2007年12月28日金曜日

少し早いのですが…


わたしはすでに父と母をなくしてしまっている。
だから、彼らが暮らしていた三重に帰ることが縁遠くなっている。
一人息子であるわたしだから、その家はもうだれもいない空間を宿しているだけなのです。

わたしには、妻と一人の息子と一人の娘がいるが、それでも自分は天涯孤独だと感じている。
淋しい男なのですよ。

むかし「淋しい」の「淋」という漢字は、「どうして『木』が二つあるのに淋しいのかしら」と聞いた娘がいたが、いまなら少しわかる。

人はひとりっきりでいるときに淋しくなるだけではない。
いくらだれかと一緒にいても淋しさを感じさせる人間関係はある。

二人でいたほうが、もっと孤独を感じることだってあるのだ。
それは四人でいてもそうだ。

わたしの『天涯孤独』とはそういった意味だ。

さて、わたしの帰郷は明日にしようと思う。
戻りは、6日前後か。
いまは定かではない。

そのために、わたしはこのブログを少し休もうと思っている。
三重にいてもブログはできるのだろうが、わたしはその方法がよくわからない。
そのこともあるが、少しゆっくりしてみようと思っている。

人は、何も考えずに時を過ごす必要がある。
肉体に休息が必要なように、心も休息をしているからね。

みなさんも、それが可能なら、十分に休息をおとりください。

みなさんがよいお年を迎えられることを切に願っております。

山本とんぼ丸拝

ラベル:

2007年12月27日木曜日

マトリックス


ひどい夜を過ごしたあくる日ということで、これを書いている。
まあ、そういう日もある、生きていれば。

「マトリックス」を見た。

「マトリックス」と言えば、オレの好きな
ネオ(キアヌ・リーブス) と
トリニティ (キャリー=アン・モス)
が出ていることで特殊な映画だ。

「マトリックス」のキャリー=アン・モスは、俺が個人的に好きな女だ。
キアヌ・リーブスにいたっては、もう7年くらい前になるのだろうか、オレが、この女と決めていた、フィリピンのミンダナオ島、第三都市、ブテゥワン出身のメラニー・サベーラ・トーマスに酷似している。
もっとも、キアヌ・リーブスは、有名なホモセクシャルで、その点では俺の趣味とは合わない。

さて、この「マトリックス」を見て思うのだが、この映画は、ある世界を描いた映画だ。
それが、現実と通低しているのはいうまでもないが。

井筒和幸や阪本順治が映画とは人間を描くことだ、と断言したりするが、事はそう簡単ではない。
もちろん彼らの発言は非常に重要で、ハリウッド映画のテイタラクを思えば、素晴しい発言だが、ここでは、ハリウッド映画のだめさを語ることはしない。

小説では、だいぶ前から、「わたしとは何ものであるか」を描いたものと「この世界とは何ものなのか」を描いたものと言うような二分法が、闊歩している。
たとえば、J・D・サリンジャー的だとかジョン・アーヴィング的だとかさ。
しかし、この二分法は、きわめて強力なものではない。

なぜかって?

だって、私を描くとき、世界を描かなければならないし、世界を描くとき私を描かなければならないからさ。
つまりは、この二分法は、ある志向を示しているにすぎない。

でもそれが、大事なんだけどね。

村上春樹などは、この手法でやっつけられたりする。
彼は、世界を描こうとした作品はひとつの短編集しかないからね。
「神の子どもたちはみな踊る 」ね。
したがって、この作品はすこぶる評判がいい。

このあたりの分析も今日はここまでね。
しかし、もはや、自分を描く小説に未来はないという言い方にわたしは、抵抗を少し覚える。
というのは、自分を描きながら世界を描くことだってできるからさ。

少し、大きすぎるテーマになってしまった。
また、新たにこのテーマは起こす。

オレは、いま飲みすぎていて、しかも飲みにいこうとしている。
この場合「飲みにいこうとしている」のほうが、ずっと重要なんだけどさ。

で、早急にまとめるのだが、「マトリックス」が世界に対して真剣に描いているのに驚いた。

いい作品だった。

映画を見て、仕合せになることもあるのだ、と思った。
まあ、そんな夜だったというだけの話さ。
な、F山くん。

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昨夜は昨夜とて

昨夜は、二件の店をはしごすることになった。
一軒目は、我が愛する先輩と、女と飲んだ。
とてもいい感じで終わったのだった。

日本橋「静」

その帰り、いつものように「ちゃんぷる亭」に寄ったのだが、ここが、大変だった。
酒乱にからまれたのだ。
まあ、わたしとしては、よくある話だ。
その男の一撃をスエーバックでかわしたのだが、メガネが吹っ飛んでしまった。
そのわたしを助けるべく、一人の男が、立ち上がり、そいつを叩きのめした。
ありがたかった。
放っておけば、わたしは、その男を殺しにかかったはずだから。

そのあと、興奮冷めやらず、わずかに付き合っている女のところに眠りに行った。

というわけだから、三軒なのだが、三軒目は、朝の二時だから、昨夜はとは言えないだろう。
今日の話だ。
さっきもその女と電話で話した。

内容は?

ここに書ける内容ではない。

しかし、酔っ払いに絡まれることは多いが、いつの場合も楽しいものではない。
相手を憎みはしないが、許しもしない。

ラベル:

2007年12月26日水曜日

夜明けの街で


潰すような暇もないのに、暇潰しに東野圭吾の「夜明けの街で」を読んでしまった。
まあ、読んでも読まなくてもいいような本だ。
それなりに楽しませることは、たしかだが、読まないと困るような類のものではない。
それでも読ませる工夫のあるところに、東野のプロであるゆえんを深く感じた。

少少彼に厳しいのは、いまわたしの手元にあり、つらつら読んでいるのが「トニオ・クレエゲル」であるせいでもあるだろう。
こういう作品と、並べられれば、誰だって困る。
まあ、ドストエフスキーなら困らないだろうが、あと、リョサとかさ。

てなわけで、もう少しだけ、「夜明けの街で」に言及しておけば、よく不倫をする心理に踏み込んで書けている。
こういう細かいところに作家の力量はあるので、東野はがんばっているなと思った。
しかし、サスペンスにもっていくのが、いかにも大変だった。
あれは、不倫を書ききってしまえばよかったのだろう、と思う。

まあ、失敗もあるさ。
それでも読み手に損をしたと感じさせないところに東野のプロ性はある。
立派なものだ。

彼には「白夜行」があるので、心配はいらない。
「容疑者Xへの献身」は難しい。
連条三紀彦「戻り川心中」があるからね。

いろいろあるが、とにかく、東野さんはがんばって書いている。

さて、わたしの「真夜中の瀧の音」は、一月末には完成するが、いかほどのものだろう。
本人にもわからないが、駄作にはしたくないものだ。

ねえ、T島くん。

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2007年12月25日火曜日

人が人を愛するとき

わたしにとって、狂おしく流れるクリスマスソングの中、生きていくのはとても苦しい。
だから、たいていの年は、家に閉じこもったままだ。
わたしもまた、自分自身の内面が狂おしくなってしまうからだ。

今年のクリスマスは、「ちゃんぷる亭」の成子が、助けてくれた。
成子なんて言っちゃいけないな、あのママが助けてくれた。
比較的平穏に過ごせた。

三宅洋平は、クリスマスに煮魚を俺は作るとのたまわったが、わたしはと言えば、「タラ」のバターソテーを作って、しこたま飲んだのだった。
「タラ」という魚は、意外と軽視されているが、うまい「タラ」と出会えばわかるが、この世のものとは思えぬ食感をかもし出すときがある。

残念ながら、いまのわたしにはそれほどの余裕はなく、適当にうまく、ほんとうのことを言えば、この程度の「タラ」であれば、かなりうまいたらのソテーを味わったのだ。
この料理のポイントは、「タラ」の芯まで火が通った瞬間に、火を止めるところにある。
それだけだが、このタイミングは難しい。
まあ、いいさ、この話は、このへんで。

さて、クリスマスの苦しみを和らげた「ちゃんぷる亭」の成子さんが、わたしにこう聞いた。
ある女をわたしがスキである事を知ったうえでの質問だ。

「あの人をどうして好きになったの?」

わたしは、この答をすでに知っていた。
遠い昔、同じ質問をした女がいた。
美しく、いとしい女だった。

その女は、身を乗り出すように同じ質問をした。

「あなたは、どうしてわたしが好きなの?」

わたしは、一瞬戸惑い、それからしばらく考えた。
とても長い時間のように思えたが、それは、たぶん、数分であったに違いない。

わたしは、前のめりになっているその女の肩を少し押し戻した。

「俺が、おまえを好きになった理由を教えようか。おまえがそんなに知りたいなら。」

そのとき、美しいその女の眼は、少し潤んでいた。
そして、わたしが恥ずかしくなるほど女はわたしを見ていた。
女は、ほれた男の顔をそのようにじっと見ることがある。

わたしは言った。

「いいか、俺がおまえがスキなのは、俺がおまえに出会ってしまったからなんだよ。おまえに出会ってしまったから、おまえが好きになったんだよ。それが、すべてだ。」

女は、きょとんとしていたが、すぐにわたしが、「いいから、そばにおいで」と言ったので、少し楽になったようだった。
そうしてわたしが、その女を抱きしめているうちに、女はわたしの言葉のいくばくかを理解したようだった。

女は、わたしが抱きしめているときにポツリと言った。
「そうか、出会ったからなのか…」

人が人を愛するときに理由はさほどない。
あるとすれば、貧弱な頭であとから考えた理由でしかない。
やさしいからとか、いっしょにいると楽しいからとか、もっと馬鹿は、彼女のすべてがスキですとか言う。
せせら笑うぜ。

人が人を愛するために必要にして十分なものは、「出会い」しかないのだ。
「出会い」こそが、始まりにしてすべてなのだ。
それは、わたしにとっての、キミたちもそうだ。

ね、F山くん、WTくん

ラベル:

2007年12月24日月曜日

漱石先生


しっかりと調べをしていないので、はなはだ面目ないのだが、夏目漱石に彼の神経症対策に小説でも書いてはどうだ、と言ったのは、たしか、高浜虚子だったはずだ。
その言を受け、漱石は、「我輩は猫である」を書く。
「猫」の文体のあちらこちらに読む人が読めば、ある種の神経症が仄見えるのはそのせいだ。

で、わたしも漱石先生と比べるのはおこがましいのだが、神経症で、それが、このブログをしたためることで多少緩和されている。

ところで、昨日はがきをふたつ書いたのだが、そのときに驚くことを実感した。
手で書くことのほうが、ずっとわたしの精神にやさしく、強く影響するのだ。
漱石先生の時代、かれは「猫」を我が手で書いたはずだ。
それが、どれほど彼の力になっただろう。

わたしは、このブログが助けになっているが、キーボード入力によるブログは、手書きには劣る。
そのことをわたしは昨夜、ふたつのはがきを書くことで知った。

「箱庭療法」という有名な心療内科の治療法があるが、あれは、何かを作ることが主眼ではないのではないか。
何かを我が手において作り出すことが主眼なのではないか。

石川啄木の昔から、人は追い詰められると手を見ることになる。
それは、ただただ悲観しているのではない。

その手に力があることを暗に知っているのだ。
意識的にせよ、そうでないせよ。

若者よ、恋人の髪に優しく触れろ。
そのことだけが、我々の救いだ。

ラベル:

2007年12月23日日曜日

アルコールというもの


このブログを読んでいただいている数少ない大切な人たちの中には、わたしがアルコール依存症にちかいのではないのかと思っておられる方がいらっしゃるかもしれないが、この件は少し複雑だ。

わたしは、ずいぶんとお酒を飲んできた。
しかもかなりこだわった飲み方をしてきた。

たとえば、日本酒なら、「神亀 真穂人 中汲み生原酒」というような。
この酒は、恐ろしくうまい。
値段は、そこそこ張るが、たしか一升瓶で五千円弱だったろうか、この値段は実はかなり安いものだ。

神亀は埼玉県蓮田市の酒蔵で、とても良心的な酒蔵だ。
良心的とは、その作り方もそうだが、価格をつけるときに原価率が極めて高いのだ。
つまり、原価と比較してきわめて安く値段を設定する。
日本で一番かもしれない。

なにしろ、この「神亀酒造」には小川原専務がいるから。
小川原さんは、その道では、神亀教教祖と呼ばれたりするほど、酒を愛し、神亀を愛し、酒を飲む人たちを愛する人だ。
その人ありての神亀だ。

この神亀をわたしに教えたのは知る人ぞ知る、浜田山「伊勢屋酒店」の親父だ。
もう十年以上も前になる。
そのころ、酒のことをいろいろと彼から教えられていたわたしは、「今年の神亀 中汲み」はいいとその親父にいわれたのだった。
その親父によると自分が神亀酒造で試飲してきて仕入れたそうだ。
さらに詳しく、親父は説明した。

「いやあ、23番タンクが最高なのさ」

その当時、すでに樽で酒を作っていなかった。
タンクで醸造していたのだ。
そのタンクがいくつかあるのだが、23番タンクの出来が非常にいいというのだ。

つまりはこうなる。
神亀がうまいと親父はいっているのではないのだ。(もちろん神亀酒造は良心的で、そのすべての酒がうまいのだが)
「伊勢屋酒店」の親父は、
「今年の、23番タンクの、神亀の中汲み、はいい」と言ったのだ。

多くの通と称する人間はいう。
やれ、菊姫がいいだとか、天狗舞がいいだとか、開運がいいだとか…
まあ、それはそうだろう。
しかし、それはあまりにもいい加減で、あいまいすぎる物言いではないか。
ほとんど何も言っていないのに等しいのかもしれない。

それ以来、わたしはあまり酒のことを話すことはなくなった。
もちろん、話してわかる人と愉快に話す夜もあるが。

ワインにわたしは詳しくないが、ワインにはビンテージがあるので、話はもう少しシャープになっている。
しかし、ワインのことをしたり顔で話すのはどんなものだろう。

恥ずかしいことではないだろうか。

以上は、ひとつのエピソード。

されに言っておけば、わたしは、日本酒だけを飲んできたわけではないので、バーボンならエズラ、ジンならタンカレー、ラムならバーバンクール、テキーラならゴールド…と、それぞれに好みはある。
そして、実際にはそれらの酒についてはもう少し詳しく語らなければならないが、今回はいい。

あ、ひとつだけ話しておこう。
洋酒に関しては、マール酒、グラッパ、こいつはいい。
とてもお得な酒だということだ。
どちらもワインを絞った後のぶどうかすから作るのだが、フランスではマールと呼び、イタリアではグラッパと呼ぶ。
もちろん、どのワインを作ったしぼりかすかによるが、なんにしろいいものだ。

話が、とんだ横道に入ってしまった。

閑話休題

そのようにしてわたしはアルコールを嗜好品として楽しんできた。

問題はこれからだ。

酒が嗜好品から薬品へと移行するときがある。
ここなのだ、問題は、つまり抗不安剤として、酒を飲み始めることがひとによっては起こるのだ。
そうなると、酒はほとんどどれでもよくなる。
酒の種類を選んでいるうちにはその心配はない。
それが、何でもよくなったときには注意しなければならない。

「酒が強い」ことに何の意味もないが、酒が嗜好品ではなくなるとき、酒の強さは増していく。
そのとき「酒が強い」という表現は「酒に対する耐性ができた」に変わる。

どれだけ呑んでも酔えない状態は酒に強くなったわけではなく、薬として効かなくなってきただけのことなのだ。

くりかえすが、クスリの意味は、代表的には抗不安剤。
平たく言えば、いまの自分を忘れさせるためのもの。
その症状に対する酒はきわめて有効でそれを否定する気持ちはわたしにはない。

ただ、本物の薬のほうがいいに決まっている。
たとえば、いまわたしが使っている「レキソタン」とかね。

とにかく、過敏すぎる精神を持つものは、ときとして酒に走る。
クスリの存在を知らなかったり、医者を嫌がったりで。

で、あなたはどうなのと尋ねられるのですか?

まあ、そんな夜もある、といったところでしょうか。

わたしは依存症の手前で立ち止まっています。
だって、わたしには「レキソタン」とあなたがいるのだから。

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人は自分を変えない、そしてそんな自分を守る

人はいま自分のある状態がそうであるように思いたがる。
いままでもこうであったように、いまからもこうであるように。
つまり変わることのない何かのように。

しかし、人は変わることのできる生き物なのだ。
じつのところ。

人が自分を守るときの構造は、概ねこのような形態をとる。
多くは、その人間がこの国のシステムに取り入れられたときにその傾向は強い。

しかし、そうばかりではない。
いま、自分の思う自分の姿を揺るがすものに出会ったとき、人は、無理ながんばりをする、いや、してしまう。
それが生きるという姿の深いところにある。

たとえば、わたしは、それを「未知のもの」「異物のもの」との出会いのときにはっきりと検証されると思っている。
「未知のもの」「異物のもの」との出会いは、そういう自分の志向への試金石だ。

そんな出会いのとき、ああ、やはりわたしは変わりたくないのだ。
変わる気などないのだ。そう思わせる。
意識的であれ、そうでないであれ。

卑近なことを言おうか。
妻がありながら、新たな女に会う。
キャバクラの女じゃないぜ、もう少し本格的な女、つまり自分の実人生にかかわってしまうような予感をさせる女と出会うとする。
「未知なるもの」との出会いだ。
そのとき、人は、それを放りだそうとする。

間抜けな男なら、一度くらいはエッチをしようかと思うかもしれない。
あほだからね。
しかし、そんなところに問題はない。

「未知のもの」「異物のもの」にであったとき、それにどれだけ真摯に向かい合えるかは、その人間にとっての正念場だ。
向かい合えば、その後が変わる、自分自身が変わる。

恐ろしいかい?

しかし、あなたも少し以前までは、そうしてきたのだよ。

それが小学生のころまでのあなただったのか、高校生のあなただったのか、社会人のあなたであったのか、いつまでのことだったのかは、あなたではないわたしは知らないが、そうであったはずだ。

それを成長という。
成長とは煎じ詰めれば変化だ。
変化とは、過去の自分からの脱却であり、否定だ。
だから、すこし、痛みが生じる。
安楽な場所に立ったとき、人は痛みを拒否しようとする。

「未知のもの」はもともとそこにあったものではないようにしようとするし、
「異物のもの」は、誤った判断、生き方をしたものとして処理しようとする。
そうしなければ、いまの自分の存在が揺るがされるからだ。

それでいいのだろうか?

もともと、存在などというのは揺らぐことを前提にしたものではなかったのか?

もちろん、今でも揺らぐ人はいる。
だから、揺らぐその人にわたしは言う。

「心配するな。おまえがいくら揺らごうともオレがおまえの傍にいる。」
そっと、背中に手を当てる。
娘の目から涙が落ちる。

人はいつでも自分を変えていけるのだ。

心配しなくていいさ。

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2007年12月22日土曜日

出会いは出会いを呼ぶ


昨夜は高井戸「ちゃんぷる亭」でN沢さんと出会う。
初対面だが、彼はいい顔をしていた。
わたしは人の顔だけはずいぶん見てきた。
だから、たいていの人間は顔を見れば6割程度はわかる。
さらに、少し話を交わせば、十分にイメージできる。
その蓋然性は80%を越える。

ほんとうか?

この場合の蓋然性は、わたしのもったイメージとしてその人物が動き語りだす蓋然性だ。
まあ、そういったごちゃごちゃは別にして、N沢さんからわたしは、ほとんど知らなかった「ロッククライミング」の話をしていただいた。
聞いているうちに、また、もう一度聞いてみたいと思ったものだ。
こういうことは、わたしとしては、珍しいことで、それだけ興味深かったということだ。
その後、ふたりは落語について語ることになる。
が、まあそれはいいだろう。

実は、この日は、「ちゃんぷる亭」の前に、高円寺「稲生座」で沢登秀信氏の歌を聞いていたのだ。
彼との出会いからは、10年以上がたっていたのかもしれない。
彼の姿、あるいは顔には10年の月日が、多少見え隠れしていたかもしれない。
しかし、それよりなにより、沢登秀信が沢登秀信であり続けてきたことが見て取れた。

いいものだ。

その人がその人であり続ける姿を見られることは。

そして彼の歌は深化していた。
いつ聞いても彼の歌は、わたしの心を越えてわたしの深部に響く。

沢登秀信からN沢さんへ、出会いは出会いを呼ぶ。
楽しい夜だった。
こういう夜は、わたしだって飲んではいけない酒も飲むのだ。


以下は蛇足。

沢登氏の「夏草や…」の歌には本歌取りの趣があったが、「夏草やつわものどもが夢の跡」からはるか遠くの場所まで来ていた。
また、ジャン・コクトーの「わたしの耳は貝の殻 海の響きをなつかしむ」を思わせる「耳は汽笛に焦がれている」という一節があったが、これもコクトーの詩句から遠く離れていた。
つまりは、ひとつの作品として美しく屹立していたというわけだ。

まあ、才能とでも言っておけばいいのかな、沢ちゃん。



「本歌取り」

●もっとも初期のころ

 《古今和歌集》巻二の紀貫之の歌

  三輪山をしかも隠すか春霞 人に知られぬ花や咲くらむ
  
  は、万葉集巻一の額田王の歌
  
  三輪山をしかも隠すか雲だにも 心あらなもかくさふべしや

  が本歌になっている。



●近代では以下が有名か(啄木は寺山をまねしているとまで言わせた。寺山自信まねっこの名人だから   さ。)


  ふるさとの訛りなくせし友といてモカ珈琲はかくまでにがし   寺山 修司

  
  ふるさとの訛なつかし

  停車場の人ごみの中に

  そを聴きにゆく     石川 啄木

  

  本歌取りは盗作と地続きなのでそのあたりが少し厄介だが、そのことはみんなで調べることとしよう。

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2007年12月21日金曜日

やさしさ

「やさしさ」についての考察には限りないところがある。
ここでは、本日交わした息子との会話の中に潜む彼の「やさしさ」のことを書き留めるだけのことである。

そのとき、息子がなんと言ったかはあまり大きな問題ではない。
息子は、わたしのある行為に対して
「それは、母さんに悪いではないか」
そう言ったのだ。

優しい顔だった。

わたしはその顔に安心した。
優しい顔のできる人間はそれだけでいい。
彼は、母に対して優しい気持ちを持ち、それをわたしにぶつけた。
いい話だな、と思った。

もちろんそのときしていたわたしの行為には十分意味があり、なんら責められる余地のないものだったのだが、息子にはわたしの行為に対する想像力はなかった。
つまり、一体全体この男は何をしているのだろうか?
その程度のもので、その先にあるわたしへの理解はなかった。

想像力は意外と飛翔能力の脆弱なものだ。

ただ、「やさしさ」を持っていればいつか、彼の想像力ももう少し飛べるかもしれない。
どれだけ限定されていようとも「やさしさ」だけがあれば、救いはある。
あいつはあのとき、やさしい顔をしていた。
いつか彼の想像力がわたしのもとにまで飛んでくることができたならば…
淡い期待を描いたものだ。

ひとは「やさしさ」など簡単になくしてしまう。
そうなれば、終わりだ。
もしかしたら、その人間が死んでしまうことになるのかもしれない。

「やさしさ」には「想像力」が結びつく。
そして、その「想像力」は脆弱ながら「飛翔能力」をもつ。
そこにわずかなその人間への期待が生まれる。

「やさしさ」の方向性などどうでもいいのだ。
「やさしさ」は身のうちにもち続けることに本質はある。
あとは「飛翔能力」の問題となる。

ある程度の飛翔能力をもったそのときに、「やさしさ」は自分にとっての「未知のもの」と「異物」への対応という問題にぶつかることになる。

このこともいつかしっかりと書いてみたいものだ。
わたしには媒体がなさすぎる。

そのときのため、愚痴を言わずに書き溜めていくだけだ。
なあ、遅すぎた脱落者よ。

ラベル:

漢字の画数










とある場所で漢字の画数の話になって、その男が「憂鬱」の「鬱」が漢字で一番画数が多いものだというから、少し気になった。
わたしの頭に「親鸞」の「鸞」が浮かんだからだ。

調べてみると、以下のことがわかった。

漢字検定準1級の漢字全ての中で一番画数が多いのは憂鬱の「鬱」(29画)

JIS漢字全体の中で一番画数が多いのは、
親鸞の「鸞」と、青森県にある驫木(とどろき)駅の「驫」の2字、30画。

漢検1級の出題漢字の中でのトップは、33画の字、「(画像参照)」。読みは「ソ」・訓読みは「あら(い)」。

「(画像参照)枝大葉」という四字熟語もあって、「細かい規則にこだわらず、自由に筆を振るって文章を書くこと」という意味。
三沢「(画像参照)」郎(あらお)という名前が「全日本紳士録」という本にある。


小学館の「新選漢和辞典」では、「(画像参照)」(36画)。音読みは「ノウ」、鼻がつまるという意味。


講談社の「新大字典」では「(画像参照)」、音は「トウ」「ドウ」、龍が行くの意味で48画のが最高。


清の康煕帝が作らせた「康熙字典」には47035字が収められているが、その中で一番の画数は、「(画像参照)」(52画)。
音読みは「ホウ」「ビョウ」、意味は「雷聲」。(大漢和辞典には「いかづちのおと」とある)

さて、諸橋轍次の「大漢和辞典」。
ここには、64画が2つあって、1つは「(画像参照)」です。「テツ」「テチ」の音で、意味は「言葉が多い。多言。」と書いてある。
もう1つは、「(画像参照)」。音読みは「セイ」ですが、意味は残念ながら未詳だということ。

それでは、64画が最高なのかというと、そうではないようです。最近話題になっている漢字がある。それは、「(画像参照)」です。
以下はこれに関する記事。

2002/04/17 23:49:15
4/15(月)の熊日新聞に載っていました。
40年ほど前、とある証券会社に「雲」を「品」のように3つ書き、その下に「龍」を同じく3つ書く字で
「たいと」と読む姓を名乗る人物が訪れ、名刺を残していったことがあるそうです。


雲雲

龍龍

これで1文字、84画で中国にも無かった、最も複雑な漢字になるとのことですが
その正確な読みを含め、存在が未だに確認されていないそうです。

姓に関しては全国悉皆調査が行われたことがないので、総数は定かではないらしく
本当にこういった名前の人がいるかどうか。
可能性はあるのかもしれません。
(記事の一部に、筆者の手入れあり)

というところ。
画像のどの字がどの字に当たるかは少し調べればわかると思います。
不親切といわないでください。
パソコンの細かい作業は勘弁してください。
扱いに習熟していないのです。

で、そんなことどうでもいいジャンとおっしゃる方もおられるかと思いますが、
まあ、どうでもいいわけです。
酒の席の話です。

けれど、どうでもよくないときがある。
また、どうでもいいとしない人間もいる。

裏を取らないと本格的な話になったときは危ないというわけです。
つまり、酒の席以上の話をする必要のある人間にとっては致命傷になるというわけです。
それがいやなら、酒席レベルの話で一生終始すればよろしい。
わたしはそれがいやなのでここに記すわけです。

もっともこれは「鬱」の画数を言った青年に対したものではなく、漢字の画数についてあまりに無知だったわたしに対する自戒です。
何しろわたしも親鸞の「鸞」どまりなのですから。

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ジュセリーノ・ノーブレガ・ダ・ルース


以前にもこのブログで触れたことがあるが、予知夢で有名なブラジルのジュセリーノ氏が日本にやってきた。
昨夜、テレビで彼の姿を見たときに一瞬、驚いた。
どうやら、日テレの仕掛けたものらしい。
その構成はともかく、ひとつの印象的な会話が残った。

「ジュセリーノさんは、自分の夢のなかで当たっていないものについてどう思われますか?」
そんなような質問だった。
ジュセリーノ氏は、たしか以下のように答えた。
「わたしは、わたしの夢が当たっていないことを願っています。」
彼の見るほとんどの夢は、不幸な出来事だ。
もしかしたら、そのすべてがそうなのかもしれない。
そうだとしたら、当たらないほうがいいに決まっているではないか。

よくマスコミに登場する、預言者や占い師に対するような質問を投げかけたそのタレントに代表されるように彼らに対する目は、当たるか当たらないかにフォーカスされる。
預言者・占い師という職業の宿命かもしれない。
しかしほんとうにそうか。
それ以外に何が見える人間のあり方はないのか。
宗教に走っていくだけなのか。
金儲けに走っていくだけなのか。

ジュセリーノ氏を見ながらそのようなことを思った。

この国のマスコミは細木数子という女を大事にする。
視聴率を稼ぐからね。
まあ、彼女の批判はいい。
金儲けしたいだけだし、うまくやったのだから。

今回の来日、ジュセリーノ氏も金がほしかったのか。
そういう見方もある。
人は多様である。
そのような一面があっても何の不思議はない。
わたしもある程度の金はほしく、それを持って、誰も知らない山奥の湯治場で長逗留でもしたいものだ。

印象だけで書けば、ジュセリーノは本物だった。
いい人を見た。
中村哲、徳永進の名を上げれば、ほめすぎになるかもしれないが。

ここ二回ほどわたしの拙い詩を書いてしまった。
お口直しに中島らも氏の楽曲の詩を載せることにする。


「いいんだぜ」  作詞・作曲 中島らも

♪♪~  いいんだぜ
     いいんだぜ
     いいんだぜ
     いいんだぜ
     君がドメクラでも
     ドチンバでも
     小児マヒでも
     どんなカタワでも

     いいんだぜ

     君が鬱病で
     分裂で
     脅迫観念症で
     どんなキチガイでも
     いいんだぜ

     君がクラミジアで
     ヘルペスで
     梅毒で
     エイズでも
     おれはやってやるぜ
     なでであげる
     なめてあげる
     ブチ込んでやるぜ
     君がいいヤツで
     だからダメなヤツで
     自分が何をしたいのか
     全然わからなくても

     いいんだぜ

     君が黒んぼでも
     北朝鮮でも
     イラク人でも
     宇宙人でも
     いいんだぜ
     おれはいいんだぜ
     HEY, BROTHER & SISTER
     君はどうだい

     いいんだぜ ~♪♪

ラベル:

2007年12月20日木曜日

さらに昔の作品を

以前にも書いたが、昔の自分というのは不思議な存在で、半分以上他人で、少し自分であるような、なんにしろ落ち着いて眺めてみれば奇妙な存在である。

さらに引き続き昔の自分が書いたものを載せてみる。
だれにも知られないのは哀れだからね。



「ずっと以前に別れた兄貴のように」


「酒はやめたほうがいい」
とずっと以前に別れた兄貴のように
あんたが諭した
ほこりをかぶった弟の声で
ぼくは
「やめるよ」
とうなづいた

次の日
ぼくは一本さげてあんたを訪れる

ふだんのように
あんたはぼくを迎える
ふだんのようにコップをふたつ
テーブルの上に

「こいつはうまいね いい酒だ」
「そうだろう 神亀中汲み だぜ」

二人とも
昨日のことを
忘れてしまったように
呑む

酔う 酔う 酔う

でも忘れちゃいなかった
ぼくたちのあのやり取りは嘘っぱちじゃなかった

酔いつぶれそうになったあんたが云う

「攻めの酒だね」

ぼくは
ずっと以前に別れた兄貴に
答えるように云う

「そうさ
 守りの酒は棄てたからね」

いつもどおりの飲んだくれを
あんたの女房が
笑って見ている

「昨日の今日なのにね」

何もわからぬ
あんたの一番下の女の子に
話しかけている

「わかるもんか おまえらに」

亭主 怒る

「わかるもんか おまえらに」

客も 怒る

呵呵三笑

夜は更けていく

ラベル:

2007年12月19日水曜日

昔の自分と出会う

30年以上も前に書いた詩がいくつか出てきました。
ほかに発表する手立てもないので、手を変え品を変え、ポツポツ出していきたく思います。
現代詩とは程遠いもので、詩と呼んでいいのすら危ないものがほとんどですが、まあ、そのあたりはお許しください。




「痛み」よ

ぼくはひとりだから
ひとにぼくを語ってはならない
ひとに語るのは
ニセモノのぼくでなくてはならない
うしろから肩をたたかれたとしても
気軽に振り向いてはならない

ぼくが振り向くのは
骨が砕けるように
激しく肩をたたくものに出会うときだ
そのときはじめて
ゆっくりと振り向くのだ

ぼくはニヤリと笑う
並木がカサカサ鳴る

気づいてみれば
ぼくは
寒風が地の底から吹きあげる
この世のすべてを受け入れぬように
きっちりと舗装された歩道の上にたたずんでいる

ぼくの前には
ぼくの視線を拒否する
はるかなる空間が広がっている

そしてあたりは妙に薄暗いのだ

ぼくはしっかりと自分の両肩を抱きしめる

ひとりのぼくに確かなものは
そこにはいないものの残した「痛み」だ

ぼくは「痛み」に
ゆっくりと話しかけてみる

「痛み」よ
ぼくはひとりだが
おまえは
ぼくのなかにはいってくるのだよ

ラベル:

2007年12月18日火曜日

雨宮処凛



雨宮処凛と書いて「あまみやかりん」と読む。
「生きさせろ!」とか「オールニートジャパン」などの本で知られる作家だ。
その生きてきた道がなかなか大変だったので、そして、この人自身も魅力的だったのだろう、最近一部で話題の人だ。

この人は、多くのこの社会の矛盾に押しやられた人人々のネットワーク、そこから撃ち返そうという人々、また分析者などを、よくその本で紹介している。
たとえば「NPO法人自立生活サポートセンター・もやい」とか
「高円寺ニート組合」とか
「フリーター全般労働組合」とか
[posse」とか…

だから、この国に、まったく何もないわけではないのだ。
何かは起こっている。
しかし、それはどのように形になっていくのだろうか。
どのようにしていけばいいのか。
彼らは考え始めている。
しかし敵は強大だ。

なんにしろ、何かが起こったそのとき、あるいは起きる直前のそのときには、わたしも部外者のままでとどまるわけにはいかない。

雨宮処凛、彼女は1975年生まれだ。

ラベル:

狂いの説法


昨日「虎ノ門病院」の行き帰りに読みあげたのが、冒頭の「狂いの説法」だが、まんざらわたしの書くこともでたらめではなかったと勇気づけられた。
「ぶんか社」というあまり知られぬ出版社(わたしの寡聞のせいか?)のものだが、一読に値する。
この場合の一読は、立ち読みか、図書館ででも借りられたらというものですが、とにかく、いくつかの核心を突いていたりする。
広がりのある文章で、わたしたちが、調べて知っておいたほうがいいことをいくつか教えてくれる。
それがここに紹介する所以だ。

そのとき同時に手にとっていたのが、馬場あき子氏の「鬼の研究」だが、これはまがうかたなき名著。
1971年に刊行され評判を呼び、そのときも読んだが、昨日、わたしが手にしたのはそのちくま文庫版だ。
これは、買い求めて手元に置けばいい。

ふたつの本の比較はあまり意味はない。
比較考量は志向の際、欠くべからざる技術であるが、してはならないときはある。
それぞれがそれぞれのあり方でそこに存在しているのであれば、それでいいからだ。

というわけで、今回はこんなふたつの本を昨日は読んで、教えられたという話。

ラベル:

相変わらず人ごみの中では…


昨日は、久しぶりに都心のほうへ向かったのだが、相変わらず、わたしは人ごみの中ではおののいてしまう。
ましてやクリスマスの雰囲気があちこちに満ちている。

まいった、まいった、と思いながら、暗い気持ちで、地下鉄に乗り込むと、わけのわからぬ会社の話、「あいつがマンションを買ったが、このタイミングで何を考えているのやら」とか「昨日の会議でよう…」とか「だから、あいつはわかっていないんだ」とかさ。

このコミコミの電車の中でさらに追い討ちをかける会話をようやく潜り抜け、目指す虎ノ門病院の最寄駅で降りてほっとひと息をつくのだが、もちろんここにも大都会東京はある。

とにもかくにも、暗い気持ちで診察を待っていたわたしは、ようやくのことで虎ノ門病院腎センターの香取先生の前へ座る。
この日は先日受けた腎臓の精密検査を聞くために来たのだが、まあそんな暗い話はいい。

ハリウッド映画にお得意の陳腐なセリフ、
「いい話と悪い話のふたつある。どっちからする?」というやつがある。

わたしの場合はこうなる。
「悪い話ともっと悪い話がある。どっちからする?」

わたしは答える。
「先生、帰っていいですか?」

香取先生、ゆったりと微笑んで、
「それは無理です。」

というわけで、ここでは悪い話だけしておくことにしよう。

わたしは、高度の脂肪肝だそうだ。
ご存知の方はご存知だろうが、アルコール性肝障害は、その障害の進行程度によって三つの段階と相成る。

アルコール性脂肪肝、アルコール性肝炎、アルコール性肝硬変。

肝硬変まで行ったら、付加逆性をともない、はいそれまでよということになる。
昔、植木等が言っていたでしょ、「はい、それま~で~よ」って。
遅かれ早かれ死ぬ。

さらに蛇足ながら、
アルコール性脂肪肝は、肝細胞内に中性脂肪がたまって肝臓が肥大した状態で、大量のアルコールを長年とり続けることで、肝臓の脂肪代謝機能が低下することによって起こる。
アルコール性肝障害の初期段階ではあるが、一般には、日本酒にして毎日3合以上を5年以上飲み続ける、それくらいやると起こることになっているから、根性は入っている疾患だ。

もちろん、これはあくまで平均的な数値で、飲み方や総量によって個人差がある。
酒量が多ければ、5年以下でも発症するし、飲酒に伴ってつまみを食べ過ぎると、同時にエネルギーの過剰摂取になり、脂肪肝の発症に拍車をかけることになる。(これは、きみ、K口さんのことね)
しかも、アルコール性脂肪肝は、だるい、疲れやすいという以外には、特に目立った症状は現れない。

わたしは何はともあれ、大量の酒を飲んできた。
したがって、天罰なのだが、幸せなことに直すことができる。
通常は、以下の三つの対策を立てる。

1 飲酒をしない
2 食いすぎない(ダイエット)
3 運動する

つまり、これ以上、脂肪肝を進ませる要因を省き、新陳代謝を向上させるべく動き回れというわけだ。

まあ、これならわたしにもできるだろう。

酒はこれからも飲むだろうが、年に数度のイベントとしよう。
それに酒を飲まないために、心療内科の田中先生から受け取った「ソラナックス(抗不安剤)」がある。

家では飲まない。外でも飲まない。ただ、それがある特殊な避けられない、自分の身体を悪くしてでさえ、飲んだほうがいいとわたしが判断するイベントのような場合は、誰かと呑む。

そのとき飲む相手は、わたしが命を削って相手をしていることを自覚していてほしい。(末筆ながら)

さて、その帰り、わたしは、ルミナリエのように装飾されたイルミネーションのなか、「新宿ミロード」に向かった。
その6Fのめがね屋に用があったので、行ったのだが、そこの店長と思しき若者の笑顔はすがすがしかった。修理を頼むわたしへの対応もみごとだった。

いやな人ごみの中へ、ただ悪い話を聞きにいっただけのわたしだが、こういううれしい話もひとつだではあるが、あったのだ。

わたしは、これを幸せと呼ぶ。

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2007年12月16日日曜日

ふたたび「弱きもの」

このところのわたしのブログは、かなり過激になっているように見えるかもしれないが、そうでもないのだろうなと思えるようになってきた。

この世には、その社会の価値観から疎外され、とてもつらい立場を強いられる人たちがいる。

わたしのブログがそういう人たちのほんのわずかでも力になってくれればいいなと思う。
まさにその小さな力のために、わたしはこのようにこのブログを書き綴っているのかもしれない。

わたしの古い友人がこの20日から再びの休職に入る。
心配は心配でも、まあいいじゃないかとわたしは彼に言い続ける。

決して、無理をしないでほしい。
つまりは努力をしないでほしい。
そして、できれば生きられるところまで、わたしと一緒に生きていければいいのだ。

わたしだとて、すぐれて「弱きもの」だ。
妻になじられ、子どもになじられ…
わずかな収入によって、カツカツに生きている。

人には生きていく権利がある。
同時に死んでしまう権利も。

今の今も我々の周りにシステムが作用している。
ゆめゆめ自分の非力を自分のせいだと思いなさるな。

ともに生きていこう。
受け入れられる範囲で。

システムに乗って生きている人々は、一刻も早くその事実、システムに乗っている事実に気づいてほしい。
無理だろうな。
毒されているわけだからな。

ただシステムに乗れたからといって、むやみに人を批判しないでほしい。
あなたはシステムに乗ることでとうの昔に自分自身を見限ったかもしれないのだ。
すでに自分自身を殺し、いまはあなた自身などどこにもいないかもしれないのだ。

では、今生きているあなたは誰だ。
はて、誰なんでしょうね、それはあなたの問題だ。

とにかく、
「弱きもの」と烙印を押された人々よ。
ともに、生きていこうではないか。

ごくごくたまに、われわれにも愉快なひとときは訪れる。

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「コミュニケーション・ツール」と「カンバセーション・ピース」

今回のタイトルは少しややこしく、実のところわたしには十分にわかっていないところがあるので、ある程度あいまいに書いてしまう。
「ミドルマン」が、この社会でわたしに望まれる役割だと考えているために、自分の無知な部分に乱暴に切り込んではいけないのだ。

「カンバセーション・ピース」の説明のほうが、少したやすいかな。

もともとは、欧米でファミリーを描いた肖像画や写真を指す言葉だったらしいのだが、
転じて、そこにあることだけで人と人との「会話をはずませる小物」を指すようになったというものです。
(もちろん、小物じゃなくて、話の種でもいいのですがね)

たとえば、ちょっと変わった万年筆やネクタイやスカーフ…。
ポイントは、ちょっと変わったというところで、だからこそ話の種になる小物になるんだね。

ところで、「コミュニケーション・ツール」は、そのままコミュニケーションを成立させる道具であるわけだから、あるときは「ことば」を指すこともあれば、「ブログ」や「メール」を指すこともある。
あるいは、サッカーの試合後の「Tシャツの交換」を指すこともある。

実際のところわたしもよくわからない。
どなたかにレクチャーしていただけると助かるのです。

ただ、この、「コミュニケーション・ツール」ということばは「映画を見る」「テレビを見る」「新曲を聴く」「芝居を見る」なんてときにも使われる。
それは、そのものを見たくはなく、聞きたくはなく、食べたくはなくとも、その経験を持つことによって、仲間とのコミュニケーションが成立するための道具として必要なのだ、というような文脈に使われる。

つまり、先日以来二三度書いている「ミシュラン初版十五万部即完売」はコミュニケーション・ツール獲得のための行動であったわけだ。
それを知ることで、初めて仲間との会話が成立するのだからね。

おそれく会話の種という意味の、「カンバセーション・ピース」といってもいいような気がするのだけど、このあたりは注意深く使い分けたほうがよさそうだ。

このごろ、「KY」なんてことをよく耳にするが、あんなものどうでもいいことだからね。
その場の「空気」が重要なのではなく、重要なときもあるってことで、その場の「空気」なんてたいていどうでもいいようなものだからさ。

だからさ、あなたがある「コミュニケーション・ツール」をもっていなくて、「KY」なんて言われてもそんなことはどうでもいいのです。

あなたは自分の読みたい本を読み、行きたい場所に行き、食べたいものを食べ、見たい映画を見ていればいいのです。
これを「消費者主権」と呼びます。

まあ、この世界にはいろいろと罠が潜んでいるわけです。

「KY」なんてことばもあれは罠だからね。
大きな罠か小さな罠かは知らないけれどさ。

ラベル:

2007年12月15日土曜日

再び、消費者主権

消費者主権とは、消費者が自分の意志で勝手に買うものを決めてしまえということである。
当たり前のように聞こえるが、これがなかなかに難しい。

「AIDOMA」とは広告業界でよく知られた専門用語だ。
Attention(注意)→ Interest(関心)→ Desire(欲求)→ Memory(記憶)→ Action(行動)の頭文字を取ったもので、アメリカのローランド・ホールが提唱した「消費行動」のプロセスに関する仮説である。
消費者があるモノを知り、それから買うという行動に至るまでのプロセスで、コミュニケーションに対する反応プロセスといったことだ。
この一事を取ってもわかるようにわれわれは、かように操作され生きている。
自分の意志で生きることは本当にたいへんなのだ。

そのためのひとつのあり様を鶴見俊輔は以下のように書いている。(著作集第三巻より)

「偏見はつねにより自由かつより合理的な立場から批判されることを必要とする。しかし、だからといって、偏見なしの状態を理想として、偏見をもつことを恐れているのでは、責任をもって行動することからなるべくにげるという結果になってしまう。人間は、ある目標をもってがんばって早く前にすすもうとするとき、ちょうどヨットが進むときのように、かしいで進むものである。こういうさいの航行の推進力となる思想は、偏見の形をまぬかれ得ない。」

美しい文章です。
それは長く遠い、思考の末にたどり着いた文章だからです。
人は、このようにものを考えていければいいなと思う。

鶴見氏の文章を引用したのはほかでもない、「偏見」ということを話したかったからです。
さきほどの「AIDOMA」に代表されるようにこの国の商業主義は常にわれわれに偏見を刷り込もうとしている。
それが「ミシュラン」初版15万部の即完売である。
すでに十分にそれは達成されている。
それでも彼らはもっともっとと思っているのだろうが…

それを反撃するには、われわれには消費者主権しか残っていない。
そして、消費者主権のもっとも肝心なところに「偏見」がある。
私たちはそれぞれが、それぞれの偏見を持てばいいのだ。
そして、その自分の手にした偏見を意識していればいい。
(知らずに刷り込まれ、知らずにもってしまった偏見の恐ろしさは計り知れない。)

自分の手の内に偏見をもち、高らかに掲げればいい。
たとえば、賞味期限など知らない、私の嗅覚や視覚や味覚が決めるのだ、とかね。

だれかさんに、知らぬうちに踊らされているっていうのはあまりかっこよくないからさ。

ラベル:

2007年12月14日金曜日

クリスマスにまつわる消費者主権

いま、直前に書いたわたしのブログを読んでいたのだが、なかなかに激しい。
まあ、あのくらいでいいのだと思う。

それくらい、この国で刷り込まれた連中の勢いは強いということだ。
われわれの専門用語では彼らのことを「つおい」という。

ところで、数年前、新宿のションベン横町のとある店で、この時期に呑んでいたことがある。
そのとき入ってきたその親父は、入るなり、こうのたまわった。

「クリスマス? ろくなもんじゃねえな。」

そして、おそらくそうとう酔っていたその親父は、その後に、いま自分が食べる分と、家族の分、おそらくその存在があればなのだが(ときとして、人は嘘をつく)、二つの西京焼きを頼んだ。
そして、ひとつを食べずに、ひとつを持たずに帰っていった。
つまり、両方とも残して。

そのときにまたもう一度小さく呟いた。

「クリスマス? ろくなもんじゃねえな。」

わたしは、この親父の気持ちが少しだけわかる。

「消費者主権」ということばがある。
ミシュランなんぞじゃねえよ。

イチローという大リーグに行った選手がいる。行った先は、マリナーズとか言ったな。
彼が、オリックスというチームにいたとき、春のキャンプに行くタイミングだったか、こういうようなことを話した。

「ホテルがあって、その近くに、コンビニが一軒あれば十分ですよ」

細かいところの齟齬は問題にしないでほしい。
これが、消費者主権のひとつのあり方です。

何故に我々は高いものを買い続けるのか?
そのようなものが本当に必要なのか?

「消費者主権」

これはそれらの疑問に対する、ひとつの答えです。
ミシュラン、初版15万部。
即売り切れ。

キミたちに心はあるのだろうか?

刷り込まれた人々よ。

ラベル:

宣言

わたしは、このブログを単なるわたしの日常の記録として書いているのではありません。

この国に、密やかにはびこっている、あるシステムの脅威をポイントに書いています。
もちろん、それだけではないけどね。

だから、そのシステムに乗って、成功した人がそのシステムに乗れなかった人をあざけるのを忌む。
ここは重要です。
わたしが忌むのは「システムに乗る」ことではなく「システムに乗ったという自覚をしないあなた」です。
たとえば、こういうことばをあげておこうか。
わたしの愛する鶴見俊輔のことばだ。

「生きていくということは、論理の上では何の意味づけをも必要としない。
 しかし、実際には、人はそれぞれの仕方で、自分の生きてゆくことについての納得をもっている。
 その納得の仕方を、思想ということにする。」

著作集の第七巻にある。
ここに、わたしの思考のはじめがある。

しかし、「その納得の仕方に」何ものかが、入り込んでいたらどうするのだ。
いやではないか。
入り込んでいるのはいい、入り込んでしまったおまえがいやではないのか。

この国の価値観を刷り込まれた人間は。

ここに宣言しておく。

オレはこの国のシステムと微力ながら戦う。

ラベル:

2007年12月13日木曜日

竜王四連覇



このブログには、今日もまた、いろいろ書きたいこともあるのだが、まずもって、本日19時28分、竜王戦第六局で渡辺明が勝ち、史上初の竜王四連覇を成し遂げたことを記さねばなるまい。
わたしにとって、とてもうれしい出来事だからです。

わたしは、なぜか渡辺明という青年がが好きだ。
その理由ははっきりとはわからないが、おそらく彼のブログを読んでいるせいだろうと思っている。

そんなことだけで人は人を好きになるのですか?

そんな疑問をお持ちならわたしはこのことをもう少しだけ語っておきます。

人はそんな小さなことで人を好きになるのです。
人は何かの理由で人を好きになるのではないのです。
好きになることにおいて必要なのは、ほんのわずかな「きっかけ」だけです。

もし、あなたがそうではないというのなら、それはあなたがこの国の価値観をすでに十二分に刷り込まれているからなのです。
さすれば、その価値観の上で、優れた人を好きになることもあるでしょう。
しかし、人はもともとシンプルであほうで美しいものだったのですよ。

さて、話を竜王戦に戻します。
竜王四連覇は快挙ですが、じつはそれほどの快挙でもないのかもしれません。
もちろん以下に書くことは、我が渡辺明を少しも傷つけることではありません。
以下のようなことがあろうがあるまいが、彼は今後も美しく勝ち続けていくのだろうと思っています。
もしかすれば、それを才能と呼ぶのかもしれません。
狂おしいまでの努力をした先にある。

竜王戦は、読売新聞社主催の将棋の棋戦で、七冠(竜王・名人・棋聖・王位・王座・棋王・王将)の中でも最高峰のタイトル戦である。
ウィキペディアには、こう書かれているが、これは嘘である。
最高峰のタイトルはやはり「名人」であろう。

では、なぜに竜王戦が最高峰と呼ばれるのか。

そこには、新聞社の面子の問題がある。
この面子に関しての有名な話に名人戦の争奪戦があるが、その話をここでしてもつまらないだろうからやめておきますが、少しだけ。

この争いは、毎日新聞と朝日新聞の間で行われたし、最近もぶり返しました。
ちらりと書けば、その昔、わたしの嫌いなそしてもっとも強かった棋士、大山康晴がいた。
彼が、毎日派で、わたしの好きな升田幸三が朝日派だった。
まあ、そんなようなところも抱え込んだ新聞社同士の争いでした。

だから、その争いにも参加できなかった読売は面白くなかったのでしょう。
あのころはすでに読売新聞はナベツネ政権下にありました。

さて、そこでどうしたのか?

以下、ウィキペディアに拠ります。(ところどころにわたしの文章に関してのの直しが入っています。)

読売新聞社が主催していた十段戦が発展的に解消されて、1988年に「竜王戦」が発足した。
駒の竜王から命名されたものである。
こ棋戦は、2005年に制度の見直しが行われ、第18期(2005年)以前と第19期(2006年)以後で異なる部分があり注意が必要である。
将棋のタイトル戦の中で最も高い賞金(勝者3200万円・敗者800万円)を誇り、対局料もズバ抜けて高い(竜王1450万円・挑戦者700万円)。

というわけで、賞金によってこの竜王位は最高峰とされることが多い。
ナベツネらしい。
しかし、このブログを読んでくださるわたしの愛する数少ない読者の方ならわかってくれるでしょうが、賞金で一番とはなんとも情けない話ではないですか。

この国のシステムにはぴったりあっているのですがね。

ということがあるので、竜王戦には歴史の浅さから連覇者が出なかったのです。

小理屈を言いましたが、
とにかく今日はめでたい。

渡辺竜王、万歳。

ラベル:

2007年12月12日水曜日

弱きもの


最近のわたしのブログに自暴自棄であるとか荒れている様子が垣間見られるといって心配してくれる人がいるが、ありがたいことである。
しかし、事はそう簡単ではない。

最近家人が、「精神の荒廃がその部屋の様子に現われる」とわたしに言ったが、この指摘は正しい。
まさにそういうことだろう。

そのあとに続けられた家人のことばは、「だから部屋をきれいにしなさい」だったが、これはまぬけなことばだ。
問題は精神の荒廃であって、部屋の乱れではないからだ。

「自己責任」などというくだらぬことばがこの国で跋扈しているが、あれもどうかと思う。

弱きものあるいは脱落者、あるいは敗北者、そうまで言ってもいいだろうか。
たとえば、ホームレスといわれる一群の人々がいる。
わたしも同じようなものだ。
彼らは敗北者なのか。

弱きものは、その人間が弱いためにそうなるのではない。
弱きものをその社会が生み出していくことにことの本質はある。
昔、カール・マルクスという人が教えてくれた。
それは資本主義の分析ということを通じて行われた。
彼の著作に間違いが存在するのはいまやよく知られたことではあるが、いい本というのはそのなかに間違いがあってもいい本だといえる。
逆にいかに正しいことだけを書いていようとつまらぬ本はあくまでもつまらない。
あたりまえのことだけどさ。

さて、元に戻ろう。
わたしが自暴自棄や荒れていることが事実だとすればこの国のシステムにわが身が合っていないからだ。
だからといって、その「自暴自棄」や「荒れている状態」捨ておいていいものではない。
ただし、この国のシステムがわたしを作り出したことから目をそらしてはならないと思っている。
もちろんわたしにもいくばくかの責任があるのだろうが、それはわずかなものだ。
弱きものはその程度に考えておいたほうがいい。
なにせ弱きものなのだから。

少し前に書いたことを繰り返すが、わたしはこの日本に暮らす中で「うつ」になっていった人間を擁護する。

あなたは弱きものだが、それはあなたのせいではない。
この国があなたにそれを強いたのだ。
もう少し詳しく書けば、この国のシステムに合うがごとくこの国の企業ができ、それを支えるように個々の家庭が存在している。(もちろん例外はあるさ)
あなたはその中に入るのが耐え切れなかったのだ。

弱きものに対するこの国のシステムに乗った人たちからの批判は厳しい。
彼らの多くは、自分がこの国の価値観をプリンティングされていることを知らない。
まあ犠牲者といえば犠牲者と言えるが、それにしてはあまりにも彼らはあこぎだ。

それはチャウシェスクの時代のルーマニアにおける「ドラキュラの息子たち」を思い出せばわかってもらえるだろうか。
あるいはミャンマー(本当はビルマなんだけどね)におけるアウン・サンスーチーに対するあの扱いを思えばいいのだろうか。

人々は、その国家に合わせて生きていく。
そこから外れたものは弱きものとなる。
そして戦いが始まる。

ではこの国では、なぜ何の暴動も起こらないのか。
ミャンマーのように。
パリのように。
タイの僧侶たちのように。

この問題は大きい。
わたしの力には余る。
ただ、我が敬愛する師は、1905年、つまりは日露戦争の勝利以降にこの国のシステムは構築されてきたと看破する。
誰たちによってか。
そして、具体的にはどのようなシステムか。
繰り返すが、これ以上を語る力をわたしはもたない。

いまは、人ではなくそのシステム自体がこの国を動かしている。
100年以上を越えてこの国を作り出してきたシステムの中、この国の弱きものに暴動を起こす力はなくなってしまった。
そうわたしは理解している。
もしどこかのボタンを押すことによってこの国に暴動が起こるなら、わたしが喜んでそのボタンを押したくも思うが、その可能性はきわめて薄い。

少しでもこの国がよくなることを願ってやまない。

ラベル:

2007年12月11日火曜日

空のオルゴール


何かの番組で中島らもが自分の作品のなかで「空のオルゴール」が一番好きだ、というようなことを言っていたことがある。(写真は文庫本だが、単行本の装丁はなかなかにかっこいい。)

そのときはらもさんはそう思ったのだろう。
わたしは、中島らもさんにはもっと素敵な作品があるからそういう感想を持つ。
「今夜、すべてのバ-で」とかさ。

それでも読んでみるべえかと思ったのは、この本が奥さんの口述筆記によるものであることを知ったからだ。
読み出して、どうやらすでにわたしがこの本を読んでいることに気づいた。
いや、嘘かもしれない。
ところどころに前に同じものを読んだ記憶が、あるのだが、わたしもすでにぼけ始めているからなあ。

さて、そんなことはいいとして「空のオルゴール」もまた、よく下調べがなされている。
あのころのらもは眼が見えなかったはずだが、どのように調べたのか、細部に下調べの充実が読める。
ラストに書かれた参考文献の一覧を見ると立ちくらみがする。

こういうところに中島らもの生真面目さがよくわかる。
うつ病やアルコール依存症を抱え、あれだけ酒を飲み、薬を飲み、どんちゃん騒ぎをしていたあの中島らもの本質は生真面目さだ。
まあ、多くの場合うつ病は生真面目な人間がなる。

そしてこの時代、実は鬱の時代に入ってきている。
池田隼人や田中角栄を思い出せばいい。
あのころは躁の時代だった。

このところ鬱の話をよく耳にする。
当たり前のことだ。
時代そのものが鬱なのだから。
しかもとられる政策も鬱に追い込むような政策ばかりだ。
しかし、いくら鬱の時代とはいえ、それを仕方ないとは言えないだろう。

政治家たる物、まずこの時代が鬱であることを認識し、そして考えていかなくては。
時代認識もないまま浮かれて賄賂に溺れていてはいかんわな。

だから、もしあなたがうつであろうとうつ病であろうとそれほど心配することはない。
それはあなたの感受性が、この時代に対してきちんと働いているだけのことだ。
問題は、それにどう対処するかだが、これが少し難しい。

まあ、アル中になろうが薬中になろうが、たいしたことではないとは言えるだろうな。
困るのはすごく困るけどさ。

ラベル:

2007年12月10日月曜日

たった一人の女さえ

たった一人の女さえ、愛することもできず、幸せにすることもできないわたしが云うようなことではないが、わたしの幸せは、孫先生という指圧師に出会ったことだ。
彼のことは前も書いたが、さらに筆を費やす。

彼を愛しているからだ。

吉林省から来た彼は、新宿区役所通り、風林会館の傍で「気楽堂」という店にいる。
ここからは、以前のブログと多く重なる。
書いておきたいわたしのわがままから書いているに過ぎない。

が、人を愛するということは、そのように同じことを重ねることで成り立っていることがある。

新宿では名の通った、「山口組」と唯一対抗できる組織の若親分が、生来の凝り性だったもので、手下を使って、新宿でいちばんの指圧師を探させた。
そのとき、最終的に白羽の矢が当たったのが、孫先生だ。
だから、彼らの組織力を考えるとき、新宿で一番は、孫先生なのだ。

重度の肩と首の凝りを持っているわたしは、最低でも月に一度は、彼のもとを訪れる。
そして、彼の施療のあと、いつも眠ってしまうのだ。
今日もそうだった。
不眠症のわたしが、みごとにすやすやと眠ってしまうのだ。

これを、我々の専門用語で「至福の時間」という。
「雌伏」じゃないよ。

こんな幸せがあれば、わたしはいつまでも生きていけると思う。

まったく違う方向から撃てば、うまいものを喰うなどということは、どうでもいいことだ。
もちろん、何人かの見るべき職人はいるのだが、うまいものなどは、どうでもいいことだと、過激に言ってしまいたい。

可愛い女が作る「肉じゃが」でいいではないか。
もちろん、こういったことは、たった一人の女さえ、愛することもできず、幸せにすることもできないわたしが云うようなことではないが…。

あんまり、ミシュラン騒ぎが大きいものだから、わたしの幸せをここに記してみました。

みなさん、振り回されてはいけないよ。
お互いにさ。

ラベル:

2007年12月9日日曜日

浴びるように

わたしは生来の酒飲みだから、浴びるように酒を飲むということが、どういうことかよく知っている。
今月の17日にわたしの腎臓検査の結果が出る。
それを怖いとは思わないが、このところの酒量の多さを考えるとき、ある恐怖感が自分の中にあるのではないかと思う。

つまらんもんなんだよ、人というものは、などという感慨が湧く。

わたしに託けて、一般化はいけないな。
これはわたしに限った話だ。
くれぐれも。

中島らもの本をこのところ、よく紐解くが、かれが、長年飲んできた薬のせいで、眼が見えなくなる時期がある。
そのときは、奥さんが、彼の口述筆記をする。
「空のオルゴール」あたりがそのときの代表的な作品だ。

残念なことに、そういう作品を読むと口述筆記の限界が見えてくる。
何かを書くというのは、資料として何かを読むということと表裏一体で、眼が見えないというのは大きなマイナス要因にもなるのだ。
なかにはそれを乗り越えて、というよりは、眼が見えないということを武器にして何ものかを作りうることをする人がいるが、クスリで、目が見えなくなった「らも」ごときにそのようなことが出切ることではない。

言っておくが、らもはなかなかの作家だ。
それにしてもがそうだ。

多くの資料を使い、自分の足を使い、今なら、インターネットを使い、そうやって書いていく。
文章にも、ある種の鍛えが必要なのです。

いいものを読みたいですね、お互い。
それはいい映画を見たいように。
いいマンガを読みたいように。

とにかく、ここしばらくは、わたしは酒びたりです。
マッチをつければ、身体が、燃えてしまうように。
それでも生きているのは、
「ばか」といって、わたしをなぐる女がいるからです。

のろけと後悔の入り混じったわずかな感想をここに書きおきます。

ラベル:

ああした、こうした

たしかに生きている以上、わたしはああもしたし、こうもしたのだろう。
それが、何だというのだろうか。
そのような不完全態としてわたしは生きている。
それが批判されるべき対象なのだろうか。

国家の価値観に従い、企業の価値観があり、企業に勤める人々の作る家庭もそれに従う。
ある意味、それが美しいということをわたしは知っているが、
その美しさが、最も醜いものを生み出していくことも知っている。

昔、家の前で七輪でサンマを焼いたものだが、その煙をとやかく言う人はいなかった。
昔、隣にコメや醤油や砂糖を借りに行ったが、そういうことは日常であった。

ある人にいわれた。
これまでの不義を家人に謝れと。

わたしが何をしたというのだ。
たしかに誤ろうと思えば、いくつもの出来事は浮かぶ。
しかし、そんな不義を誤って成り立つ関係性などろくなものではない。

わたしは、正真正銘のろくでなしだ。
そのろくでなしのなかに愛すべきものを見る人だけに愛してもらえばいいのだ。

誤ってまで、愛してもらいたくはない。

愛はあくまでもその人の心に託されており、誤ることにおいて勝ち取るものではない。

胸をはって生きていればいい。
たとえ野垂れ死にをしても頭を下げて愛を請うなどということしてはいけない。

個人的には、来年の初頭の手術のために保証人が、わたしには必要だ。
その保証人に家人はならないというかもしれない。
前回がそうだった。
それはそれでいい。
家人の意志ならそれでいいのだ。

ただ、わたしに愛を感じない女にはどこかわたしのいないところに行ってくれというのがわたしの切なる願いだ。

今回は、彼女の返事はいかに。
意外に優しいかもしれない。

まあ、どうでもいいことだ。

私は、むやみには頭を下げないし、詫びない。
それを誇りという。

どのような人生を送ってきているとしても胸ははり続ける。
それもできないようだったら、そんな人生は、棄ててしまえばいいのだ。

今回は、きつい口調になった。

あらためて、詫びておきます。

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2007年12月8日土曜日

昨日の訂正


昨日ちらりと引用した沢登さんの歌詞は、ほんとうは以下のようであった。

「 「同じように見えて・・少しずつ違う・・君の事を僕は知っているのやら・・」

名曲といっていいのではないのだろうか。
是非あなたにも聞いてほしい。

詳しい情報は少しあとにお知らせすることにさせてください。

後とはこの後のこと。
「強引にMy Way」に入っていた曲の様に思います。
くわしいことは、「http://www.sawanobori.com/」を見てくださいね。

本日、家人と久しぶりに話しをした。
やはり、素敵な女だった。
素敵な女が、たまらないほど苦労をしている。
オレは、何をしているのだろう。

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2007年12月7日金曜日

ちゃんぷる亭あるいは「連続性」について

私が世話になっている高井戸「ちゃんぷる亭」は、横笛太郎という作家の始めたものだ。
そのせいで、時おり彼のことが話題になる。
多くは、彼の饒舌と話し上手が語られる。

ところで、先日その店のオープン当時から横笛氏の友人だったO氏と話す機会を持った。
ある理由があって、「ちゃんぷる亭」を出たわれわれ二人はその後、永福町の夜を散策する幸運に出会ったのだった。
そのときの彼が語った横笛評は興味深かった。
彼は「横笛さんは口数の少ない穏やかな人だった」そう言ったのだ。
わたしは、なるほどと思った。

わたしにはかねがね考えている人に対する考察がある。
それは人間における「空間的連続性」と「時間的連続性」だ。
このことばは辞書や辞典を引いてみても出てはこない。
わたしの用語だ。

「空間的連続性」
人は、ある女性に対するときとある男性に対するときとではその態度、印象が変わる。
なに、性のことを言っているのではない。
同性であろうが、誰かと接するときと誰かと接するときでは人は変わる。
当たり前の話だ。

では、そのとき、その人物の「連続性」、つまり、その人がその人であり続けている保証はどこにあるのだろうか。

饒舌な横笛太郎と寡黙な横笛太郎。
たしかに同じ人物なのだろうが、その「同じ」はどこにポイントを置いて語ることばなのだろうか。
同じ空間にいながら、そのときそのときに変わるその人の「連続性」とはどういったものなのか。
その「連続性」、つまり、同じ人間だと信じるわたしたちの根拠はどこにあるのだろうか。
この問題は、意外に奥が深い。

「時間的連続性」
こちらの説明はわかりやすいだろう。
「男子三日会わざれば刮目して見よ」
この慣用句はその成長に焦点を合わせたものだ。
しかしながら、刮目してみたとしてだ。
一年ぶりに見るその男なり女なりが成長していたとしてだ。
その人物が、一年前のその人物と同じである保証はどこにあるのか。

成長とは変化だ。
「連続性」を保証するものは、おそらく変わらないなにものかだ。
その人物の成長にもかかわらず、いまでも前のままにそこにあるもの。
それはなんなのだろうか。
わたしが問題にしているのは、そのことだ。

このふたつの連続性はときおり、文章に書かれることがある。
ただし、集中的に扱われることは少ない。
さらに「空間的連続性」と「時間的連続性」をならべて、考察を加えられたものはわたしの浅学のせいかもしれないが見聞きしたことはない。
わたしにとっては、少し大きすぎるテーマかもしれないが、腰をすえて考えてみたいテーマである。

昨日会ったお前は、いまでもお前であり続けてくれているのだろうか。

「同じように見えて、少しずつ変わっていくキミのことをぼくは知っているのだろか」(沢登さん、うろ覚えでごめんね)

歌手、沢登秀信の名曲の一節だ。
この歌詞にも「連続性」の問題が横たわっている。

横笛太郎に生前に会っていないわたしは彼の「連続性」と向き合うことはできない。
悲しい話だが、事実だ。

生きているもの同士でさえ「連続性」と向き合うことは至難だ。
もし「連続性」があるとすればの話なのだが。

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腎臓検査

昨日は、人の助けを借りて、ようやく午前10時に虎ノ門病院へたどり着けた。
検査が怖くて、前夜はバーボンを2本も開けてしまった。
しょうがないの極みだな。

「腎アンギオンDTPA」検査と「腹部エコー」検査を行う。
どちらの検査官も優しく、こんなにやさしくされると状態が、よほど悪いのかと心配になる。
どういう結果が出たとしてもなにがしかの手術は避けられんだろうというのが、医者の見解。
手術はいやだな。
ここしばらくは、飲むのだろう。
弱虫だからな。

弱音だけのブログになってしまった。
ごめんなさい。

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2007年12月5日水曜日

ラリパッパ大行進

連続飲酒と言われるものは、意識ある間飲み続けることで、これはこれで根性がいるし、落ちきっていく覚悟か自堕落が必要になってくる。
わたしは、それほどではなく、やはりどこかで酒を止めてしまう。
酒に弱いということもある。
丸二日飲み続ければ、わたしの身体はかなりひどい状態になる。
そういうときには、もちろん下痢も併発する。

今朝起きておしりのあたりがむずがゆいので手を伸ばすとティッシュが詰めてあり、黒いうんこも少しついていた。
それはそれでおかしくもないことだが、これに対する記憶がないのが気になった。

ふと横を見るとケイタイがおいてあり、なんともわからぬかなり酔っ払った、いやと言うよりはラリった男のわけのわからぬ声が留守電に入っている。

「なんじゃこりゃ」

松田優作ほど威勢はよくないが、わたしも小さくほざいてみた。

寝間を出てみれば、自宅の電話の受話器が外れていて、「32分23秒」の通話時間が明示されている。

「なんじゃこりゃ」

そこで、自分の身体の異常に気づくのだ、どうも妙に腹に何か入っている。
わたしは、飲むときはこれといったものをまず何も食べない。
昨夜はビール2本と麦焼酎を1本明けているが、特別なものを食べた覚えはない。

台所に行ってみると、昨日買ったばかりのゴマの封があいている。
しかもかなり減っている。

「なんじゃこりゃ」

戻って、よくよく部屋を見てみると海苔が散らばっている。
わたしが家で飲むときのつまみは、海苔とゴマ、これが定番だ。
しかし、昨夜はこの定番も食べた覚えはないのだが…。

さて、そこでケイタイの着信記録とリダイアル記録をゆっくりと確認してみた。
昨夜床に就いたのは、13時過ぎ、爆笑問題の深夜放送が面白くないので、談志の落語を聞きながら寝ようとしたはずである。
それが、朝の5時過ぎに余計なところに何件も、つまりはあまり電話するとややこしくなるような人のところに電話している。

そしてあろうことか、着信には、自宅からの電話がある。

つまり、あのラリパッパの留守電はわたし自身がわたしのケイタイにかけたものだった。

昨夜、というか朝方、わたしはわたし自身に「32分23秒」も話し続けていたのだった。
これ以上追求するのは、もう頭が痛くなるので、ほかの電話先には確認しないが、電話料金の加算具合から見てなにやら話していたのだろう。

そういえば、わたしは、昨夜寝るときに睡眠導入剤と睡眠安定剤を嚥下した記憶がある。
医者が、副作用があるわけではないが、酒といっしょに呑むと夢遊病者のようになることがあるといっていた。

よく調べるとさらに睡眠安定剤が一錠減っている。

真夜中過ぎにゴマをむさぼり、海苔をバリバリと喰い、その挙句だれかに電話する。
だれも相手にしてくれないから、というか何を言っているか、理解不明だからいい加減なところで電話は切られる。

しかし、優しいわたしは切ることもなく、わけのわからぬわたしの話を聞いていたのだろう。
ケイタイを通してではなく、わたしの肉声を直に。

中島らもの本を読むとき、そんなもんかと思っていたが、これはこれでおそろしい。

ラリパッパは恐ろしい。
半分は、おかしいが、半分は恐ろしい。

「なんじゃこりゃ」

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2007年12月4日火曜日

ウツ状態突入中

さて、今回のうつ状態は、たちが悪そうで、少し困っている。
いずれ本格的なうつになりそうな気配はわたしのなかにあるが、今回がそれであるかもしれない。
原因がほぼわかっているのが強みなのだが、その原因は少しだけ複雑だ。

まずひとつはヒマであること。(仕事にアキができていると言うことね。)
意外に真面目なわたしはあまりにヒマだと軽いうつ状態になる。
やる気があるのにやることがない状態がやりきれない。
かといって、積極的に何かを事始めるほどの才覚もない。
まあ、関西で言うところのあほだ。

落語を聞いたり本を読んだりしていればいいのだが、それも単なるひまつぶしだとなるとつらいわけだ。

それに加えてわたしの家人はわたしを理解しない。
この点については、私見では家人に一切の非はないと思っている。
いまの日本のもっとも顕著な特徴が家人を通して発露しているに過ぎない。
家人は、いまの日本の働く女性として確固たる地位を保つ立派な人だ。

そしてわたしと言えば、ハッキリ言って、半人前、「半ちく」なんていうことばがちょうどいいかもしれない。
というわけで、家人はわたしを人として見ない。
そのくせ、わたしは調子がよければ、そこそこのことをしゃべるものだから、「待てよ」と思ったりするらしい。

わたしが、家人のそういう日本の国家システムに重なる部分を見ることが恐ろしくなるのは決まってうつ状態なので、そういうときに彼女に発言できない。

ウツのときには、布団をかぶってただただ行過ぎるのを待つか、抗ウツ剤を飲むか酒を飲むかしかないからだ。
(ああその点で、心やさしきわが友人にひとこと言っておかなければならない。
あなたが、お酒を飲まないようにするほうがいいといってくれるのはよくわかるのだが、酒を飲む意外に選択肢がない場合に飲む酒には、『飲まないほうがいい』などということばは成立しないのです。
そのときには傍にいてくれるしかないのです。
だから、あなたがやさしいのはよくわかるが、そういう際のわたしには知らぬ顔をしておいたほうがいい。
あるいは、もし可能ならば少しだけ付き合ってくれればいい。
そういう対処しかない。私自身はそのときは身動きならなくなっているのだから。)

したがって、今回もいずれかをしないといけないのだが、さっき、パソコンが動かなかったのを自分ひとりで直して、いま少し気が楽になって、こうした文章を書いている。

とにかくは、早く、別荘の番人のような仕事を探して、逼塞したい。
その前に、優秀な家人にはわたしに見切りをつけてもらいたい。
このことに(前者もそうだが、特に後者)手を貸してくれる人がいたら、手紙でも送ってほしい。
あの男は、半分以上崩れているから見込みはない。
何をするかわからないので、早急に離れてはどうだ…とかなんとか。

とにかく、こうやって一本のブログを仕上げた。
明日、うまくいけば、心療内科の田中先生に会う。

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2007年12月2日日曜日

許されることをおいてのみ…

「らも」という文章を書いたあのらもの女房を思って今書いているのだが、
世の中には、許されることをおいてのみその存在を許される男がいる。
女性のことはわからない。
それはオレがただ、男だからと言う理由だけのことだ。

「らも」という読み物はなかなかのできであったが、同時に中島らもは最低だったんだなとわかる。
そのように、同じ種類の読み物、少し前に書いた「坂口安吾」も「高橋和巳」も「黒田三郎」も最低だった。
しかし、彼らにはわずかな才能と彼らを愛してくれる女がいた。
いつでも女は偉大だ。(これも男からの発言であることを許してほしい。)

すべて、わたしが男であるがゆえにほざく心からの思いだ。
そういう女に助けられてあいつらは生きた。
もちろん、わずかな才能はあったのだが…

世の中には、何の益体もない男達が渦巻いている。
昔、そういう男たちを許してくれた世間があった。
世間とは、つまり、女だ。

違う方向から言えば、女こそが世間だ。

もはや、そういう世間は薄くなった。
さらに言えば、そういう女は少なくなった。

だからなんだと言われれば、たった一つのことを言わなければならない。
クズのような男はこの世に生きにくくなった。

それでいいと言われれば、わたしに反論する言葉はない。

しかし、わたしを含めて、ただこの世に自分の思いとともに生きようとすることがそんなに悪いことなのだろうか。

わたしは、ふとそう思うことがある。

この世には、
許されることをおいてのみ生きていける人間がいるのだ。

寄り添ってあげてはくれないか、そういう、男に。

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酒飲み諸君、身に合った店を探せ

先だって行った「BAR CHEEKY」のことをもう少し書いておくことにします。
あの夜、その店のマスター確か、「アビィ」というかっこいい青年がわたしにこういった。

「あのさ、ぼくはめちゃくちゃ飲むからさ」
「いいですよ、大丈夫です」「もし酔っ払って外に出してもそれだけのことですから」「うちは出入り禁止にしませんから」「またくればいいじゃないですか」

あれはうれしかった。
場所によれば、飲み屋に入ったとき、酔っ払っていたら、出入り禁止だ。
それはその店の見識でわたしはいいとも悪いともなんとも思わないが、嫌悪で言えばいやだ。
たとえ、酔っ払っていたとしても、じっくりその人を見れば、どうすればいいかわかるはずなのだ。
その努力もせずに出入り禁止は恥ずかしい。

まあ、繁盛店なら仕方ないことなのだろうけどね。

だから、我々のんべは、許してくれる店に集うわけだ。
そんなに清く正しく生きているわけではないのだから。

注意してほしい。
わたしはその店を攻めているわけではない。
わたしの言っているのは、やさしいアビィがスキだといっているだけのことなのです。

ラベル:

2007年12月1日土曜日

बार CHEEKY


三宅さんの誘いもあったし、行きたくもあったので吉祥寺「BAR CHEEKY」へ出かけてみた。
オープン22時。
ライブ25時と聞いたものだから、こいつは尋常じゃねえぞ、と思ったりもした。
が、入ってみれば、みんなやさしかった。
まずは、三宅さんとセッションをするラティール、長身のセネガルの人が、やさしかった。
そこのカウンター席をあけてあげなよ、と仲間に言ってわたしのために席を作ってくれた。
三宅さんは三宅さんで、ここはオレの場所だからといって、ジンフィズを一杯、おごってくれた。
その後も若い三味線引きや、太鼓たたき、そして店長のアビィが、優しい目でわたしを見つめてくれた。
まことにもって、うるわしき空間であった。

で、その三宅さんのライブであるが、これは腰折れであった。
古いなじみの客が、いらぬ茶々を入れすぎた。
まあ、こういうときもあるのだろう。
狭い空間である。
酒も入っている。

しかし、わたしは、この日始めて三宅洋平と面通しができたし、美しい眼をした若者とも出会った。
まったくもって、悪くはない夜だった。

またこのBARへ行くかどうかは難しいところだが、行ってもいいさ、そう思っている。
生きているのも悪くはない。
久しぶりにそんな思いをした。

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