2008年7月16日水曜日

バスジャック起きる

愛知の高速道路PAでバスジャック 14歳少年の身柄確保
(7月16日14時2分配信 産経新聞)


16日午後1時10分ごろ、愛知県の東名高速豊田インターから岡崎インターに向かっていた高速バスの車内から、男の声で「おれはバスジャックした」と110番通報があった。
男は持っていた刃物を運転手(38)に突きつけていたというが、バスが停車した美合パーキングエリアで、愛知県警の捜査員らの説得に応じ投降した。県警は監禁と銃刀法違反の現行犯で男を逮捕した。乗客は約10人いたが、けが人はいなかった。
愛知県警によると、男は「14歳だ」と答えたといい、県警が身元確認を進めている。調べに対し、「ただ走りたかった」と供述しているという。
バスはJR東海の高速バスで2階建て。正午に名古屋を出発して、午後6時すぎに東京に到着する予定だった。

調べに対し、「ただ走りたかった」と供述しているところが、なるほどというところで、おそらくそれは本当のことだろう。
そして、ただ走りたかった少年にとってバスの乗客はなんらの意味も持っておらず、怪我人が出なかったのは当たり前のことで、乗客は「ただ走りたかった」少年の障害となるとき、つまりは邪魔をするときに始めてその存在が浮かび上がる。
ただし、浮かび上がるのは障害としてであって、生きている人間としてではない。

これが前々から申し上げている関係性のない殺人との共通点だ。
今回の場合は「走りたかった」であり別の場合は「殺したかった」の違いだけで、その差はまったくもってない。

しかし、少年が言うように彼が14歳だとしたらあまりにも早い決壊ではないか。

今回もまた書いておかなければならないことだが、この事件は首謀者である少年に焦点を当てていても何も見えてはこない。
問題は、いかように彼をこの社会が作り出したかであり、この少年のように作り出された状況を自己内で処理できないとき(自己内での処理とは耐え忍ぶことでもあり、自殺のことでもあるのだが…)、このような事件は起こる。
そしてそれらの事件は小さいものから大きなものまであり、殺人を伴ったものも当然起こりうる。

すでにこの種の事件を再生産するシステムをこの国は持ってしまった。(したがって、今後も起き続けるのは確実なことだろう)

そしてなすべきことはそのシステムがどのようなものかという分析と、そのシステムに対する防衛策だ。(もしあればのことだが)

わたしにはそのシステムが薄ぼんやりとしか見えていないが、この事件は少年が単独で起こしたものではないことだけはわかる。
確実にこの社会が彼の背を押しているのである。

またぞろくだらんコメントをテレビや新聞で聞かされるかと思うとここしばらくは頭が痛い。

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