2011年3月26日土曜日

載録かもしれませんが…

米東部時間3月11日午前1時(日本時間11日午後3時)過ぎ、オフィスで勤務中、「巨大地震、東京を襲う」という米メディアの第1報メールに息が止まった。
 震える手で受話器を取り、東京の家族や親類、出版社などに何十回と電話したが、聞こえるのは、「おかけ直しください」というメッセージのみ。どうにかフェイスブックで編集者と連絡が取れ、東北・関東大震災であることを知る。以来、ネットの日本語放送を通し、被災地で過酷な状況に置かれている人々の姿を見ては言葉を失い、日本を守るために命がけで東京電力福島第1原子力発電所の危機回避に当たる現場の作業員らを思っては胸が詰まり、秒速で発信される励まし合いのつぶやきに心を打たれる毎日だ。
 「被災地の皆様の無事を心からお祈りします」「くじけるな!」「これから生徒を連れて、北京の街に街頭募金に出かける。頑張れ!」――。各国の友人や仕事仲間から、お見舞いのメールが届くたびに胸が熱くなる。
 日本が、第二次大戦以来、最大の危機に直面しているのは間違いない。欧米メディアも、連日、大震災関係の記事をトップニュースとして報じている。なかでも、世界の最大の関心事となっているのが、原発問題だ。
 第1原発6基のうち、地震発生時に稼動していた1号機から3号機では、燃料棒が溶け落ちる「メルトダウン(炉心溶融)」の部分的発生が指摘されている。
 1号機では、建屋(原子炉が収納されている建物)で水素爆発が起こり、上部が吹き飛んだ。3号機も、水素爆発で建屋が破損し、使用済み核燃料貯蔵プールの水が減って、燃料棒の一部がむき出しになり、温度が急上昇。放置すると、水が蒸発し、燃料棒が露出して溶け、大規模なメルトダウンが起こりかねず、放射性物質の大量飛散を招く。
 そのため、政府は、17日、陸上自衛隊のヘリコプターを使い、水投下による3号機冷却に踏み切った。だが、4号機での再度の出火などで、周辺の放射線量が急上昇。隊員の安全確保の点から至近距離での放水ができず、自衛隊消防車両による陸からの放水でも援護射撃を図る。東電の送電線を敷地内に取り込み、電源の復旧も目指す。
 一方、4号機とともに、定期点検で運転が止まっていた5、6号機についても、使用済み核燃料貯蔵プールの水温上昇が報じられており、安心はできない。東電本部の情報開示の不十分さや対応の遅さなどに対する批判も高まっている。
 日本最大の原発危機は、いつ収束するのか。史上最悪といわれる旧ソ連のチェルノブイリ原発事故(1986年)や米ペンシルベニア州スリーマイル島原発事故(79年)とは、どう違うのか。ハーバード大学ケネディスクール(行政大学院)科学・国際関係ベルファーセンターのシニアフェローであり、米国の国家核安全保障庁勤務の経験もあるウィリアム・トビー氏に電話で話を聞いた。
――今回の事故は、チェルノブイリよりは、はるかに危険性が低いが、「チェルノブイリ以来最悪の原発事故」と指摘する米専門家もいる。また、「ある意味で」スリーマイルより深刻だという分析もある。

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