ふたたび「弱きもの」
このところのわたしのブログは、かなり過激になっているように見えるかもしれないが、そうでもないのだろうなと思えるようになってきた。
この世には、その社会の価値観から疎外され、とてもつらい立場を強いられる人たちがいる。
わたしのブログがそういう人たちのほんのわずかでも力になってくれればいいなと思う。
まさにその小さな力のために、わたしはこのようにこのブログを書き綴っているのかもしれない。
わたしの古い友人がこの20日から再びの休職に入る。
心配は心配でも、まあいいじゃないかとわたしは彼に言い続ける。
決して、無理をしないでほしい。
つまりは努力をしないでほしい。
そして、できれば生きられるところまで、わたしと一緒に生きていければいいのだ。
わたしだとて、すぐれて「弱きもの」だ。
妻になじられ、子どもになじられ…
わずかな収入によって、カツカツに生きている。
人には生きていく権利がある。
同時に死んでしまう権利も。
今の今も我々の周りにシステムが作用している。
ゆめゆめ自分の非力を自分のせいだと思いなさるな。
ともに生きていこう。
受け入れられる範囲で。
システムに乗って生きている人々は、一刻も早くその事実、システムに乗っている事実に気づいてほしい。
無理だろうな。
毒されているわけだからな。
ただシステムに乗れたからといって、むやみに人を批判しないでほしい。
あなたはシステムに乗ることでとうの昔に自分自身を見限ったかもしれないのだ。
すでに自分自身を殺し、いまはあなた自身などどこにもいないかもしれないのだ。
では、今生きているあなたは誰だ。
はて、誰なんでしょうね、それはあなたの問題だ。
とにかく、
「弱きもの」と烙印を押された人々よ。
ともに、生きていこうではないか。
ごくごくたまに、われわれにも愉快なひとときは訪れる。
この世には、その社会の価値観から疎外され、とてもつらい立場を強いられる人たちがいる。
わたしのブログがそういう人たちのほんのわずかでも力になってくれればいいなと思う。
まさにその小さな力のために、わたしはこのようにこのブログを書き綴っているのかもしれない。
わたしの古い友人がこの20日から再びの休職に入る。
心配は心配でも、まあいいじゃないかとわたしは彼に言い続ける。
決して、無理をしないでほしい。
つまりは努力をしないでほしい。
そして、できれば生きられるところまで、わたしと一緒に生きていければいいのだ。
わたしだとて、すぐれて「弱きもの」だ。
妻になじられ、子どもになじられ…
わずかな収入によって、カツカツに生きている。
人には生きていく権利がある。
同時に死んでしまう権利も。
今の今も我々の周りにシステムが作用している。
ゆめゆめ自分の非力を自分のせいだと思いなさるな。
ともに生きていこう。
受け入れられる範囲で。
システムに乗って生きている人々は、一刻も早くその事実、システムに乗っている事実に気づいてほしい。
無理だろうな。
毒されているわけだからな。
ただシステムに乗れたからといって、むやみに人を批判しないでほしい。
あなたはシステムに乗ることでとうの昔に自分自身を見限ったかもしれないのだ。
すでに自分自身を殺し、いまはあなた自身などどこにもいないかもしれないのだ。
では、今生きているあなたは誰だ。
はて、誰なんでしょうね、それはあなたの問題だ。
とにかく、
「弱きもの」と烙印を押された人々よ。
ともに、生きていこうではないか。
ごくごくたまに、われわれにも愉快なひとときは訪れる。
ラベル: 日常 考察
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