2012年2月19日日曜日

テレビの影響

テレビ芸と寄席芸はまったく異質のものであるのはご承知の通りだが、この違いは意識して知っておいたほうがよいようにも思う。
寄席の芸は寄席に行かなければ味わえない。
それは寄席の空気の中にあるものだからである。
もっと言えば、寄席芸はその芸人の空気とともに味わう種類のものでテレビのように空気を隔絶したメディアから程遠い。
映画には3Dというものがあり、取りざたされているが、あれはそれほど画期的なものかどうかは若干怪しい。

要は場の空気なのである。
それ故芝居やライブや寄席に存在価値が生じる。
まあ、寄席の存在価値はあんまり人気がないようなのだが…

で、書き留めておきたいのはわたしたちの日常もまたテレビで行われるものと近似しいているということで、そこから寄席芸のような雰囲気はなかなか生じはしない。
それは寄席を気楽に見ていた時代よりさらに深刻だと思う。

実はテレビ芸はテレビ芸でかなりやっかいなものなのであるが、それは芸と言われるのだから意識されたもので、そこにうまい下手は生じる。
けれども気楽に見られるテレビの中にそれを感じようとする視聴者は少ない。
というわけで、わたしたちの日常はテレビ芸の軽佻浮薄さだけを受け取って、ますます意味もなくわいわいがやがやである。

テレビは消せば見なくともすむが、日常は消すことは出来ず、いやでも目に映り耳に入ってくる。
テレビ芸の進化でますます日常は面白みがなくなる。

テレビは人を洗脳する。

テレビ芸を行う一流の演者は意識的であるが、それを見る視聴者は気ままに洗脳されるに過ぎない。

世に学ぶべき人が少なくなる所以である。

言い切ってしまえば、テレビ芸の極致は素人くささである。
素人くささをいかに演じるかに長けた者がテレビを制する。
それは、資質である。
けれども視聴者はそれに毒され何も気づかない。

できれば、もう少しましなものと付き合ってほしいが、それも難しいのが当今なのかとも思う。
人と人はもう少しまともに付き合えるのではないかとわたしは思っています。

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