小三治がよかった
あちこち話しが飛ぶが、二乃席の小三治がよかった。
何よりマクラがよかったし、それに続いての粗忽長屋、大いに楽しませてもらいましたし、あまりのよさに夜の部は遠慮して帰りました。(小三治は昼席のトリでした)
あの人のよさは気張らないということで、気張らずに自然に自分の世界に引っ張り込む。
ああいう芸当ができる人は早々はいない。
談志はどうかと聞かれるかもしれないが、あの人は気張る。
気張った結果の噺でどちらだといえば、小三治より談志を取る人がいるだろうが、わたしは小三治だ。
落語は気張ってするものではないと思っているからだ。
それにこの世の中自体が気張って生きるものではないと思っているから。
その気張って生きる必要のない世の中で気張らなければ生きられなくしている日本のシステムは異常だ。
寄席の小屋での安堵感は、そこに本当のあるべき人間らしい生活感が流れているからだろう。
さて、ただいまより野暮用があって出かけますが、また夕方くらいから書き始めます。
本当に申し訳ございませんでした。
心配していただいた方にはさらに申し訳ございませんでした。
何よりマクラがよかったし、それに続いての粗忽長屋、大いに楽しませてもらいましたし、あまりのよさに夜の部は遠慮して帰りました。(小三治は昼席のトリでした)
あの人のよさは気張らないということで、気張らずに自然に自分の世界に引っ張り込む。
ああいう芸当ができる人は早々はいない。
談志はどうかと聞かれるかもしれないが、あの人は気張る。
気張った結果の噺でどちらだといえば、小三治より談志を取る人がいるだろうが、わたしは小三治だ。
落語は気張ってするものではないと思っているからだ。
それにこの世の中自体が気張って生きるものではないと思っているから。
その気張って生きる必要のない世の中で気張らなければ生きられなくしている日本のシステムは異常だ。
寄席の小屋での安堵感は、そこに本当のあるべき人間らしい生活感が流れているからだろう。
さて、ただいまより野暮用があって出かけますが、また夕方くらいから書き始めます。
本当に申し訳ございませんでした。
心配していただいた方にはさらに申し訳ございませんでした。
ラベル: 演芸
<< ホーム