2011年5月5日木曜日

武田先生のご意見です 

1ミリと20ミリ・・・ICRPは何を言っているのか?

内閣補佐官の辞任に端を発して文部科学省が決めた「1年に20ミリシーベルトまで被曝量の限度を上げて学校を運営する」ということが話題になっています。

このことについて少し深く考えてみます。

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まず第1に、当たり前のことですが、緊急時が発生したからといって人間が放射線に対して防御力が急に高くなるわけではありません。

ICRPの勧告にはっきり書いてありますが、低線量率の確率的影響のリスク係数は、ガンと遺伝的影響の合計で、1000人に5.7人、成人は4.2人としていて、明示されていませんが、20才以下の人のリスク係数は8.7人で、成人の約2倍になっています。

私が「1年1ミリ」と言っているので、「20ミリでも安全とICRPが言っているじゃないか!」と批判している人がいるのですが、「よくICRPの勧告を読んでください」と言いたくなります。

繰り返しますが、緊急時になったからといって人間が放射線に対して強くなったわけではないのです。

従って、緊急時だから1年1ミリが1年20ミリになるということはありません。1年20ミリなればそれだけのことが起こります。

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それでは IC RP は「緊急時」をどのように考えているのでしょうか。

まずICRPは「緊急時の被曝」として、
「計画された状況において、悪意のある行動及び予測しない状況から発生する好ましくない結果を回避又は減少するための緊急の対策を必要とする状況」
とあり、つまり、「計画時」とは違う状況が発生したときに、緊急の対策を必要とする状況を言っています。

「計画時」というのは、例えば原発が順調に動いているとか、外国から核攻撃を受けてない平和な状態を指しています。

これに対して緊急時とは、テロとか外国からの核攻撃、あるいは原発の爆発等によって大量の放射線がまき散らされたような状態を想定しています。

・・・

そして、1年1ミリシーベルトという基準の意味は、
「計画被ばく状況に適用され、被ばくした個人に直接的な利益はないが、社会にとって利益があるかもしれない状況」
とあり、少し難しいのですが、次のような概念です.

ICRPは「人間は自然放射線以外の放射線に被曝されると、何がしか健康に被害を受ける、しかし放射線の利用は人間にとって様々な利益をもたらすので、被曝限界を定めてそこまでは我慢しよう」という考え方です。

この考え方は、自動車等交通事故の考え方に似ていて、自動車で交通事故にあうのは良くないことだけれども、一方では自動車の利便性を考慮して我慢しようという考え方です。

そしてその限界を「1億人に1年に約5000人のがんと遺伝障害の発生」を限度とすると言うことです。

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それでは、なぜICRPは「緊急時は1ミリから20ミリの範囲で良い」としたのだろうか? 日本は曖昧だから、「理由は知らないけれど、20ミリと決めたんだ」で良いが、国際的にはそれでは納得性がない。

そこで、
「個人が直接、利益を受ける状況に適用(例:計画被ばく状況の職業被ばく、異常に高い自然バックグラウンド放射線及び事故後の復旧段階の被ばくを含む)」
という理由を示している.

つまり、ICRPは「もともと放射線は害があるが、利益の分だけ我慢する」という思想だから、20ミリの場合も、「個人が直接、利益を受ける状況に適用」としている。1ミリと20ミリのICRPの表現を並べてみる。

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1ミリ:被ばくした個人に直接的な利益はないが、社会にとって利益があるかもしれない状況

20ミリ:個人が直接、利益を受ける状況に適用

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つまり、1ミリは「個人に直接的に利益がない」けれど我慢する範囲で、20ミリは「個人が直接的に利益がある」ということだ。

1ミリに比べて20ミリは、ガンの危険性が20倍になる.でも、それを越えるような「利益」が「個人」にあれば、政府は20ミリを認めて「国民を被曝の危険にさらすことができる」という理由になる。

このことが、日本ではほとんど言われていない。単に「緊急時だから我慢しろ」とだけだ。でも、ミスをしたのは東電と政府だから、それを「我慢しろ」と言われてもダメだ.

だから、政府は被曝限度を20ミリにあげるなら「個人が直接、利益を受ける状況」を作らなければならない。政府は殿様(万能)ではない.勝手に国民に不利を与えることはできないのだ。

(平成23年5月4日 午後9時 執筆)

武田邦彦

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