2008年6月7日土曜日

浅草彷徨

昨日は浅草旧フランス座に出かけるも札止めで入れず無念。
少し無料件の配布が多すぎるのではないか。

仕方なく、浅草を徘徊し、吉原あたりに突き当たり清涼里や橋本を思い出す。
その後、前から行ってみたかった「ヨシカミ」に入りビーフシチューを食す。
さすがのデミグラソースに納得するもビーフには一過言アリ。
しかしながら、それを克服するには、レシピを代えねばならず、いたし方あるまいとも思う。
(辻嘉一はすでに成し遂げておるなり)

それにつけても日常食と離れた食い物があまりにも多いことを再度確認する。
そこで腹を立てて「王将」の餃子定食を食し、満足する。
日常食の贅沢は、この餃子定食が適当で、それ以上の寿司や洋食やはたまたフランス料理は食事にあらず、あれは娯楽なり。
娯楽はたいていにおいて贅沢なもので、よくよく気をつけねば足をすくわれる。
だとすれば、これは娯楽なりという意識が必要で、その上の贅沢にすべき。
なお、その折に浅草「セキネ」のシュウマイを購入するが、これは日常食なり。

マスコミどもが贅沢品をさも日常食のように取り上げておるが、あれは日常食にあらず、贅沢品なり。
ゆめゆめのせられぬように。

日常の食事は、はなはだ慎ましやかでことはたりる。
それにサプリメントなどを加えれば身体にも問題はなし。
つけ加えておけば、サプリメント抜きの日常食は、いまやはなはだ購入に問題があり、このあたりの購入困難さはいまだ旧著丸元氏の本を読んでおけばご理解可能かと存ずる。

一汁一菜にサプリメント。
時に餃子定食程度のものを食しておけば、食を趣味とせぬ御仁に問題があろうはずはなく、行列などするべからず。

何を勘違いするか、立派ぶる料理人があまたいるが、料理などはこの世の片隅に置けばいいものなり。
わたしは将棋を好むものだが、将棋指しのなかに自分の存在がこの世に意味があると思うものはなく、あえてあげれば米長くらいのものであり、昨日戦いし羽生、森内もまた自分がこの世に何の益もなさぬただの趣味人であるということを知悉しておるはずである。

まことにマスコミなぞはうるさいもので、嘘ばかりついておる。
というよりはなんらの思考のかけらもなく言説を吐く間抜けなり。

浅草彷徨のたどるわが感想も無益なことは承知なれど、ここに書きとどめおくなり。

ラベル:

0 件のコメント:

コメントを投稿

登録 コメントの投稿 [Atom]

<< ホーム