2011年2月13日日曜日

わたしが愚劣だと思うものたち

わたしがこいつは根っからの馬鹿だと思う者は、知識の多さからの判断ではない。
可塑性を言っている。

人は、いったん信じ込んだもの、信じ込まされたものにとても従順になる。

たとえば、日本の政治家がアメリカに対する態度のように。
日本人が、エジプトの人々になれないように。

それは、自分を疑い、変えることをしようとしない態度に根幹の問題があるのではないかとわたしは思っている。

わたしが、だれかにあいつは馬鹿だから話す必要はないと言うとき、その「馬鹿」は、すでに自分の考えを持っており(大半は、刷り込まれており)、それを決して変えようとはしない態度を持つ人間を指す。


もう一度だけ繰り返します。

わたしは、その人の可塑性によって、その人を判断します。

わたしが、今井凌雪を愛する所以です。
わたしが、いまだ伊藤雲峰と別れぬ所以です。

「可塑性」

あなたはあなた自身による可塑性をお持ちですか?

あなた以外の者の意思によって、すでに凝り固まってはいませんか?

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