2008年5月9日金曜日

半額おじさん

「半額おじさん」とは、だれあろうわたしのことだ。

スーパーに代表される店には大きなものから小さなものまであるが、そこではある時間を過ぎると半額シールを貼っていく。
半額シールが商品に張られたその直後までとはいかないが、いつのまにか半額の張られたシールの前に立っているのがわたしで、そのわたしを見て、ある種驚異の眼差しで店の女の子たちは、場合によってはおばはんたちは、さらに場合によっては店長は、その所作に見とれるのだ。
そしていつのころからかわたしを「半額おじさん」と呼び始めた。

半額を買うにもいくつかの心得がある。
その話は長くなるので次回に移すとして、今日はある現象を書いておきたい。

このところの顕著な現象として、その半額セールの時間となると素人たちが集うようになってきているのだ。
それがはっきりとわかりだしたのは一年ほど前からだ。
とくにあるスーパーなどは半額シールを張り出す時間が決まっているので、彼らはその時間を狙ってやってくる。

彼らには美学はない。
今日書くのを省いてしまったが、わたしが「半額おじさん」と呼ばれる理由、つまりは半額商品を観察し、目利きし、判別し、その腐敗に到る時間をはかるといった総合判断はまったくなく、彼らはただただ買っていく。
それは、あまり考える必要もなく彼らの生活としての行為なのである。

「関東のひとつ残り」という言葉がある。
ええかっこしいの関東人は、みなさんどうぞと差し出された皿の最後のひとつには、なかなか手を出したがらないものだ。
そのことを言っている。

それがどうだ。
彼らは半額を争うように買っている。

そこで「半額おじさん」はどうするかといえば、ただ黙って手を組むのである。
そして、フムフムとうなづく。

いいかね政治家諸君、キミたちの言うところの「庶民」というのはどこにいるのかわたしは知らなかったが、わたしの目の前にいる彼らは確かに庶民なのだ。
だから庶民が困っているのは事ほどさように明らかなのだ。
そのことを肝に銘じてわかってほしい。(もし肝があればの話だが)

そして、そこで腕を組んでいる「半額おじさん」もひじょ~に困っているのだ。

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