2008年4月19日土曜日

そのままをそのままに見ている



父の死後、彼の育てた鉢植えを自宅へ幾鉢かもってきていたのだが、育てることを知らないわたしの世話に満足してくれるはずもなく、丹精ということを知らないものへの手痛いしっぺ返し喰らっていたのだが、なかには可哀想な男、と思う花もあり、その花とのつきあいのなかで生き物の扱いを教えてくれる花もあった。
それが写真のクンシランだが、今年はなかなか頼もしく咲いてくれた。

その花を庭先に置き、その花が咲いているのをそのまま何の感想も持たずただ黙ってみていることがあるが、
こういうとき「きれい」だとか「かわいい」というコトバは出てこぬもので、そのままをそのまま視覚を通しただ自分の見の内に流れるように滑り込ませるだけなのだが、こういう生き物との相対はどこか本来そうあるのだろう感覚を思い出させてくれる。

タイトルはそういう意味のものなのです。

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