2008年5月17日土曜日

「P2」を見る


アレクサンドル・アジャのプロデュースした「P2」のチケットをいただいたものだから見にいってきた。
明らかなB級映画であったが、B級映画ならではの予算のなさやスタッフの一体感を感じさせてくれて、久しぶりに作る側から見る映画として記憶に残るものとなった。

話が大きくなると困るのだが、映画にしても舞台にしてもさらに広げれば話芸や絵画や建物にしても常に受信者はついてまわるわけで、そのことは忘れてはならないだろう。
しかし、この受信者の取り上げかたがこの国では、あるいはこの世界ではとまで言っていいのだろうか、いたって淡白で、わたしはかねがね問題だと思っている。

この受信者についての考察を大きくジャンルをわたって書いてみたいというのがわたしの大きな野望である。

本日の「P2」にしても観衆が所詮B級だねといえばそれで終わりの映画なのだが、観衆(=受信者)はその程度のものであったのだろうか、というのがわたしの問である。
これはあるとき立川談志が、自分の芸をするか、客に合う芸をするかを悩むシーンをテレビが映像として流したが、あれである。
露悪的な談志は普段でも「あんな客に受けてうれしいかね」などといっている。
広島の前田という打者もまたかつてのイチローに「あんなヒットを打ってうれしいかね」と彼の内野安打を評していった。

この受信者論は入り口の小ささに比べて驚くほど広い議論に広がっていく。
わたしがいずれ書く。

というわけで、わたしという受信者を得て「P2」はいい映画として残った。
あなたが信用して行って、「B級映画ジャン」と思われたならそれもまたいいだろう。
繰り返すようにこの映画はどう見たってB級映画で間違いないのだから。

しくじりながらしか前には進めない。
お互いにしくじりを恐れず、つらすぎるときは酒でも酌み交わしながら生きていこう。

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