2010年4月20日火曜日

退薬症状強し

昨夜20時ごろから始まった鬱の症状は、深夜には暴風雨となった。

断酒して、4日あまり。
退薬症状はピークを迎えている。
迎えていると取りたい。
これ以上はわたしに受け止める力があるかどうか怪しい。

とにかく、信じられないほどわたしはアルコールに依存していた。
わたしのアルコールの飲酒は長期に渡っているので長くアルコールの支配下にあったといえる。
わたしに依存を説明した人によると、市販の風邪薬もかなり危ないものらしい。
われわれを何が待ち受けているのか、わかったものではない。

みなさんにアルコールを控えることは強要しないが、依存している可能性が高いと疑ってみることは必要かもしれない。
依存しなくなれば、それだけ自由な自分と出会えるが、だからといって、その自由な自分がいい小説やいい評論を書ける保証はない。
逆にアルコール依存下でもすばらしい作品は生まれている。

要は、いま自分がどういう状態かを知っておくことは、ある人にとっては重要かもしれないということです。
ひとが偏見を持つ傾向にあるように、ひとは何かに依存する傾向にあります。
その傾向が一種のナルシズムや自信を作り出し、すばらしい作品を生み出すことはあります。
けれどもその作品が、すばらしいものかどうかを、薬物依存から抜け出していくわたしはもう一度検証してみなくてはならないと思います。

事実、わたしは長いアルコール依存の中で、10日以上飲まない時期でも、振り返るとやはりあれはアルコール依存特有の表現だったと思うことがあります。
くりかえしますが、アルコール依存特有の表現がつまらないものとはかぎりません。
それが、現時点での考えです。
依存を抜け出した目で眺めてみれば、いままで読んできたものが違って見えるかもしれません。

そのとき、わたしの信頼する塩見鮮一郎さんの作品群はどう映るのだろう。(酒をよく飲む)
鶴見俊輔さんの作品群はどう映るのだろう。(酒を飲まない)
塩沢由典さんの作品群はどう映るのだろう。(酒をほとんど飲まない)
城戸朱理さんの作品群はどう映るのだろう。(酒をよく飲む)

そして何よりも、わたしはどういう作品を書くのだろうかと思います。
年老いてきていますが、あとまだ少し生きて、作品を紡いでいきたいと思います。

ラベル:

0 件のコメント:

コメントを投稿

登録 コメントの投稿 [Atom]

<< ホーム