自分の杖
だいぶに起き上がることが出来るようになってきた。
食事も出来るようになってきた。
後は思い切ってなにが出来るか心で確かめていくしかない。
煎じ詰めれば人は前向きに歩く以外にやることはない。
ただただ前向きに歩くしかない。
そのときに見える眺めで自分を判断する、それだけのことだ。
そのときに単に前向きに歩くだけでは足りない。
いつも書くことだが羽生が将棋を杖に歩くようにI氏が書を杖に歩くように板垣がマンガを杖に歩くように城戸氏が短詩を杖に歩くように何かを杖にしなければ、たとえ前向きに歩いていたとしても何も見えない。
自分が杖を持っていることを誇りに思いたい。
ただし、杖を持っている人間はその杖を通して見る性癖があるものだからこの世の事がよくわからなかったりする。
そのことを自覚しておくこともまた大切なことなのだろう。
自覚といってもそう大きなことを書いているのではない。
まずはテレビを代表とするマスコミのくだらなさに少しずつ気づいていきたい。
その後で、世界のことを話してくれる頼れる人を見つけたい。
そういうことだ。
先に戻って繰り返すが、人は前向きに歩くことでしか確かめ得ない自分を持っている。
ともに、歩いていこう。
食事も出来るようになってきた。
後は思い切ってなにが出来るか心で確かめていくしかない。
煎じ詰めれば人は前向きに歩く以外にやることはない。
ただただ前向きに歩くしかない。
そのときに見える眺めで自分を判断する、それだけのことだ。
そのときに単に前向きに歩くだけでは足りない。
いつも書くことだが羽生が将棋を杖に歩くようにI氏が書を杖に歩くように板垣がマンガを杖に歩くように城戸氏が短詩を杖に歩くように何かを杖にしなければ、たとえ前向きに歩いていたとしても何も見えない。
自分が杖を持っていることを誇りに思いたい。
ただし、杖を持っている人間はその杖を通して見る性癖があるものだからこの世の事がよくわからなかったりする。
そのことを自覚しておくこともまた大切なことなのだろう。
自覚といってもそう大きなことを書いているのではない。
まずはテレビを代表とするマスコミのくだらなさに少しずつ気づいていきたい。
その後で、世界のことを話してくれる頼れる人を見つけたい。
そういうことだ。
先に戻って繰り返すが、人は前向きに歩くことでしか確かめ得ない自分を持っている。
ともに、歩いていこう。
ラベル: 日常
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