空のオルゴール
何かの番組で中島らもが自分の作品のなかで「空のオルゴール」が一番好きだ、というようなことを言っていたことがある。(写真は文庫本だが、単行本の装丁はなかなかにかっこいい。)
そのときはらもさんはそう思ったのだろう。
わたしは、中島らもさんにはもっと素敵な作品があるからそういう感想を持つ。
「今夜、すべてのバ-で」とかさ。
それでも読んでみるべえかと思ったのは、この本が奥さんの口述筆記によるものであることを知ったからだ。
読み出して、どうやらすでにわたしがこの本を読んでいることに気づいた。
いや、嘘かもしれない。
ところどころに前に同じものを読んだ記憶が、あるのだが、わたしもすでにぼけ始めているからなあ。
さて、そんなことはいいとして「空のオルゴール」もまた、よく下調べがなされている。
あのころのらもは眼が見えなかったはずだが、どのように調べたのか、細部に下調べの充実が読める。
ラストに書かれた参考文献の一覧を見ると立ちくらみがする。
こういうところに中島らもの生真面目さがよくわかる。
うつ病やアルコール依存症を抱え、あれだけ酒を飲み、薬を飲み、どんちゃん騒ぎをしていたあの中島らもの本質は生真面目さだ。
まあ、多くの場合うつ病は生真面目な人間がなる。
そしてこの時代、実は鬱の時代に入ってきている。
池田隼人や田中角栄を思い出せばいい。
あのころは躁の時代だった。
このところ鬱の話をよく耳にする。
当たり前のことだ。
時代そのものが鬱なのだから。
しかもとられる政策も鬱に追い込むような政策ばかりだ。
しかし、いくら鬱の時代とはいえ、それを仕方ないとは言えないだろう。
政治家たる物、まずこの時代が鬱であることを認識し、そして考えていかなくては。
時代認識もないまま浮かれて賄賂に溺れていてはいかんわな。
だから、もしあなたがうつであろうとうつ病であろうとそれほど心配することはない。
それはあなたの感受性が、この時代に対してきちんと働いているだけのことだ。
問題は、それにどう対処するかだが、これが少し難しい。
まあ、アル中になろうが薬中になろうが、たいしたことではないとは言えるだろうな。
困るのはすごく困るけどさ。
ラベル: 日常 考察
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