2008年6月8日日曜日

ひとは無意味な生き物だ

現代の食は日常食ではないと書いたのはわたしだが、自分の嗜好として趣味として食に特化するのはなんら無意味なものではない。
あるひとは山に、あるひとは写真に、あるひとはボクシングに、あるひとは詩に、…そのように人は生きているのではないかとわたしは思っている。

問題はその嗜好を決めるのが我々自身だということだ。
マスコミに踊らされることなく、社会通念に踊らされることなく、さらに言えば自分自身に踊らされることなく、ひとは選び取り生きていく。
選び取られたものが他者にとって無意味なものであっても、選び取ることは無意味ではないし、選び取ったそのものはあなたにとって無意味ではない。

選び取られたものはきわめて主観的なものであり、他者への説明の必要はない。
たとえその世界での死屍累々の屍となろうとも選び取ったあなたをわたしは支持する。

それゆえわたしはくり返し言う。
マスコミに踊らされるな。
選び取るのはあなたであり、わたしである。

それが、尊厳というものではないか。

そういう意味のことで、いまの食の問題を取り上げたのであって、食に賭けた人々を揶揄するものではない。
そんなことをすれば、わが敬愛する辻静雄さえ否定しなければならないではないか。

時として過激になり、コトバ足らずになるわたしを許してはくれないだろうか。

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