2008年6月6日金曜日

煙くとものちに寝やすき蚊遣りかな

うつ病とは言うものの、わたしはその症状の重いときには眠ってばかりだから、もう少し詳しく書けば、寝たり起きたりで、夢なるものをこれでもかと見続けている。
したがって、かなり状況がよくならなければ、睡眠不足の状況になることはない。

この時期の夢のいくつかは書き留めておけばよいもののあまり書き留めたくないようないやな気分にするものが多くサボっておいてばかりいるのだが…。

それが、この前一瞬だけ息子が登場して、黄色い衣装に頭にも黄色い被り物、ごしごしとトイレ掃除をしているではないか。

「ああ、君はトイレ掃除をしているのか?」
「そうだよ」

それだけの会話だが、その情景といい、受け答えといい、さわやかさの極致であった。
だからこそ、おれがこいつのためになら死んでもいいのだと思うのだなと、起きてからもしばらく感じ入ったものだ。
いい若者は、だれであっても気分はいい。

そういう夢があったことをここに記しておきたい。

その後にあの情景や雰囲気を何とか書けないものかと思うとき、「戦後詩を滅ぼすために」城戸朱理の本を思い出した。
ずいぶん厄介な本だと思い読んでいるのだが、あのなかにこの世界を書き込むヒントがあるのだろうなと思ったものだ。

このところ、本といわれるものを読んでいない。
悪いが、わたしにエンターテインメントを書く意向がないものだから、あの種の本を読むときに暇つぶしの気がしてならない。(暇つぶしとは言うものの上質な暇つぶしは何よりも勝るのだが…)
というわけで、ずいぶんエンターテインメント以外を読んでいない自分を反省する。

そのなかで最近いつもかばんに入れているのは「銀の匙」です。
この作品のよさは最近にわかった。
この本のある一節に登場するエロティシズムは、そん所そこらの本では太刀打ちできない。

だからといって、あなたが読んでなるほどというかどうかはわからない。

本もまたあなたを要求するからね。(いつもいうけど)

ついでに書けば、もうひとつ持ち歩くのは「密会」(ウィリアム・トレヴァー)。
これまた絶品。
いい本はあるが、愉快であるかどうかは別物というところか。

久しぶりに本のことを書いてみた。

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