2008年2月17日日曜日

迷う

秋山の 黄葉を茂み まよひぬる 妹を求めぬ 山路知らずも

柿本人麻呂が妻を求め、迷い歩く姿を描いた歌です。
しかしながら、すでに黄泉の国にいる妻が、見つかるはずもなく、それでも、知るはずもない山路を歩くという歌です。

迷うことに積極的な意味を持たせず、モラトリアムなどという言葉が幅を利かす現代に、わたしは、もう一度迷うこととしっかり、かかわっていいと思っています。

迷い人 誰教えずとも 富士の裾

居場所がないことをそれほどまでに嘆く必要もなく、迷うということをそれほどまでに嘆く必要もない。

そういえば、佐賀県かどこかでは住む人のいなくなった家を開放して見知らぬ人たちで新しい家族を生み出す運動が起こっている話を聞きました。

迷っていることは、恥じることではない。
迷っていることに抗いすぎているために、する必要もない雪の道に転倒したりする。

ここまで書けば、飛躍になってしまうのかもしれないが。

いつものように、そのままのあなたで大丈夫だと、この一文にもけりをつけましょうか。

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