受信者を撃つ
せっかくのスーパーに行ったのに町田康のことを思っていたものだからマナベちゃんのキャッシャーに並ぶことを失念していた。
マナベちゃんはいま、わたしが一番気に入っている女性だが、どんな女性かは知らない。
知らないから気に入っているので知ったら壊れる。
これは経験値の高い人間には当然に起こることだ。
知ることによって壊すのがいやなら経験値を上げないことだ。
女性経験値を上げなければ、女性に近づいてお話などしてもたいていの女性は魅力的に見える。
それはとてもいいことだ。
いいことだが、もしこの世の中に魅力的な女性が仮にいるとしたら、経験値の低いあなたは彼女を見逃してしまう。
見逃すというのは手に入れられないということではない。
「ああ、この人はステキな人だ」と感じ入ることが出来ないということだ。
そういう一瞬を待ち受けるか、それとも多くの女性に感動するかは選択だが、ことはいつも書くようにそう単純ではなく、そういう一瞬を待ちうけながらも多くの女性のそれぞれの良さを楽しむことはできる。
どうすればいいのかは経験値を上げていかなければわからない、これはなんにおいてもそうだろう(いまのところはそう思っている)。
さて、わたしが町田康にたどりつくのも文章における経験値を高めたからだ。
高めなければ町田康には到らない。
町田は、プロの物書きが一目置く存在で何度かそういう文章を読んだ。(もちろん、それがわからないプロもいる。経験値が低くてもプロにはなれるからね)
それぞれほめ方は違うがどの書き手も町田は特別だと一目置いていた。
というわけで、経験値を上げなければ町田康の文章を読んでもプロたちの言うところの町田に会うことはない。
町田の文章を読んだというに過ぎない。
それが、受信者に与えられた枷だ。
(念のために書いておくが、こんなふうにしちめんどうに考えなくてもそれぞれの場所でそれぞれが楽しめばいい、というのが大人の態度というものだ。書いているわたしはガキだからね)
馬鹿を相手に真剣にしゃべっても何も伝わらない。
馬鹿にあわせてしゃべる以外に方法はない。
で、たいていのプロは馬鹿相手にはしゃべらない。(ちなみに五代目志ん生にそのケがあった)
聞き手として経験値の低い人間に合わせるプロの表現者はいない。
(厳密にはいる、「馬鹿を相手にしゃべることのプロ」が。それが明石家さんまであり島田紳助である。
あっ、ここまで書いてきて思うのだが、わたしは「馬鹿」「馬鹿」と連発してきたが、それは経験値の低いといっているだけで、わたしもまた経験値の低い分野では「馬鹿」であるのであまり気にしないほうがいい。それにわたしの経験値などたかがしれている。少し見えるようになっただけの話だ)
さて、そういうことで買った品物をスーパーの袋に詰めていて、ふと後ろを振り向くとわたしが買った隣のキャッシャーでマナベちゃんがレジを打っているではないか。
「う~ん、けなげだなあ」
息子がいれば、あんな嫁がほしいものだ。
この娘はピカ一であります。
あらためて感じ入る日曜日夕方のスーパーの買い物でした。
マナベちゃんはいま、わたしが一番気に入っている女性だが、どんな女性かは知らない。
知らないから気に入っているので知ったら壊れる。
これは経験値の高い人間には当然に起こることだ。
知ることによって壊すのがいやなら経験値を上げないことだ。
女性経験値を上げなければ、女性に近づいてお話などしてもたいていの女性は魅力的に見える。
それはとてもいいことだ。
いいことだが、もしこの世の中に魅力的な女性が仮にいるとしたら、経験値の低いあなたは彼女を見逃してしまう。
見逃すというのは手に入れられないということではない。
「ああ、この人はステキな人だ」と感じ入ることが出来ないということだ。
そういう一瞬を待ち受けるか、それとも多くの女性に感動するかは選択だが、ことはいつも書くようにそう単純ではなく、そういう一瞬を待ちうけながらも多くの女性のそれぞれの良さを楽しむことはできる。
どうすればいいのかは経験値を上げていかなければわからない、これはなんにおいてもそうだろう(いまのところはそう思っている)。
さて、わたしが町田康にたどりつくのも文章における経験値を高めたからだ。
高めなければ町田康には到らない。
町田は、プロの物書きが一目置く存在で何度かそういう文章を読んだ。(もちろん、それがわからないプロもいる。経験値が低くてもプロにはなれるからね)
それぞれほめ方は違うがどの書き手も町田は特別だと一目置いていた。
というわけで、経験値を上げなければ町田康の文章を読んでもプロたちの言うところの町田に会うことはない。
町田の文章を読んだというに過ぎない。
それが、受信者に与えられた枷だ。
(念のために書いておくが、こんなふうにしちめんどうに考えなくてもそれぞれの場所でそれぞれが楽しめばいい、というのが大人の態度というものだ。書いているわたしはガキだからね)
馬鹿を相手に真剣にしゃべっても何も伝わらない。
馬鹿にあわせてしゃべる以外に方法はない。
で、たいていのプロは馬鹿相手にはしゃべらない。(ちなみに五代目志ん生にそのケがあった)
聞き手として経験値の低い人間に合わせるプロの表現者はいない。
(厳密にはいる、「馬鹿を相手にしゃべることのプロ」が。それが明石家さんまであり島田紳助である。
あっ、ここまで書いてきて思うのだが、わたしは「馬鹿」「馬鹿」と連発してきたが、それは経験値の低いといっているだけで、わたしもまた経験値の低い分野では「馬鹿」であるのであまり気にしないほうがいい。それにわたしの経験値などたかがしれている。少し見えるようになっただけの話だ)
さて、そういうことで買った品物をスーパーの袋に詰めていて、ふと後ろを振り向くとわたしが買った隣のキャッシャーでマナベちゃんがレジを打っているではないか。
「う~ん、けなげだなあ」
息子がいれば、あんな嫁がほしいものだ。
この娘はピカ一であります。
あらためて感じ入る日曜日夕方のスーパーの買い物でした。
ラベル: 日常
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