「メルトダウンは地震・津波だけで起きるわけではない」週刊エコノミスト(小出裕章)
原子力発電所は、今回の福島の事故のように地震や津波など発電所の外部要因だけでなく、機械そのものの要因でも壊れることがある。過去のほとんどの事故は外部要因ではなく、機械自体の理由で起きている。
米国原子力規制委員会(Nuclear Commission, NRC)は原発の事故が、小さなものから一番恐れられている炉心溶融(メルトダウン)まで、どの程度の確率で起きるのかを世界で最初に系統的に検討し、1975年に報告書をまとめた。基本的なスタンスは、「炉心が溶けるという破局的な事態は起こりうるが、地球に隕石が落ちてくるほど低い確率だから気にするほどではない」というものだった。
ところが、この報告書に対してさまざまな批判が上がり、NRCは批判を一つ一つ検討したうえで79年に改めて態度を表明した。「報告書で出した確率の値はデータが不確かで信頼してはならない」というものだった。直後に、米国のスリーマイル島の原発で炉心溶融の事故が実際に起きた。NRCは79年の態度表明でかろうじて面目を保った形だった。
想定されていた全電源喪失
それ以降も、炉心が壊れる確率に加え、炉心が壊れてどの程度の放射能が漏れるのか、放射能漏れでどの程度の被害が生じるのかを分析する「確率論的リスク評価」と呼ばれる研究は、米国はじめ世界中で行われてきた。87年に米国NRCが出した報告では、5つの原子力発電所について、それぞれどのような原因で炉心が溶けるのかを示している。冷却材喪失などさまざまな原因があるが、うちGrand Gulf(ミシシッピ州)という福島第一原発と同じ形式の原子炉で、炉心溶融の原因として99%を占めると考えられているのはStation Black Out(全電源喪失)だった。全電源喪失が重大な事態を引き起こすことは、87年の時点で分かっていたのだ。
この確率論的リスク評価はどのように行われるのか。まず、炉心溶融という最悪の事態はどのような原因で起こるかを考える。その原因の一つ一つについて、さらにそれが起きる原因を考える。例えば炉心溶融の原因を「原子炉内の水の喪失」と想定したら、喪失を引き起こす原因として「原子炉に水を送り込むポンプの不作動」などを挙げる。さらに、ポンプの代替手段を挙げ、それが動かない場合には・・と木の枝を広げるように事故が起こりうる道筋を描いていく。
一方で、それぞれの段階で、事故を防ぐ手段が働かない確率を求める。例えばポンプが動かないなら、「停電が起きる」「ポンプが壊れていた」「ポンプの先の弁が閉じていた」など考えられる原因について、それぞれどの程度の頻度で起きるのかの実績を集めたデータベースから算出する。この数字を前述の道筋の図に当てはめ、最悪の事態に至る確率を導く。だがこの方法では2つの問題があり、基本的には過小評価となる。問題の1つは、事故に至る道筋の図はあくまでも推測で、想定しきれない通り道がありうるという点。もう1つは、確率評価の基となるデータベースは、原発のせいぜい数十年の歴史のなかで信頼できるほどの蓄積がないために誤差が生じるという問題だ。NRCが「最終的な確率の値に信頼を置いてはならない」と79年に表明したのもそれゆえだ。その後、30年あまりの間、より精密な確率評価を求めて研究が行われてきたが、要因の考え落としがあり、数値が不確かだという本質的な問題は常に残る。
実際に79年の米スリーマイル島での事故でも、発端はポンプが1つ壊れたことだった。予備のポンプが作動したが、弁が定期点検の際に間違って閉じられており、原子炉に水が入らなかった。原子炉の水位が下がったことで非常用冷却系が作動したが、水位を示す計器が満水だと誤表示され、そのため運転員はマニュアルに従って非常用冷却系を止めた。その結果として炉心溶融が起きた。代替手段が用意されていたものの、それが働かない事態が重なって大事故に至った。
日本でも2004年に関西電力美浜原発3号機(福井県)で配管が破れ、噴き出した熱水を浴びて作業員が死亡する事故があった。配管が長年使っている間に薄くなっていたのだが、それを監視せずに「まさか破れないだろう」と思っていたのだ。
海外で懸念されるテロ、サボタージュ
さらには、機械固有の要因に加えて、外部事象によって起こる可能性がある。今回の地震・津波もそうだが、海外ではテロやサボタージュが懸念されている。テロは爆弾を仕掛けたりして原子炉を壊す大がかりな軍事行動を指すが、サボタージュは原発内で現場の労働者が意図的に何か破壊活動を働くことを指す。例えば、どこかの制御系1ヵ所、あるいはポンプ1個を壊してしまう。その程度のことでも、原子炉全体の破損につながりうる。この外部事象についての確率評価はとても難しく、世界的にも研究や対策が進まないという歴史がある。
日本で原発を進める人々は「原発に限っては絶対壊れない」と言い続けてきた。だが海外で事故の可能性についての研究が次々に発表され、86年にチェルノブイリ原発事故も起きたことで、原子力安全委員会は「シビアアクシデント対策」に取り組まざるをえなくなった。90年代に入って各発電所に、「全電源喪失」が起きた際の対策を考えるよう指示を出し、対策がとられたのは00年代に入ってからだ。
福島第一原発では、炉心が溶けた際には原子炉格納容器が壊れる可能性も捨て切れないとして、格納容器の破裂を防ぐために、中のガスを抜く「ベント」という弁を取り付けた。その弁が今回の事故の際、開けられた。だが、弁を開ける時には格納容器から放射能が漏れることは覚悟のうえのはずで、その放射能を捕らえるために弁の先にフィルターのような装置が必要なのに、そのまま排気筒につながっていた。本当に事故が起こった場合の対策としては考えていなかったのではないか。
日本は原子力技術の後進国だ。核分裂の原理は第2次世界大戦中に発見され、日本を含め各国が核兵器の研究を進めた。戦後、日本の核研究施設は米軍に破壊され、研究が再開されたのはサンフランシスコ平和条約締結後の52年だった。その間、各国が原子力を商業利用する研究を積み重ね、50年代には商業原発が稼動している。
だが米国でも欧州でも、運転中、建設中、計画中の原発の合計数は70年代をピークに低下しており、原発は30年前には斜陽に入っている。大事故が起きる可能性についてどんなに分析して対策を講じたとしても、事故が起こる可能性はゼロにはできない。そして事故がおきてしまえば、途方もない被害が出る。事故が起きなかったとしても原発で生み出された放射性物質は毒性を持ち続ける。そういうリスクは選択すべきではないというのが世界的に広範な考え方だからだ。(談)
米国原子力規制委員会(Nuclear Commission, NRC)は原発の事故が、小さなものから一番恐れられている炉心溶融(メルトダウン)まで、どの程度の確率で起きるのかを世界で最初に系統的に検討し、1975年に報告書をまとめた。基本的なスタンスは、「炉心が溶けるという破局的な事態は起こりうるが、地球に隕石が落ちてくるほど低い確率だから気にするほどではない」というものだった。
ところが、この報告書に対してさまざまな批判が上がり、NRCは批判を一つ一つ検討したうえで79年に改めて態度を表明した。「報告書で出した確率の値はデータが不確かで信頼してはならない」というものだった。直後に、米国のスリーマイル島の原発で炉心溶融の事故が実際に起きた。NRCは79年の態度表明でかろうじて面目を保った形だった。
想定されていた全電源喪失
それ以降も、炉心が壊れる確率に加え、炉心が壊れてどの程度の放射能が漏れるのか、放射能漏れでどの程度の被害が生じるのかを分析する「確率論的リスク評価」と呼ばれる研究は、米国はじめ世界中で行われてきた。87年に米国NRCが出した報告では、5つの原子力発電所について、それぞれどのような原因で炉心が溶けるのかを示している。冷却材喪失などさまざまな原因があるが、うちGrand Gulf(ミシシッピ州)という福島第一原発と同じ形式の原子炉で、炉心溶融の原因として99%を占めると考えられているのはStation Black Out(全電源喪失)だった。全電源喪失が重大な事態を引き起こすことは、87年の時点で分かっていたのだ。
この確率論的リスク評価はどのように行われるのか。まず、炉心溶融という最悪の事態はどのような原因で起こるかを考える。その原因の一つ一つについて、さらにそれが起きる原因を考える。例えば炉心溶融の原因を「原子炉内の水の喪失」と想定したら、喪失を引き起こす原因として「原子炉に水を送り込むポンプの不作動」などを挙げる。さらに、ポンプの代替手段を挙げ、それが動かない場合には・・と木の枝を広げるように事故が起こりうる道筋を描いていく。
一方で、それぞれの段階で、事故を防ぐ手段が働かない確率を求める。例えばポンプが動かないなら、「停電が起きる」「ポンプが壊れていた」「ポンプの先の弁が閉じていた」など考えられる原因について、それぞれどの程度の頻度で起きるのかの実績を集めたデータベースから算出する。この数字を前述の道筋の図に当てはめ、最悪の事態に至る確率を導く。だがこの方法では2つの問題があり、基本的には過小評価となる。問題の1つは、事故に至る道筋の図はあくまでも推測で、想定しきれない通り道がありうるという点。もう1つは、確率評価の基となるデータベースは、原発のせいぜい数十年の歴史のなかで信頼できるほどの蓄積がないために誤差が生じるという問題だ。NRCが「最終的な確率の値に信頼を置いてはならない」と79年に表明したのもそれゆえだ。その後、30年あまりの間、より精密な確率評価を求めて研究が行われてきたが、要因の考え落としがあり、数値が不確かだという本質的な問題は常に残る。
実際に79年の米スリーマイル島での事故でも、発端はポンプが1つ壊れたことだった。予備のポンプが作動したが、弁が定期点検の際に間違って閉じられており、原子炉に水が入らなかった。原子炉の水位が下がったことで非常用冷却系が作動したが、水位を示す計器が満水だと誤表示され、そのため運転員はマニュアルに従って非常用冷却系を止めた。その結果として炉心溶融が起きた。代替手段が用意されていたものの、それが働かない事態が重なって大事故に至った。
日本でも2004年に関西電力美浜原発3号機(福井県)で配管が破れ、噴き出した熱水を浴びて作業員が死亡する事故があった。配管が長年使っている間に薄くなっていたのだが、それを監視せずに「まさか破れないだろう」と思っていたのだ。
海外で懸念されるテロ、サボタージュ
さらには、機械固有の要因に加えて、外部事象によって起こる可能性がある。今回の地震・津波もそうだが、海外ではテロやサボタージュが懸念されている。テロは爆弾を仕掛けたりして原子炉を壊す大がかりな軍事行動を指すが、サボタージュは原発内で現場の労働者が意図的に何か破壊活動を働くことを指す。例えば、どこかの制御系1ヵ所、あるいはポンプ1個を壊してしまう。その程度のことでも、原子炉全体の破損につながりうる。この外部事象についての確率評価はとても難しく、世界的にも研究や対策が進まないという歴史がある。
日本で原発を進める人々は「原発に限っては絶対壊れない」と言い続けてきた。だが海外で事故の可能性についての研究が次々に発表され、86年にチェルノブイリ原発事故も起きたことで、原子力安全委員会は「シビアアクシデント対策」に取り組まざるをえなくなった。90年代に入って各発電所に、「全電源喪失」が起きた際の対策を考えるよう指示を出し、対策がとられたのは00年代に入ってからだ。
福島第一原発では、炉心が溶けた際には原子炉格納容器が壊れる可能性も捨て切れないとして、格納容器の破裂を防ぐために、中のガスを抜く「ベント」という弁を取り付けた。その弁が今回の事故の際、開けられた。だが、弁を開ける時には格納容器から放射能が漏れることは覚悟のうえのはずで、その放射能を捕らえるために弁の先にフィルターのような装置が必要なのに、そのまま排気筒につながっていた。本当に事故が起こった場合の対策としては考えていなかったのではないか。
日本は原子力技術の後進国だ。核分裂の原理は第2次世界大戦中に発見され、日本を含め各国が核兵器の研究を進めた。戦後、日本の核研究施設は米軍に破壊され、研究が再開されたのはサンフランシスコ平和条約締結後の52年だった。その間、各国が原子力を商業利用する研究を積み重ね、50年代には商業原発が稼動している。
だが米国でも欧州でも、運転中、建設中、計画中の原発の合計数は70年代をピークに低下しており、原発は30年前には斜陽に入っている。大事故が起きる可能性についてどんなに分析して対策を講じたとしても、事故が起こる可能性はゼロにはできない。そして事故がおきてしまえば、途方もない被害が出る。事故が起きなかったとしても原発で生み出された放射性物質は毒性を持ち続ける。そういうリスクは選択すべきではないというのが世界的に広範な考え方だからだ。(談)
ラベル: 国際情勢
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