2009年1月6日火曜日

異人たちとの夏


写真は映画化されたものでわたしは見ていない。
私はその本を久しぶりに読んだ。
そして、途中まで読んだとき、またもか、と思った。
以前に読んだ本だったからだ。

それを途中まで気づかなかったのは、記憶が自分の中でいくつもの曲がり角を通り変節されていたからだ。
詳しくは書かないが、一度読んだものではあったが、いくつかの美しい発見もあった。
以前あの本を「怪談として、面白くない」と私に語った評論家がいた。(そのときはわたしはいまだこの本を読んでいなかった)

しかし、今回読んでみて怪談という形は取っているが、山田太一はいつもながら人と人とのつながりを見極めようとしていることを知った。
怪談というジャンル分けだけではすまない作品なのだった。

そのひとつが現在の主人公を過去の両親に会わせることを通じて親との関係性を探るという作業であった。

わたしもまた今は亡き過去の両親との関係を現在の自分を救うものとして理解せず、無視してきた。
この本で教えられたもっとも大きな点は、過去の両親が現在の自分を救う大きな手立てであるということだ。

両親を再びありがたいものだと知る。

それだけでこの本は十分で、そのことが主人公の今の人間関係に静かに影響を与えてくれるということでよかったのだ。
しかし、作品としての完成にはもうひとつの要素「ケイ」という女を導入する必要があった。
それが物語としての完成度を高めたが、(もちろん怪談としてもだが)山田氏の思う人と人との関係への思いはそがれた。
それがこの作品の弱みだ。

しかし、年配の方なら知っておく必要がある。
過去の両親との関係、それは思い出といってもよいのだろうが、その思い出が現実の自分を助けてくれることがある。
思い出が今の自分を支えてくれることがある。

美しい気づきではないか。

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