2008年7月14日月曜日

原油高というまやかし

原油高が需要供給に象徴される実体経済の反映でないことは明らかで、サブプライム問題も含んだマネーゲームの問題であるという見方のほうが、数倍正しいだろう。

原油高は欧米のマネーや中東のマネーがどう動いているかの問題であるが、それとは別に大きく実体経済に影響を与えており、そのことのほうがわれわれの生活にとって大きな問題になっているというとても困った現象が生じている。

原油が上がり続ける限り世界中のマネーは原油に流れ込む。
大豆が上がるならば大豆に、小麦が上がるならば小麦、トウモロコシならばトウモロコシ、リン鉱石ならリン鉱石とマネーは経済予想に従いその市場に流れ込み、その価格上昇率は需要供給の関係のみで止まることはない。
このために悲劇が起こるのは当然のことで、たとえばガソリン高が何を呼んでいるかを考えればわかるだろう。

「燃料費の高騰で経営難に陥っているとして、全国40都道府県の漁船20万隻が15日、一斉に休漁する。同日午前には約3600人の漁業者が東京都内で決起集会に参加。政府に燃料費の補てんなど必要な対策を求めてデモ行進する」とニュースがあった。

漁民は見捨てられつつある。
市場で魚は必ずしも必要ではない。(つまり、食べなくても生きていけるということだ)
したがって、燃料費上昇が魚の市場価格に同様に反映されることはない。

政府はこの状況にどう対処してくれるのだろうか。

これは、大きく書けば資本主義が崩れ始めていることを意味している。
市場価格が市場ではないところで決定し始めたときに、市場にゆだねられたわれわれの生活はどうなるのだろうか。

漁業の問題はこれからのわれわれの問題だ。
その漁業に対する対応は、そのままわれわれに対する政府の対応と考えればいい。

いまや世界はとても大きな問題を抱え始めている。
地球温暖化だけではない。
その地球温暖化のCO2対策でさえ排出権取引などと早言い出している。

とにかく、私自身の生きる力も奪われそうなほどこの世界は混乱しはじめている。

ビル・ゲイツが引退したのは、たまたまではないのである。

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