2007年12月16日日曜日

「コミュニケーション・ツール」と「カンバセーション・ピース」

今回のタイトルは少しややこしく、実のところわたしには十分にわかっていないところがあるので、ある程度あいまいに書いてしまう。
「ミドルマン」が、この社会でわたしに望まれる役割だと考えているために、自分の無知な部分に乱暴に切り込んではいけないのだ。

「カンバセーション・ピース」の説明のほうが、少したやすいかな。

もともとは、欧米でファミリーを描いた肖像画や写真を指す言葉だったらしいのだが、
転じて、そこにあることだけで人と人との「会話をはずませる小物」を指すようになったというものです。
(もちろん、小物じゃなくて、話の種でもいいのですがね)

たとえば、ちょっと変わった万年筆やネクタイやスカーフ…。
ポイントは、ちょっと変わったというところで、だからこそ話の種になる小物になるんだね。

ところで、「コミュニケーション・ツール」は、そのままコミュニケーションを成立させる道具であるわけだから、あるときは「ことば」を指すこともあれば、「ブログ」や「メール」を指すこともある。
あるいは、サッカーの試合後の「Tシャツの交換」を指すこともある。

実際のところわたしもよくわからない。
どなたかにレクチャーしていただけると助かるのです。

ただ、この、「コミュニケーション・ツール」ということばは「映画を見る」「テレビを見る」「新曲を聴く」「芝居を見る」なんてときにも使われる。
それは、そのものを見たくはなく、聞きたくはなく、食べたくはなくとも、その経験を持つことによって、仲間とのコミュニケーションが成立するための道具として必要なのだ、というような文脈に使われる。

つまり、先日以来二三度書いている「ミシュラン初版十五万部即完売」はコミュニケーション・ツール獲得のための行動であったわけだ。
それを知ることで、初めて仲間との会話が成立するのだからね。

おそれく会話の種という意味の、「カンバセーション・ピース」といってもいいような気がするのだけど、このあたりは注意深く使い分けたほうがよさそうだ。

このごろ、「KY」なんてことをよく耳にするが、あんなものどうでもいいことだからね。
その場の「空気」が重要なのではなく、重要なときもあるってことで、その場の「空気」なんてたいていどうでもいいようなものだからさ。

だからさ、あなたがある「コミュニケーション・ツール」をもっていなくて、「KY」なんて言われてもそんなことはどうでもいいのです。

あなたは自分の読みたい本を読み、行きたい場所に行き、食べたいものを食べ、見たい映画を見ていればいいのです。
これを「消費者主権」と呼びます。

まあ、この世界にはいろいろと罠が潜んでいるわけです。

「KY」なんてことばもあれは罠だからね。
大きな罠か小さな罠かは知らないけれどさ。

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