2008年7月24日木曜日

食欲

食欲が極めて減退するとどうなるかというと、何も食べたくなるのはもちろん、食に関するブログも読みたくなければ、雑誌もだめであれば、食の漫画もいかんわけで、それは何かしろ生命力自体を奪われていく感覚に似ている。

スーパーに買い物に行っても食材に手が伸びない。
最初は手は伸びていたのだが、何度も買ってきたものを腐らせていると、見るだけでだめになってしまう。

本日などは、カキ氷のシロップを買っただけで、それ以上のものを買うには勇気がいった。

しかし、食欲は個人にのみ属しているだけでなく、一緒に食べる人がいることで満たされることがある。
つまりは彼なり彼女がそれをおいしいといってくれれば、自分の食欲を満たしてくれていくのだ。(できれば若い人のほうがよろしい)

一人暮らしの老人の危うさはそんなところにもあるように思う。
彼らの飢餓死はそんなに単純なものではない。
選び取らされるように栄養失調になだれ込んでいく。

わたしの父は栄養失調が原因で死んでいくのだが、本当に食べたくなくなっていくのだ。
だからといって、点滴をすればいいといっているのではない。

食卓を囲む相手がいなくなったとき、人は生きる力も失せていくといっているのだ。
それは、あえて食卓を囲まなくしている人間を殺人者だと告白しているのに近い。

人が助け合うということは、単にこんなことに過ぎない。
食卓を囲める人がいること、お茶をともに飲む人がいること、それが関係性を教えてくれる。

機能的には一人暮らしの老人も生きていけるだろう。
しかし、彼らの楽しみはあなたが思っているほど多くはない。

もしもわずかな可能性があるなら、かれらに、気を使ってあげるといい。

幸いなことに、隣の一人暮らしになったお祖母さんにはしょっちゅう電話がかかってくるし、人の出入りがある。
いいことだと思う。
ひょっとすると詐欺がよってたかって来ているのかもしれないが、それでも孤独死よりはましだろう。

彼女には撃退するだけの力がまだ残っている。

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