2008年7月14日月曜日

追い詰められて



何に追い詰められているのかははっきりとしないが(あまりにも思い当たる対象が多すぎるので)、最終的に己がアンカーであることは間違いない。
で、わたしの場合アンカーであるわたしの主義として、その降りかかってくる状況を(呼び寄せているといったほうがよいのかもしれないが)そのまま受け入れることにしている。

そして、自分の中に生じるある状態が過ぎ去るのを待つことにしている。
それは、亡くなった村山聖氏がおこなっていたことに極めて近いが、そのつらさの質は桁違いである。
彼の29年間の生涯を今もわたしは敬愛してやまない。

その質的には人に話すほどではないつらい状況にあるわたしは、最もひどいときはただ横になっているだけであり、少し状況がよくなれば、落語を聴く。
さらによくなれば漫画を読み始め、それは小説から評論、思想書へと流れていく。
そして人と話すことや会うことが可能になっていく。

今のわたしは、漫画が読める状態であるが、その状態で読んでいるのが冒頭の「カイジ」と「ブラックジャック」だ。
もう何度も読んでいる本であり、そのほうが(同じ本を何度も読むほうが)精神に与える影響はよいようだ。

その本に今回は多く、教えられた。
両方の本に、わたしがこのごろ考えることが描かれていたのである。
もはやわたしの血肉化しているその考えは、これらの漫画が教えてくれたものかどうか論じる質のものではない。
ただし、かような思想を漫画の中に投影する二人の作者に敬意を表したい。

ひとりは福本伸行、もうひとりはご存知手塚治である。

さらに余計なことを付け足しておけば、手塚治は人間的に問題のある男だ。
それは、もしあなたが知らないとすれば「赤塚不二夫のことを書いたのだ!! 」(武居俊樹著)などを読んでみたらわかるだろう。

念のために書いておけば、だとしても手塚の才能に亳も影響を与えることはない。(当たり前の話だ)

才能とか実力はそういうところには存在しないのだ。
それが才能や実力の住むべき場所であり、その人の人柄や人間性は別のところに住んでいる。
その両者を持ってしまった人もいれば、片方しかもたない人もいる。
もちろん両者とももち得なかった人もいる。

どの姿を好むかは、もちろんあなた自身が決めればいい。
この世に人は多い。

あなたにとって好もしい人との出会いを願ってやまない。

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