2008年7月31日木曜日

何事にも振り回されすぎる我らなれば

「暑い! 暑い!」とマスコミが騒げば「暑い、暑い」と思い込んでしまいそうになるが、仕事によっては、生活によってはそれほど暑くもなくクーラーなどまったく必要はない。

そりゃあ野良仕事に日がな一日取り組むヒトにとっては、この暑さはたまったものではないだろうが、屋内でパソコンを叩いている人間の言うことではない。
パソコンでなくても屋内での仕事の人間はクーラーをかけずとも窓を開けきっていれば、まあ何とかやりきれる。
そんなところではないか。
それが、少し無理なようでも「暑い、暑い」とマスコミに振り回される必要はない。
自分が暑いと思ったとき、心のうちで水でも飲むかとでも思えばいいだけのことだろう。

同じように「オリンピック! オリンピック!」の声も喧しい。
しかし、別に見たくなければ見なくてもいいし、日本を応援する必要もない。

あなたが見たければ見ればいいだけの話で、そのために職場での会話に参加できないのなら、酒場での会話に参加できないのなら、それはそれでよかろう。

要はあなたが感じたことをあなたが感じればいいのだし、あなたが見たいと思ったものをあなたが見ればいいだけのことだ。
あなた自身のことに関しては、だれかれに振り回されてはいけないと思う(ようにしたい)。

わたしは、振り回されぬそういうあなたと話していたい。

しかしながら、いやな話を付け加えれば、あなた自身のことではなく他者もかかわることになるとそうはいかない。
あなたの思い通りにはいかなくなる。
そのときはどうする?

はてさてどうしたものですかねえ?

そういう時、処世知(この社会のルール、つまりは法律や慣習や何やかや…)が必要になってくるのでしょうが、これは困ったものです、実に困ったものです。

わたしは、そういうことを考えると嘆息したくなってしまいます。
と、ふとそんなことを思っているところなのです。

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