2008年4月17日木曜日

チベット問題

聖火リレーを象徴としてチベット問題が喧しい。

もちろん、チベットに対する中国の弾圧の問題は我々の目にできるマスコミを信用するなら、遺憾なことであるのは間違いないのだが、そもそも国際的に遺憾な問題はそれ以外にも数多くある。(だからいいではないかとは言っていないことに注意してほしい)

それは、ホロコーストが哀しむべき歴史的事実であるように(このようにわたしもまた傍観者として書いていることを深く反省しながら)ユダヤ人によるパレスチナでの虐殺もまた行われている。
ベトナムに悲劇を起こしたアメリカもいるが、ベトナムの中部山岳地帯の人々をいいように利用したベトナム人もいる。
というようなことだ。

そして、マスコミがどれかの問題を大きく取り上げるたびに一方は忘れられていく。

事はどれも簡単ではない。

しかし、どれもこれも問題はそこにあり、それに対してそれぞれの人は行動を起こしている。
このことは、どの問題に対しても批判する余地はない。

ダライラマ氏の言うように「聖火リレー、ひいては中国オリンピックの問題もなおざりにはできない問題だが、少し距離を置こう」というのは賢明な態度だろう。

そろそろ意見は出始めているが、この時期にかような事態が引き起こされることを中国政府が傍観しているはずはなく、おそらくこの時期にチベットに暴動が起こることは中国政府のもっとも嫌ったことだろう。
にもかかわらず、チベットに暴動は起き、国際世論は紛糾し中国批判がこの日本でも大きくなっている。
その批判自体は間違いないことだが(9/11が批判の対象にされたように)、中国でもチベットでもなくほかの国が、この事態を引き起こしたのではないかということも知っておきたい。(もし、引き起こしたのであれば)
そして、マスコミがこれほどまで大きく騒ぐことが誰かの仕組んだ罠ではないかという視点で論じられることをわたしは期待する。

だれがチベット暴動を引き起こしたか。(もちろんチベットの問題は実際にあるのだろうが、よりによってこの時期に引き起こしたのがチベット人民の意志だけであったのだろうか、そういう疑問の余地は残しておきたい)

その上に乗っ取って、今回の中国とチベットの問題は考えていかなければならないのではないか。

チベット問題を国際的に取り上げることにやぶさかではないが、「チベット問題を取り上げること」が誰かのシナリオであればその連中に対しての鉄槌も必要だろう。(もちろん鉄槌など届かぬ場所に彼らはいるのだろうが)

わたしの主張するのは、今回のチベットと中国の問題は単に漢族とチベット人の問題だけではなく、それを利用して中国に対してイニシアティブをとろうとしている国がいてという複雑な問題ではないかということである。

この視点からの議論がマスコミに載ることを期待する。
チベット人の心情を否定しているのではない。
中国のチベット政策を全面的に肯定しているのではない。

中国がチベットにしたことがこのように大きく取り上げる一方、たとえばイスラエルはパレスティナを弾圧し続けている。
なぜ、こちらの問題は国際問題の俎上に置かれないのか。
だれが、マスメディアをいいように動かしているのかというもうひとつの問題をここに提起しておきたい。

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