2008年4月10日木曜日

それでも手探りするわたしなのだ

水曜日は主治医の田中先生とわたしのアルコールのことやココロのことを話し合っていた。

十日ほど前に二日だけアルコールを口にしたのだが、そのときの落ち込みは我が人生初めての千尋の谷であった。
獅子はこんな谷へ我が子を落とすのか、非情じゃのう…

この落ち込みについて、それが何よりアルコール依存症の証拠であると田中先生はのたまわった。

「よくよく注意しないと連続飲酒に落ちいるであろう」
かしこみかしこみ申しおきそうろう、ポテチン。

なるほど、瀬戸際かいな、とわたしは思った。
瀬戸際になると、絶対に呑まないか、呑めば連続飲酒の地獄への道が待っているかということであるのだが、わたしはなるほどと思いながら、「いや、しかし別の道はあるのだろう」とも思っていた。

自在の視点転換は「トリックスター」の存在価値ではないか。

というわけで、わたしと酒の旅はこれからも続くが、今後基本的に酒は飲まない。
ということだから、わたしが飲むのは特殊な例外に限られる。
その例外がどのように訪れるのかわたしにも楽しみである。

そのとき、わたしに奇跡のように第三の「アルコールとの共存の道」は現われるのだろうか。
ま、手探りでやってみるしかあるまい。
わたしは、学説を体現するために生きているのではないのだから、身を尽くして納得しなければ何ものをも排斥する。(そういう偏屈なところがある)
そのくせやけに慎重なのは、自分自身もそれほど信じていないからだ。

しかしながらご同輩、何かを無批判に信じてしまい、己自らの手による手探りをやめるなどという愚はお互いしたくないものではないか。

おろかでも己が足で歩きたいものじゃのう。

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