愛は極私的なものであるからには
愛から「私」性を除去できればというようなお伽噺を書いたのは、そのお伽噺が必要な人間もいるからである。
しかし、もともと愛とは極私的なものだからただ極私的にそれを貫き通す人間もいる。
そのような愛はたいていは破綻をきたすものだが、家父長制が守ったりもしてきた。
もっとやわらかく言えば、女性が経済的に自立できないことでそのような極私的な愛は守られたりした。
だが、そうではなく、ある特殊な状況下でそのような愛が貫かれると以下のようになる。
冒頭の絵はピカソの「泣く女」シリーズの代表作。
モデルはドラ・マール。
よく泣く女だったそうだ。
その泣く環境を作ったのはピカソだったし、その泣く姿を丹念に眺め作品にしたのもピカソだった。
ピカソは女にとって、俗に言うクズのような男であったが、残念なことに才能があった。
その才能が、彼にそのような愛情関係を再生産させ続けた。
ドラ・マールがピカソに会うのは、彼女が29歳、ピカソは55歳だった。
当時ピカソにはオルガという正妻がいたが、彼女とは別居しており、27歳のマリー・テレーズと同棲していて、彼女が実際的な正妻だった。(マリー・テレーズは彼女が17歳のとき、ピカソ45歳の折に街で引っ掛けており、すでに子どももいた)
ここに加わったのが、ドラ・マールですでに泣く理由はわんさとある。
ついでに書いておけば、オルガと正式に離婚しなかったのは財産分与がいやさにである。(ねえ、しょうもない奴でしょ、でも才能はすごいんだからね、困ったね)
さて、ドラと付き合い始めたピカソはその7年後、62歳のとき22歳の画学生フランソワーズ・ジローと同居を始めている。
その娘に子どもを二人産ませているのだから、やれることはやれたというより、人並みはずれた性力と生命力をもっていた。
その後45歳年下のジャクリーヌを愛人とし、オルガの死後彼女を正妻として迎え入れ、91歳の生涯を終える。
ドラ・マールはどうしたんだと思うでしょ。
出会い時からの6,7年が彼女とピカソの蜜月(?)のようなものだったらしい。
ちなみになおピカソの死後、マリー・テレーズとジャクリーヌ・ロックは自殺している。
これが、なんら加工を加えぬ愛の正体だ。
わたしが書いた「私」の消える愛が、いかに寓話的かおわかりになるでしょう。
そのような愛をわたしはあまり知らないが、そのような愛を目指した男と女は何人か知っている。
残念ながら、作品のなか以外で実際にそのような関係は見たことはないが、せめて作品の中ではその関係の可能性を結実させたいものだと、いま密かに思っている。
ラベル: 絵画
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