2008年7月1日火曜日

星の王子さま


65キロの体重を下限にわたしの体調も復活の兆しを見せている。
本の一冊でもという気分にもなって、取り上げたのが「星の王子さま」だった。

そこで、わたしは痛く感動したのだが、その箇所は有名な献辞の部分で、レオン・ウェルトという友人に捧げられたその献辞に、うかつなことにわたしはいままで注意を払ったことはなかった。

レオン・ウェルトは、サン=テグジュペリにとっての幼友達であり、かつユダヤ人であった。

その献辞にはこうある。
「わたしは、この本を、あるおとなの人にささげたが、…そのおとなの人は、いまフランスに住んでいて、ひもじい思いや、寒い思いをしている人だからである。どうしてもなぐさめなければならない人だからである。」

「星の王子さま」の献辞で語られている「いま」が、どのような状況であったかを少し語れば、その概要は知れるのだろう。
サン=テグジュペリが「星の王子さま」の執筆に着手したのが1942年。その直前のフランスの状況は、ほぼ以下のようであった。

●1940年6月14日、ドイツ軍はパリを占領した。パリは以後4年間ナチスドイツの軍靴に踏みにじられ続け  た。

●パリ陥落(1940年)前のパリの人口は5百万人ほどであったが、このうち百万人が首都を脱出した。

●フランスはヨーロッパ有数の農業国であったが国内での戦闘で農民の8万人が死亡し、捕虜となった農民70 万人以上の大部分はドイツに労働者として連れ去られた。
 さらに、鉄橋の破壊で鉄道輸送も困難となり、パリはまれに見る深刻な食糧難に見舞われた。

●当時食糧難とともに燃料不足にも苦しんだ。1940年から41年にかけての冬は、不幸なことにパリの気象観 測 史上、もっとも寒い冬であった。
 ドイツからの輸入に頼っていた石炭はもちろん輸入どころではない。しかも、国内の産炭地はドイツ軍によ り立ち入り禁止区域とされてしまっていた。

●パリに住んでいたユダヤ人は、その弾圧でおよそ4万3千人ほどが強制収容所に送られ、うち4万人は生きて パリに戻らなかった。

「星の王子さま」というこの本にはどこにも戦争のこともナチスのことも書かれていないが、このような状況下で生まれた本が「星の王子さま」である。
そして、その本をサン・テグジュペリは、ユダヤ人であるレオン・ウェルトに献辞したのだった。

献辞は、秀逸でせつなく強く抑制の効いたものである。
「星の王子さま」がすばらしい作品であるのは、この抑制の効きかたにあるのかもしれないとさえ思える。

なお、「星の王子さま」が少年の視点で書かれているように思われるのは、サン・テグジュペリ自身が少年の視点をもっていたからである。
そして哀しいことは、彼がその少年の視点に自分を特化していくことでこの時代を切り抜けようとする意思がこの作品のなかにほの見えることである。

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