セシリアはいいね
神田うののような下衆な女を見るたびに「セレブ」などという耳障りな言葉に辟易したものだが、ただ金に尻尾を振る、ついでにけつを振る見るに耐えない女たちを「セレブ」と呼ぶのはいい加減にしてほしい。
そもそも「セレブ」とはいったい何ものだ、そう思っている矢先にわたしの眼前にその「セレブ」が登場した。
セシリアはいいね。
心底言っているわけではないが、それでもスカーッとすることこの上ない。
最近では、テレビで亀田親子を見ない日はないが、あの親父、「すいません」じゃないんだよ。
「おまえら殺すぞ!」くらいの迫力でわめきながら散っていけばいいんだよ。
ヤクザもんのおまえにしてからが、保身のかたまりだ。
亀田親子はもともとどぶ泥のような存在だ。
マスコミにおもちゃにされ一時この世に浮上したに過ぎない。
内藤の眼を潰そうとするような残虐非道なことをしておいて「すいません」はないだろう。
荒くれればいいんだ、最後まで。
ちんけな悪党だよ、おまえらは。
そこへいくと、いかなくてもいいんだが、なんといってもセシリアは素敵だ。
仏史上、現職大統領の離婚は初めてだという。
いいねえ。
セシリアはIsaac Albéniz(イザアク・アルベニスス)、スペインの有名作曲家のひ孫である。
社交界の花形的存在で、独立心が強く、華麗な交際歴で知られたというのだから根性の入ったいけ好かない女、つまりはこれが「セレブ」というものなのだ。
いいだろう。
で、この女、「大統領密使」としてリビアを2度訪問して、当時の最高指導者カダフィ大佐との直談判で、拘束されていたブルガリア人看護師らの解放を勝ち取ったりもしている。
あなどれんな。
大統領を袖にする。
これが「セレブ」の心意気。
こうでなくちゃいかん。
日本の巷では心意気のない奴らが氾濫している。
おまえらは「セレブ」じゃないよ。
ラベル: 日常
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