2008年5月16日金曜日

ビルマの状況

へなちょこな生活をしていたものだから、頭の底まで呆けている。

「ランボー」の試写を見たのだが、舞台がミャンマーでそりゃめちゃくちゃな映像を撮っていた。
どのくらいの信憑性があるのかはしらぬが、あの一部でも真実ならたまらない。

中国の地震が起きたものだからミャンマーのサイクロン関係のニュース量が少なくなりつつあるが、人災としてははるかにミャンマーのほうが悲劇的で大きな国際問題ではなかろうか。
自然現象から我々は簡単に逃れることは出来ないが、その後の人災に対しては何らかの手は打てる。
わたし個人にそういう力はないのだろうが、国際的に動いてほしいものだ。
中国も海外からの支援を受け入れようとしているのに、ミャンマーはいまはどうなっているのだろうか。

少し落ち着いたら、ミャンマー、いやビルマのことを知っておきたいと思っている。

むかし、新宿思い出横丁に出入りしていたころ、行きつけの店「越後屋」には、とても知的なビルマの女性が働いていた。
彼女と話しながら飲む酒は、わたしの酒歴のなかでも特記すべきものだったと思っている。

いま日本にいるビルマの人たちの国にいる家族知人に対する哀しみは、わたしがこのブログで扱うにはあまりにもせつない話のように思う。

日本はときに平和ボケだと揶揄されるが、「平和ボケ」を享受できるこの国はかなり幸せでもあるとわたしは感じている。

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