2011年7月24日日曜日

気狂いピエロ


つい先ごろ見た「勝手にしやがれ」もそうだが、ゴダールの映画に明確なストーリーはない。
いつまでたってもカタルシスは訪れず、ただ刺激的なセリフと映像が脈絡もなく突きつけられる。
観客はそれを自由に感じていればいいわけです。

今のハリウッド映画にある決め事は一切なく、それを期待していれば、結局はさっぱりわからないという感想になってしまう。(映画の最終評価は観客にあるのだから)
もちろん作成するゴダールに意思はあっただろうが、その意思をやさしく伝えようとするために鋭利な映像を変えるような愚はしなかった。
そのような伝え方はまやかしで、何も伝わらないと思ったのだろう。

伝わる伝わらないは度返しして、ただぶちまけた、そういう感じの強い映画がゴダール作品の中で残っている。
そして、ある条件下の観客にとってはその映画が異常に迫ってきたりする。

今のわたしにとって、ゴダールの映画は刺激的で、振り返りたくない感情の坩堝に落とし込んだりします。

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