「星の王子さま」再び
わたしがどうしてあのように「星の王子さま」のことを書いてしまったかといえば、実は核家族のことを少し思っていたからなのです。
我々がたどり着いた核家族という制度は、密な関係を要求する制度です。
逆からいえば、密な関係性をもたぬ人間が核家族の一員になることはできません。
そこが、大きな問題点です。
核家族制度のなかで密でなくなった人間はどこかに追いやられたり引き込んだりしますが、そのひとつの大きな原因は核家族という制度にあります。
少し前、我々のもっていた大家族制度は悪名高き家父長制もあり否定され続けましたが、それでも密でない人間をそのうちに囲うやさしさをもっていました。
戦争もまた、密でなければ敵とみなします。
「星の王子さま」には、そういういい加減な人間を囲い込むような目線が随所に見られます。
人はどうあってもいいのだよ、というような間口の広さを感じさせます。
核家族と戦争、まるで違う構造に見えるかもしれませんが、わたしにはずいぶん近いもののように見えます。
あれから「星の王子さま」を読みながらそんなことに思いをはせました。
「その人をそのあるがまま認める」
そうされたときのうれしさをわたしは知っています。
それがあなたの息子であっても娘であっても、妻であっても愛人であっても、おまえがおまえでいればそれでいいと言われたときの心の震えをわたしは知っています。
このブログには何度も登場しますが、人が人を迎え入れるにはそれ以外の方法がないのです。
そしてそのように迎え入れられぬなら、それはあなたの付き合う人ではないのです。
だから、ときとしてわたしは言います。
おまえはそのままいつまでもオレのそばにいればいいのだよ、と。
そのコトバが、あのテグジュペリの献辞から聞こえてくるのです。
そして、彼をそばにいさせてあげられなかった哀しさが聞こえてくるのです。
我々がたどり着いた核家族という制度は、密な関係を要求する制度です。
逆からいえば、密な関係性をもたぬ人間が核家族の一員になることはできません。
そこが、大きな問題点です。
核家族制度のなかで密でなくなった人間はどこかに追いやられたり引き込んだりしますが、そのひとつの大きな原因は核家族という制度にあります。
少し前、我々のもっていた大家族制度は悪名高き家父長制もあり否定され続けましたが、それでも密でない人間をそのうちに囲うやさしさをもっていました。
戦争もまた、密でなければ敵とみなします。
「星の王子さま」には、そういういい加減な人間を囲い込むような目線が随所に見られます。
人はどうあってもいいのだよ、というような間口の広さを感じさせます。
核家族と戦争、まるで違う構造に見えるかもしれませんが、わたしにはずいぶん近いもののように見えます。
あれから「星の王子さま」を読みながらそんなことに思いをはせました。
「その人をそのあるがまま認める」
そうされたときのうれしさをわたしは知っています。
それがあなたの息子であっても娘であっても、妻であっても愛人であっても、おまえがおまえでいればそれでいいと言われたときの心の震えをわたしは知っています。
このブログには何度も登場しますが、人が人を迎え入れるにはそれ以外の方法がないのです。
そしてそのように迎え入れられぬなら、それはあなたの付き合う人ではないのです。
だから、ときとしてわたしは言います。
おまえはそのままいつまでもオレのそばにいればいいのだよ、と。
そのコトバが、あのテグジュペリの献辞から聞こえてくるのです。
そして、彼をそばにいさせてあげられなかった哀しさが聞こえてくるのです。
ラベル: 小説
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