2008年7月17日木曜日

核家族

今回の問題でも(あのバスジャックね)、家庭の問題を取りざたしている能天気なお年寄りがいるからここに書いておきますが、日本には、すでに家庭などないのです。

家庭のもっとも大きな機能は、だめなやつでもその中に取り込める度量であったはずで、それは、大家族制が持っていた可能性です。
それを否定した核家族は、すでに解体の道筋に転がった石でしかありません。

核家族は解体への道すがらです。
であるから、仲良くなくなったメンバーを捨てるのです。
引きこもりとはいうものの、引きこもらせたのはその他のメンバーです。

核家族の「錦の御旗」は仲良くあるということだけです。
もともと求心力のない核家族にあって、親密さの欠如は決定的なものであり、親密でなくなったものはその場所を放棄しなければなりません。
その意味で大家族制のもっていた家族という概念と核家族は圧倒的に違い、それはもはや家族と呼べないものに成り果てています。

もっと、彼(バスジャックした彼)をしっかりと育てていれば、などとしゃべっているコメンテーターがあまたいますが、もはや家庭にそのような機能はないのです。

では、どこに? とお尋ねになるならば、それはあなたが作るしかないことで、この世にはないものです。
しかも、この日本で、作れば作っただけ、偏向を持ちます。(その偏向と仲良くしながら家族を形成する道は大変だけれども確かに残っています)

今の時代に、一言申し上げる立場の人間なら「家庭」などというありもしない事実を画面から語りかけることはしないほうがいい。

すでに日本には家庭はなく、取り返すべき家庭がはるか空の向こうに漂っているに過ぎない。
その空を見上げて彼が言っているなら、その発言を聞く耳はあるが、そうでなければ、馬鹿の話すことに聞く耳は持たない。

もし、わたしの愛するあなたが、愛する家族を持っているとしたらそれは奇跡であり、そのことをわたしは心の底から、お祝いしたい。

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