2008年5月28日水曜日

日常

日常は日々送られるものだけに、あまり取りざたされなくて、その大切さも見送られがちだが、大切だよね。
人が、どのような状態でもしっかり生きていけるのは、そこになにがしかの日常あってこそで、病床六尺の中にも日常はあるし、独り者の生活のなかにも日常はある。
日常は確かにあるのだが、それを日常として確かなものにしていかなければ、日常の醍醐味は生まれない。

その醍醐味の先に、愉快な食卓が日々当たり前のように登場してくれればこんな幸せなことはない、そういつも思う。
そういつも思うのは、わたしに愉快な食卓がなく、しっかりとした日常がないからだと思う。

時に日常は、それを守るために排他性などを要求するからさらに厄介だが、多少の排他性ならば受け入れてでも日常は守るべきもののような気がする。

核家族はその排他性があまりに強くて辟易することがあるが、それでもその排他性で守れるならば日常は守っていくほうがいのかなとも思う。

人生、山あり谷あり。
いかなる状態であっても生きていくためには、しっかりした日常を作りたい。
そう思うときに、都会にある日常を疑問視してみたりもする。
そして都会の日常を中心に見ていそうな政府を疑問視したりする。

かわいい娘との生活さえあれば、そんな日常はいともたやす手の中に抱きしめられそうな気もするが、そういうわけでもなさそうだ。
手に入った日常をもっているのならば、その日常がどのようにして支えられているかは、ふと考えてみたほうがいいのだろう。

日常が、自分に平穏を与えてくれることと、それでも非日常になびきそうになる理不尽な自分の動きにはたはた困って、つらつら書いてしまったが。


あなたはどうですか。

大切な日常を大切にしていますか。

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