2008年7月19日土曜日

警官の血


佐々木譲の書いた「警官の血」は、上下刊にいたる少々長いものになっている。
この種の長いものには、およそ通奏低音というものが必要で、この通奏低音の扱い方しだいでいいものにもなるし、ただ長いだけのものにもなりうる。
事件性や、驚かしより、私見においてはこちらの低音の流し振りに作者の力量は試される。

そして同時にこの手の本に関しては、いつもこのブログに出るところの受信者の力量が否応なく試される。
軽々と読める本を書くという難しさも十分にあるのだが、「軽々」が、まさに軽々であるだけでは、暇つぶし以上のなんらの意味はない。

もっともこの人生に暇つぶし以上の意味があるのかとあえて問われれば、わたしもまた黙って、黙認するしかないだろう。
ここに書いているのは「警官の血」は、読書としての暇つぶしとしては上等であり、もし暇があれば読んでみればいいということだ。(暇つぶしにも質はあるということだ)

もしお忙しいならば、何もがんばって読む必要はない。
別の作業をするに限る。
いわば、贅沢な助言と思っていただきたい。

「警官の血」は三代にわたる警官の生きる姿を書いており、そこに警察の矛盾や、警官のあり方が深く入り込んでくる。
人が美しいだけではないこともはっきりしてくるし、美しくあることの不自然さもはっきりとしてくる。

人が生きるということには、このように割り切れぬ邪悪なものが入ってくる隙だらけであり、それをどう自分の中で扱っていくことが生きていくそのもでもあるという話だ。

もちろん、この世には、ぼけっと、何も見ることなく生きていく人々もいるし、それはそれでまことに幸せな人生と呼ぶにふさわしい。
しかし、そういう人々もまた被災者となったり、不治の病にかかったりもする、さらには原油高に襲われたりもする。
なんとまあ、この世の中は痛みを豊富に埋蔵しているのだろう。

まことに、痛みを残す小説であったことだ。

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