としての再生を目指してきたが、資金繰り難により12月、新社屋を担保にした資金調達に追い込まれた。

 ジャーナリズム専門のシンクタンク、米ポインター・インスティチュート(Poynter Institute)のロイ・ピーター・クラーク(Roy Peter Clark)副所長は「遠くない将来、日刊紙のない地域がたくさん出てくることになるだろう」と予測する。

 フロリダ(Florida)州ネープルズ(Naples)で米ナショナル・プレスクラブ(National Press Club)が開催した「The Future of Journalism(ジャーナリズムの将来)」と題するフォーラムでクラーク氏は、確実に生き残るための「魔法の弾丸など存在しない」と言い切った。(c)AFP/Chris Lefkow

何もかもが変わろうとしている。
時代は不可逆的に動き始めているのだ。

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この世に棲家がないのなら


どこにいても自分の居場所ではないという気がする。
まあ、病気みたいなものだ。
それでも居場所探しに旅にでも出れば多少とも落ち着くし、自分の居場所につながるような場所に不意に出くわしたりする。
仮にそれを「アイデンティティ・プレイス」とよぼうか。

その「アイデンティティ・スペース」なるものは、自分の居場所そのものではなく、居場所へいざなう扉のごときものなのだろうと最近思うようになった。

居場所はこの世にあらず、仮想の中にあるというわけだ。

だから疑似体験として小説を読む、落語を聴く、日用品を作る、料理をする…多少なりとも仮想の混じった作業が、気分を楽にしてくれることがある。

しかし、それは残念ながら根本的なところにはつながらない。

これはまったくの私見ではあるが、終の棲家のようなものは大きく仮想に依存していると思う。(わたしにとっては)
したがって、特殊な人たちはそれを仮想の世界として作品の中に見つけようとする(=作品を作る)。
漱石などを思うときにそのことを感じる。

はたしてわたしがどのあたりに位置する人間かわからないが、そういった意味の仮想の世界を作り出す作業が
わたしに残された居場所探しの大きな可能性だと思う。

そこにはわずかばかりの愉快さもあるかもしれない。

心身がすぐれず、賀状をまだ書いておりません。
失礼の段お詫びいたします。

なんにしても

あけまして おめでとうございます
本年もお引き立てのほどを 御願い申し上げます

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