2008年7月31日木曜日

不眠症

わたしの仕事といえば、たまに来る文章書きくらいだが、それでも朝早く起きてやろうと思えば、睡眠剤に頼るしかない。
昨夜は、仕事が何もなくなってしまったので(終わったと書けないところがなんとも悲哀あふれると自分でも思ってしまいます)、眠れぬままに夜をすごしていたら、案の定、明け方の陽が差し始めてきた。
しかし、特に何も予定がなければ、それはそれで問題はなく、眠くなるまで放っておいたらいいだけのことだ。
それでも、結局は朝の7時まで2時間ほど眠ったのだから、不眠症というのはたわいない。
これが眠れぬ状態が1ヶ月も続いて死んでしまうことになるのなら立派な病だろうが、不眠症は病としては根性なしの病というしかない。

不眠症という病は、予定を持つという条件がいるもので、予定が何もない者にとっては何の問題もなく、眠くなるまで起きていればいいだけのことである。

似たようなことは多く、富裕層にとって仕事がないというのはなんらの問題でもないし、十分な回復力を持つ健康人にとっては、多くの病気は己が体が発するただの休息の要請に過ぎない。
あるいは、もてることに慣れた人間にとって、誰かに相手にされないことは、その人が特別な人でない限り、道端の石ころを眺めるのに変わらないし、ステージで歌う特殊な能力を持つウタシャーにとって、ちょっとした歌手のコンサートは、ちらりと見て過ぎ去るものでしかない。

問題は、ここでも自分の状況との関係性の中空に生じるのであって、単に問題が忽然と目の前に現れるのではない。
だから、問題が生じ、事件が起きた際は、犯人と問題の関係性を論じるべきで、犯人を自分と置き換えて自分ならなどという仮定の話をしても意味はない。

ポイントは彼の状況とその問題の関係性で、そこに立ち入らなければ何も見えてはこない。

というわけで、目下のわたしの状況は経済的には極めて厳しいが、不眠症に対しては何の痛痒も感じないといったところなのです。(何を言っているのかねえ)

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