2008年5月26日月曜日

歯医者日記

「歯医者日記」なるものをMIXIで連載している知人がいるが、最初は彼が、何をしているのかよくわからなかった。
しかしそれも35回を数えるとなかなかの迫力になり、その人の生きる姿も見えてきたりする。
ひとは日常を馬鹿にしがちになることがあるが、日常にあるということはそう簡単なものではない。

「量が質に転化する」ことは確かに訪れるのだ。

「病床六尺」の空間で驚くべき世界を書いた男もいた。
彼は重層的なコトバではなく写生をモットーにした男であったが、その世界が病床である以上「写生」はそのまま重層的な世界に引き込んでいく。

鶏頭の十四五本もありぬべし    

これもいろいろと取りざたされる作品で、読者によってさまざまに分かれる。
虚子は無視し、茂吉は絶賛した。
ここでもまた、読者の問題は云々されるだろう。
「ホトトギス」を持ち、仲間をもっていた子規には、自分の状況をよく知る人々がいた。
その受信者によっては、あの句はたんなる写生には終らなかっただろう。

「歯医者日記」に、たとえ文学性がないにしても、そこには重層性があり、ひとつの存在感がある。

残念ながら、わたしにはこの日常性の積み重ねがない。
常に日常性を破壊したがり、その日常性を支える命をないがしろにしたがる。

老境に入っていけないのはそのためでもある。

「耄碌の春」は、わたしにも訪れてくれるだろうか。

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