2011年7月15日金曜日

自己が可変であることの認識

自分が変わっていく存在であることをぼんやりとであっても知っている人が好きです。
自分の住んでいる世界にしがみつき、その世界を壊すような他者のそぶりに過激に反応する臆病な利権主義者を憎みます。
その利権主義者は数を頼みに、いま所有する彼らの権力を武器にその場所にしがみつくための工作を施してきます。
下らぬ輩ですが、かえれらの持つ社会的な力を軽視してはなりません。
事実、今でも原発を動かそうとしている人間は多くいるし、わたしの思うような正しい夫になれと思う女たちはいます。
もちろん、後者の場合、こら女、女として正しく生きろという主張のほうが、はるかに強かった伝統をこの国も持っているし、イスラムなどには今も強烈にあります。

なんにしろ、わたしには人は変わっていくものだと知っている人を、そう感じている人を好む傾向があります。

自己可変性を知るそのような人々は、社会的弱者であることが多いものです。
端的にいえば、徒党を組めない彼らは、一人であるが故に弱いものです。
また、徒党を組み始めれば、自己可変性は邪魔なものになっていきます。

わたしは日々変わろうとしていく子どもが好きですが、その変化にもレールが敷かれている今の日本です。
レールに乗る前の子どもの感性は豊かです。

わたしは、そういう子どもたちにレールからはみ出てしまった最底辺の人間たちのような共感を覚えます。
わたしもいまだに宙ぶらりんの人間です。

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