宣言
わたしは、このブログを単なるわたしの日常の記録として書いているのではありません。
この国に、密やかにはびこっている、あるシステムの脅威をポイントに書いています。
もちろん、それだけではないけどね。
だから、そのシステムに乗って、成功した人がそのシステムに乗れなかった人をあざけるのを忌む。
ここは重要です。
わたしが忌むのは「システムに乗る」ことではなく「システムに乗ったという自覚をしないあなた」です。
たとえば、こういうことばをあげておこうか。
わたしの愛する鶴見俊輔のことばだ。
「生きていくということは、論理の上では何の意味づけをも必要としない。
しかし、実際には、人はそれぞれの仕方で、自分の生きてゆくことについての納得をもっている。
その納得の仕方を、思想ということにする。」
著作集の第七巻にある。
ここに、わたしの思考のはじめがある。
しかし、「その納得の仕方に」何ものかが、入り込んでいたらどうするのだ。
いやではないか。
入り込んでいるのはいい、入り込んでしまったおまえがいやではないのか。
この国の価値観を刷り込まれた人間は。
ここに宣言しておく。
オレはこの国のシステムと微力ながら戦う。
この国に、密やかにはびこっている、あるシステムの脅威をポイントに書いています。
もちろん、それだけではないけどね。
だから、そのシステムに乗って、成功した人がそのシステムに乗れなかった人をあざけるのを忌む。
ここは重要です。
わたしが忌むのは「システムに乗る」ことではなく「システムに乗ったという自覚をしないあなた」です。
たとえば、こういうことばをあげておこうか。
わたしの愛する鶴見俊輔のことばだ。
「生きていくということは、論理の上では何の意味づけをも必要としない。
しかし、実際には、人はそれぞれの仕方で、自分の生きてゆくことについての納得をもっている。
その納得の仕方を、思想ということにする。」
著作集の第七巻にある。
ここに、わたしの思考のはじめがある。
しかし、「その納得の仕方に」何ものかが、入り込んでいたらどうするのだ。
いやではないか。
入り込んでいるのはいい、入り込んでしまったおまえがいやではないのか。
この国の価値観を刷り込まれた人間は。
ここに宣言しておく。
オレはこの国のシステムと微力ながら戦う。
ラベル: 日常 考察
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