2008年7月2日水曜日

「星の王子さま」さらにさらに

「星の王子さま」に限らず、本は読み手に大きく左右される。
読み手が育てば読み方も変わる、そういう意味にとってほしい。
したがって、今回の「星の王子さま」はわたしにとっては、はじめての「星の王子さま」だ。

同じようにわたしの好む演芸も受信者に合わせて大きく変わる。

「聞き手に合わせてやろうか、それとも俺のやりたいようにやるか」

これは、志の輔との二人会を前にしたときの談志の独白である。
そしてどちらつかずの談志は大きく志の輔に水をあけられた。

かように聞き手によって話し手は否応なくさまざまな結果をもたらされる。
そのために受信者を限定するホール落語、独演会などがはびこりだした。
しかし、そうしたからといって、いつもうまくいっているとはいえない。
それに答えるだけの受信者が激減しているのだ。

この時期、落語ひとつとってみても聞き手の質の落ち方ははなはだしい。
おそらく小説もそうだろうし、ましてや「星の王子さま」においてをやだ。

受信者論はわたしが書きたくて仕方のないテーマだが、このところの受信者の質の低下は著しい。
繰り返しになるが、それは、小説においてもそうだし演芸においてもそうだ。
さらに言っておけば、格闘技においてもだ。

詩を含む短詩芸術がそうでないのは、彼らがはじめから受信者を規定してきたからである。
しかし、そのことはもうひとつの問題を詩や短歌や俳句にもたらした。
閉じられた形のなかでしか生きられないものをわたしたちはなんと呼べばいいのだろう。

にもかかわらず突出した田村隆一、吉岡実の存在をどう理解すればよいのだろう。

いずれにしろ受信者論は早急に書かなければならないテーマだと思っている。

というようなことを思いながら、以前は胸に迫ることのなかった部分に何度も何度も立ち止まりながら「星の王子さま」を読んでいる今宵のわたしであるのです。

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